2020年11月15日
UWFとは何だったのか?【3】
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プロレスでは悪役がいることが多いものですが、UWFが参戦したこの当時、外様ではあったものの完全なヒールにはなっておらず、維新軍のそれとは若干違う空気でした。
越中vs高田や前田vs藤波などスィングした試合もありますが、前田がジミー・スヌーカやディック・マードックと試合した際にロープから跳ね返ってくるのをみて、妙に残念な気持ちになりました。
軍団抗争は続き、’86年3月に5vs5のイリミネーションマッチが組まれ、まさかの上田馬之助が新日本側に加わったのには驚きました。相撲出身の上田が前田の蹴りを真正面から受けるところとか「スゲぇ!!」と思ったものです。
その後に前田はアンドレ戦や藤波戦、ドン・中矢・ニールセン戦を経て頭角を現し過ぎた前田を新日本は邪魔者のように扱っていきます。前田vsアンドレは以前の記事に書きましたのでご覧下さい。猪木、坂口を始めとするNowリーダーと藤波、長州、前田あたりのNewリーダーの世代闘争を長州が呼びかけます。
マイクで藤波が「んわんわんわー!」長州が「フガフガフガー!」と叫び、マイクを渡された前田が、前の2人が何を言っているのか分からないまま「誰が一番強いか決めたらええんや!」という名言が生まれます。
しかし、早々と長州が世代闘争のハシゴを下ろしてしまい、前田と長州に亀裂が生じたとか。
タッグマッチで長州の顔面を蹴り眼下底骨折させたペナルティとして新日は前田にメキシコ遠征を指示、それを拒否した前田は契約解除されます。
ここからが第2次UWFです。
前田が第2次UWFを立ち上げると、旧UWF勢が追随します。
6人でのスタートでしたが、旧UWFとの違いは新日本参戦で得たTV中継での知名度です。旗揚げ戦はたった3試合でしたが、後楽園ホールのチケットは発売開始から15分で売り切れます。
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ルールは佐山氏が提唱したものをほぼ踏襲する形になったので、追い出された立場の佐山氏にとっては皮肉なものです。翌’89年には藤原喜明、船木優治、鈴木実が入団します。
ジェラルド・ゴルドーやディック・フライ、クリス・ドールマン等が第2次UWFに参戦しているので、UWF崩壊後にリングスが立ち上がるまでの下地はこの時点で何となく出来ていますね。
【4】に続きます。
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