2020年11月14日
UWFとは何だったのか?【2】
プロレスランキング
旗揚げシリーズを終えた後2ヶ月後、藤原と高田は正式にUWFに参加します。
7月に後楽園ホールで開催された「無限大記念日」に佐山聡(ザ・タイガー)と山崎一夫が参加。
後に正式加入となるのですが、UWFはここから格闘技色が濃くなります。
この後木戸修も入団しキックと寝技がメインの路線が固まるわけです。
佐山氏が参加の条件として一部フロントの排除を申し出たため、新間氏を追放した形になりグラン浜田も追随して退団。外国人選手ブッキングを巡るトラブルでラッシャー木村、剛竜馬が退団、翌年にはマッハ隼人も退団。
ラッシャー木村は後に、「兄貴」のいる全日本プロレスに移籍します。グラン浜田はメキシコに帰国、剛竜馬は「プロレス馬鹿」となり『極太親父』『格闘家〜燃える肉弾〜』『でかんしょ旋風児』等の作品に出演します。どんな内容かはググってください。
佐山氏のほぼ独断でルールや試合間隔を決めますが、スポンサーもTV中継もないので試合数を増やしたい選手側との溝が深くなります。
佐山氏はこの時スーパータイガージムを経営していたので他の選手よりは余裕があったといえます。
主要なスポンサーだった豊田商事の永野会長が殺害されたことで、一旦は決まりかけたテレビ東京での試合中継も立ち消えになります。
前田vs佐山の最後の対戦となった‘85年の大阪でのリーグ戦では、前田が怒って試合が成立せず、金的攻撃をされたとアピールした佐山の反則勝ちで一方的に試合を終わらせました。その後、前田はシリーズを欠場。
そのシリーズを終えたと同時にUWFは活動休止を発表します。水面下で新日本との業務提携交渉を行なっていたわけです。佐山氏はUWFを退団、本格的にシューティングに進んでいきます。
UWFに残ったメンバーは12月に新日本に参戦します。
年が明けて、猪木への挑戦権を賭けたUWFリーグ戦が行われ、藤原喜明が優勝します。
猪木vs藤原の試合は猪木が藤原のアキレス腱固めに「ポイントそこじゃねえよ」と指摘してみたり、終始余裕な空気でした。最後は藤原が金的気味のキック→スリーパーで猪木が勝利しますが、試合に激昂した前田が乱入、猪木の喉元に左ハイキックをかまします。
ここから軍団抗争が始まります。
【3】に続きます。
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