私の仕事は頭脳労働であり、30年近くその習慣で仕事に成功し、飯を食ってきた。
しかし、その習慣が自分のストレス増大にマイナスな面があることに最近気が付いた。
仕事を行う中、常に不手際がないように予測し、対策を考え、そこで悩み、心配する。
そのような習慣の中で余計に近未来の不測の事態を想定し、それに備える習慣が時としてストレスの原因となっていることにきずいた。
それは、過度に予測をするために不安感や緊張感を自分で高めていたことだ。
親類や兄弟から「お前は何かにつけ考えすぎるきらいがある」と指摘され、
その時は自分のそのような思考癖に気づかなかったのだが、
2日後の夜の眠れない際に、頭にぼんやりと「無想無念」という言葉が浮かんだ。
無想無念とは雑念を払い何も考えないことだが、無計画で何も考えないで仕事をしてうまくゆくのかを少し考えた。
その中でふと頭に浮かんだことは、「余分な心配や懸念をせず、今やるべきことをただやる」
それが自分流の無想無念だと思った。
私が解釈するに「想」とは自然に湧き出る感情や欲求であり、
例として恐怖感や不安感や休みたいなどの欲求や感情で自分の意思で行うものでないものだ。
つまり、脳内の偏桃体や視床下部での自己防衛本能などから生じる自然なものだ。
一方で「念」とは自分の意思で作り出す考えや感情だと思う。
つまり、大脳新皮質と記憶野の働きによるものだと思う。
私は知識や理論でものごとを推し量る頭でっかちな自分の誤った思考回路に気づき、
次の日から仕事をする際に、余計な心配や緊張せず、
そのような考えが頭に浮かんだら、心の中で無想無念、無想無念、
今やるべきことをして何も気にしないと」こころで唱えるようにした。
すると、ストレスがたまらないように最近2週間ほどでなった。
このようことができたきっかけは、1か月ほど前から始めた、毎日の腕立て伏せや腹筋で気力が増したためかもしれない。
いずれにしても無想無念が大切であると思う。
しかし無想無念の理法は労働環境や人間関係が著しく劣悪ないわゆるブラック企業では通じないと思うので、
うゆう職場は自分の経験上辞職すべきで、他の職場など別の職場に自分の活路を見出すことが必要だと思う。
自分のためにも他人のためにも無想無念が必要だと思うし、無想無念と思い、
必要以外のことを考えない無意識の意識をコントロール術を身に着けるとストレスが消えて気分が楽になる。
アメリカでストレス軽減の目的で生まれたマインドフルネス瞑想法はまさに、
脳の無意識な働きを調整する無意識を変えるストレス消滅法だといえよう。
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