2011年04月28日
パソコンは電気羊の夢を見るか
私はかつて、パソコンはいつか家電になると考えていました。
そのことを人に語ったこともあります。
ここでいう家電とは、お年寄りからこどもまで、簡単に操作できる便利な道具をイメージしてください。
パソコンが家電になれば、生活は大きく変化するに違いない、そう考えていたのでした。
でも、最近私は、どうも違うのではないか、パソコンというものは、しょせん家電とは交わることがない存在なのではないか、そんなふうに思いだしたのでした。
実は、ここ数週間、私はパソコンと格闘していました。
有る日、不意にフリーズが始まり、カーソルが動かなくなりました。
例えば、それまで30分で出来たことが、2時間かけても終わらない、ということが起こり始めたのです。
しかも、それだけ時間をかけてやっと終わらせた作業が、保存する段階になって、間の悪いことにフリーズし、涙ながらに強制終了したことも幾度かあります。
そしてついに私は決心し、パソコンを買い換えたのでした。
それまで使っていたのが、09年夏モデルでしたので、2年保たなかったことになります。
今回私は、新しいパソコンをセットアップし、自分が使いやすい環境設定にするため、1日以上をかけました。
OSがVistaから7になったため、周辺機器(プリンタ、無線LAN)のドライバをインストールしたり、パソコンが覚えていた、各種IDやパスワードを再度覚えさせたりと、毎度ながら手間がかかるのでした。
そして、使い始めた私は、思ったのでした。
「Windows7、なれるまで使いづらそう」
Vistaのときは、半月で使いづらいと判定しました。
7もなんとなく重そうです。
どうしてこう、どうでもいいような、個人の好みに左右されるような箇所に、力を入れて変更をかけたりするのでしょう。
慣れてしまえば問題ないのでしょうが、今はかったるいです。
動作中を知らせる、不要なアニメーション効果も気になります。
ブラウザも気にいりません。…現在は。
パソコンとは、そもそも日本的なるものと無縁な存在だと感じます。
こんなにも、人を突き放した道具があるでしょうか。
誰もが、パソコンを始めて触ったとき、感じると思います。
「一生使わない機能が入っているに違いない」
日本の家電は便利な道具です。
年齢に関係なく、直感的に操作できる、それこそ私が考える家電の姿です。
しかし、パソコンは、新製品であっても未完成品です。
とりわけ、OSは、常に見きり発車で発売し、常時修正アップデートを行っています。
このおおざっぱさは、アメリカ的なるものではないでしようか?
例えば、記憶に新しいことでは、ガラパコス携帯を批判する意見がありました。
私もなるほどと思っていましたが、考えが変わってきました。
どうして世界基準にする必要があるんでしょうか。
日本人が使いやすいと思う、必要とする機能が発達して、今の携帯が出来あがったのではないでしょうか。
ガラパゴスこそ、最もユーザー・フレンドリーに徹した結果ではないでしょうか。
パソコンの特性として、一般的に言われていることは二つです。
汎用性と拡張性です。
汎用性とは、特定のことに特化せず、いろんなことが出来るというこです。
拡張性とは、パーツを増設したり、周辺機器を加えることによって、機能を拡大することが出来、長く使えるということです。
でも、本当でしょうか?
いろんなことができるかもしれませんが、その全ての操作をマスターするには、大変な労力と時間、そして根気を要します。
一方で、最も一般的な用途に対して、親切な設計になっているとは思えません。
誰もが使うことが、まず難しく、また頻繁に仕様変更され続けているのです。
拡張性については、全くのウソだと思います。
パソコンは、四半期ごとにニュー・モデルがでます。
少なくとも半年たてば、同価格で倍くらいに性能が良いものが出ます。
ですから、買うときは常に最新のものを買うべきです。
なぜなら、それでもすぐに陳腐化するからです。
古いパソコンに新しいパーツを増設するのは愚かです。
やって有効なのは、メモリを増設することくらいでしょう。
それも、できれば購入直後にやるのが望ましいです。
私も以前は、メモリ増設、外部HDDの設置などやってきましたが、本体のCPUが追いつきません。
しょせん、パソコンは2年くらいで買い換えるべきものだと思います。
これが、私が最近思うようになったことです。
多分、ここ数週間のパソコンとの苦闘、そして最新機種への買い替えが、そういった心境にさせたのだと思います。
ちなみに、私の自宅の冷蔵庫は30年以上使っています。
電子レンジは、多分ごくごく初期のモデルだと思います。
おそらくは、今の機種に比べて、かなり消費電力が多いのでしょうが、今のところ普通に使えています。
これこそ、日本的なるものだと思います。
例えば、ダイヤどおりに列車が到着する国の文化、それが日本の家電なのだと言いたいです。
パソコンは、海の向こうからやってきた、異文化の象徴かもしれません。
最新の時から未完成であり、対価を払って手にいれたユーザーに、「使わせてやって」試行錯誤させている、なんともおごったアイテムです。
こいつらが、テレビや洗濯機のように、家電になる日はいつまでも来ないでしょう。
日本的なるもの、その大転換がない限り、それはずっと続くと私は考えています。
そのことを人に語ったこともあります。
ここでいう家電とは、お年寄りからこどもまで、簡単に操作できる便利な道具をイメージしてください。
パソコンが家電になれば、生活は大きく変化するに違いない、そう考えていたのでした。
でも、最近私は、どうも違うのではないか、パソコンというものは、しょせん家電とは交わることがない存在なのではないか、そんなふうに思いだしたのでした。
実は、ここ数週間、私はパソコンと格闘していました。
有る日、不意にフリーズが始まり、カーソルが動かなくなりました。
例えば、それまで30分で出来たことが、2時間かけても終わらない、ということが起こり始めたのです。
しかも、それだけ時間をかけてやっと終わらせた作業が、保存する段階になって、間の悪いことにフリーズし、涙ながらに強制終了したことも幾度かあります。
そしてついに私は決心し、パソコンを買い換えたのでした。
それまで使っていたのが、09年夏モデルでしたので、2年保たなかったことになります。
今回私は、新しいパソコンをセットアップし、自分が使いやすい環境設定にするため、1日以上をかけました。
OSがVistaから7になったため、周辺機器(プリンタ、無線LAN)のドライバをインストールしたり、パソコンが覚えていた、各種IDやパスワードを再度覚えさせたりと、毎度ながら手間がかかるのでした。
そして、使い始めた私は、思ったのでした。
「Windows7、なれるまで使いづらそう」
Vistaのときは、半月で使いづらいと判定しました。
7もなんとなく重そうです。
どうしてこう、どうでもいいような、個人の好みに左右されるような箇所に、力を入れて変更をかけたりするのでしょう。
慣れてしまえば問題ないのでしょうが、今はかったるいです。
動作中を知らせる、不要なアニメーション効果も気になります。
ブラウザも気にいりません。…現在は。
パソコンとは、そもそも日本的なるものと無縁な存在だと感じます。
こんなにも、人を突き放した道具があるでしょうか。
誰もが、パソコンを始めて触ったとき、感じると思います。
「一生使わない機能が入っているに違いない」
日本の家電は便利な道具です。
年齢に関係なく、直感的に操作できる、それこそ私が考える家電の姿です。
しかし、パソコンは、新製品であっても未完成品です。
とりわけ、OSは、常に見きり発車で発売し、常時修正アップデートを行っています。
このおおざっぱさは、アメリカ的なるものではないでしようか?
例えば、記憶に新しいことでは、ガラパコス携帯を批判する意見がありました。
私もなるほどと思っていましたが、考えが変わってきました。
どうして世界基準にする必要があるんでしょうか。
日本人が使いやすいと思う、必要とする機能が発達して、今の携帯が出来あがったのではないでしょうか。
ガラパゴスこそ、最もユーザー・フレンドリーに徹した結果ではないでしょうか。
パソコンの特性として、一般的に言われていることは二つです。
汎用性と拡張性です。
汎用性とは、特定のことに特化せず、いろんなことが出来るというこです。
拡張性とは、パーツを増設したり、周辺機器を加えることによって、機能を拡大することが出来、長く使えるということです。
でも、本当でしょうか?
いろんなことができるかもしれませんが、その全ての操作をマスターするには、大変な労力と時間、そして根気を要します。
一方で、最も一般的な用途に対して、親切な設計になっているとは思えません。
誰もが使うことが、まず難しく、また頻繁に仕様変更され続けているのです。
拡張性については、全くのウソだと思います。
パソコンは、四半期ごとにニュー・モデルがでます。
少なくとも半年たてば、同価格で倍くらいに性能が良いものが出ます。
ですから、買うときは常に最新のものを買うべきです。
なぜなら、それでもすぐに陳腐化するからです。
古いパソコンに新しいパーツを増設するのは愚かです。
やって有効なのは、メモリを増設することくらいでしょう。
それも、できれば購入直後にやるのが望ましいです。
私も以前は、メモリ増設、外部HDDの設置などやってきましたが、本体のCPUが追いつきません。
しょせん、パソコンは2年くらいで買い換えるべきものだと思います。
これが、私が最近思うようになったことです。
多分、ここ数週間のパソコンとの苦闘、そして最新機種への買い替えが、そういった心境にさせたのだと思います。
ちなみに、私の自宅の冷蔵庫は30年以上使っています。
電子レンジは、多分ごくごく初期のモデルだと思います。
おそらくは、今の機種に比べて、かなり消費電力が多いのでしょうが、今のところ普通に使えています。
これこそ、日本的なるものだと思います。
例えば、ダイヤどおりに列車が到着する国の文化、それが日本の家電なのだと言いたいです。
パソコンは、海の向こうからやってきた、異文化の象徴かもしれません。
最新の時から未完成であり、対価を払って手にいれたユーザーに、「使わせてやって」試行錯誤させている、なんともおごったアイテムです。
こいつらが、テレビや洗濯機のように、家電になる日はいつまでも来ないでしょう。
日本的なるもの、その大転換がない限り、それはずっと続くと私は考えています。
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