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2022年05月16日

沖縄730

沖縄が本土に返還されて50年が経った。15日の日曜は、このニュースが当然中心となっていた。先週から、様々なテーマで、沖縄のこれまでの歴史を振り返る特集番組などが数多く放送されていた。これまで知らなかったことを知る機会にもなったが、沖縄の皆さんのご苦労に、あらためて頭が下がる思いと同時に、50年経った今でも状況が変わっていないことが多いようにも感じた。この話は、とてもデリケートで複雑で難しく、私の能力では到底書ききれないので、今回はこれ以上書くのはひとまず控えておきたい。

この返還50年のニュースを見ながら思い出したのは、本土復帰から6年後、1978年に行われた右側通行から左柄通行への変更という一大事業のことであった。
実は、ちょうど1978年の7月、私は、夏休みをとって会社の友人と一緒に沖縄にいた。
変更が行われたのは、7月30日で、私が訪れた時は、その直前で、まだ右側通行であった。私が人生で初めて車での右側通行を経験したのは、沖縄であった。
220516沖縄78年730.jpg

町中に、7月30日の変更を告知するマークが掲示されていたのを覚えている。小さなステッカーなどもあった気がするが、残念ながら私の手元には何も残っていない。
こういう記念の印刷物などが好きな私にしては珍しく、何も残っていないのがちょっと残念だが、ともかく、私より運転のうまい友人が、ほとんどレンタカーを運転して、私はもっぱら助手席に座っていた。左側通行の本土では運転席である左ハンドル車の助手席に座るのも初めての経験で、そこから見る景色はいつもと違う視点で、新鮮な驚きだった。

右折と左折の車の走る位置が違うので、対向車線に突っ込んでいくような感覚はちょっと怖くもあった。当時の沖縄は、日本であったが、右側通行を含めて、圧倒的にアメリカ的な雰囲気の町だった。我々が訪れる少し前までは、本土から行くときにはパスポートが必要な時期があったと思う。
ステーキの味とわらじのように巨大な肉のサイズもアメリカ的で、デザートのアイスクリームも、味も大きさも外国に来たような別次元の味わいを強く感じたものだ。もう半世紀近く前のことなので、記憶はあいまいだが、ステーキのボリューム感とアイスクリームの味は、それまで食べたものとは全然違ったものだったことは、強烈な印象として今も心に残っている。

私が感じた驚き以上に、ドルを中心とした通貨社会から円を中心とする社会に変わり、交通システムが変わり、という生活の大きな変化は、地元住人である沖縄の人たちにとっては、我々が感じる以上に劇的な変化だったに違いない。

琉球王朝からの歴史的な社会文化と、アメリカによって持ち込まれた文化がからみあった社会は、沖縄独自の生活文化となり沖縄県民ならではの気質を生み出していると思う。それは、日本の他の県とは、やはり違うものだと思う。そうした生活文化に根ざした様々なものが、沖縄の人たちの中に、本土は、わかってくれていない、という大きく深い溝のような思いを形づくっているのではないだろうか。

730の交通システム大変革のシンボルマークを見ながら、そんなことを考えていた。

#沖縄730

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