通りすがりの男に、刀を運ばせるつもりが、いつのまにか刀を奪われ、武士が鳥の鳴きまねや鳥の鳴きまねをさせられて、刀や着物を奪われてしまうという狂言である。
古今東西、弱者と強者の立場がいつのまにか逆転してしまう構図というのは、人間ドラマの大きな要素なのだなあと思う。力の象徴でもある刀を、つい心を許して、誰かに預けてしまえば、時に、力関係が逆転することもあるわけだ。
もう一つの演目は、世阿弥の「恋重荷」という、成立しない恋の行方に、思い岩石を入れた重い荷物を、叶わぬ恋を封じるシンボルとした演目であった。
高貴な女性に対する老人の、高貴な女御に対する秘めた恋。人間の煩悩と言うのは、老境に至っても変わりははしない。最近、高齢者となってみて、自ら実感することでもある。若い時と同じように、機会さえあれば、今でも十分に恋心を持つことができると思っている。
人の恋路は、いくつになっても読めないやるせなく悩ましいものであるようだ。
「名も理や、恋の重荷 下に持ちかぬるこの身かな・・・」
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