2021年06月22日
シャープとフラット
小林亜星さん、寺内タケシさんの訃報について書いていたら、今度は、日本のビッグバンドジャズの創始者として知られサックス奏者でもある原信夫さんが亡くなった。
(画像は、ヤフーニュース/毎日新聞より)
1951年、米軍キャンプで演奏していた原さんがリーダーとなって「原信夫とシャープス&フラッツ」を結成、人気・実力ともに日本屈指のバンドとなり、ビッグバンドの黄金期をリードしてきた。NHK紅白歌合戦に連続出演をしたり、60年代から70年代の歌番組のバックバンドは、シャープス&フラッツが出演していたことが多かったように思う。欧米やアジア各国でも公演し、海外にも活動の幅を広げた。
原さんは富山県出身である。私は大学生の頃に、県人会で大学OBであるダークダックスのコンサートを企画してプロモーターのようなことをやった。その時のバックバンドが原さんのバンドだった。ダークさんの希望だったような気もするが、県人のご縁だったかもしれない。打合せでお会いした時に、「同県人だからね、協力しなきゃ」とニコニコ笑いながらおっしゃっておられたことを思い出す。
分厚い音色のビッグバンドオーケストラの魅力を持った素晴らしいバンドで、ノリもよかった。日本にも素晴らしいビッグバンドジャズがあるということを教えてくれた。企画したコンサートの時に、リハで聞いた音の厚みのすごさに感動したことは今でも忘れない。
本当に、日本にシャープス&フラッツあり、というような草分けのバンド、王者の風格を持ったバンドであった。原さんが、時にサックスを吹いたり、前で指揮をされている様子もスインギーでとても素敵だった。
残念である。心からご冥福を御祈りしたい。合掌。
#原信夫 #♯&♭
(画像は、ヤフーニュース/毎日新聞より)
1951年、米軍キャンプで演奏していた原さんがリーダーとなって「原信夫とシャープス&フラッツ」を結成、人気・実力ともに日本屈指のバンドとなり、ビッグバンドの黄金期をリードしてきた。NHK紅白歌合戦に連続出演をしたり、60年代から70年代の歌番組のバックバンドは、シャープス&フラッツが出演していたことが多かったように思う。欧米やアジア各国でも公演し、海外にも活動の幅を広げた。
原さんは富山県出身である。私は大学生の頃に、県人会で大学OBであるダークダックスのコンサートを企画してプロモーターのようなことをやった。その時のバックバンドが原さんのバンドだった。ダークさんの希望だったような気もするが、県人のご縁だったかもしれない。打合せでお会いした時に、「同県人だからね、協力しなきゃ」とニコニコ笑いながらおっしゃっておられたことを思い出す。
分厚い音色のビッグバンドオーケストラの魅力を持った素晴らしいバンドで、ノリもよかった。日本にも素晴らしいビッグバンドジャズがあるということを教えてくれた。企画したコンサートの時に、リハで聞いた音の厚みのすごさに感動したことは今でも忘れない。
本当に、日本にシャープス&フラッツあり、というような草分けのバンド、王者の風格を持ったバンドであった。原さんが、時にサックスを吹いたり、前で指揮をされている様子もスインギーでとても素敵だった。
残念である。心からご冥福を御祈りしたい。合掌。
#原信夫 #♯&♭
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