この人の厚顔無恥には、ずっとあきれていた。地元の政治家など多数の人の証言があるにもかかわらず、彼は、ずっと自分の罪を否定し続けた。それは、私にとっては、理解不能で、本当に不思議なことだった。男なら、きっぱりと罪を認めてさっさと辞職せよ!、ニュースで報じられるたびに、いつもそう思っていた。
しかし、判決が出た途端に、一転して罪を認めた。
辞職願提出後に出したコメントには、「万死に値する」という言葉が使われていた。以下、そのコメントの抜粋である。
「・・・・皆様の信頼を裏切ってしまったこと、万死に値すると考えます。お金で人の心を「買える」と考えた自らの品性の下劣さに恥じ入るばかりです。・・・」
あれほど、頑なにやっていないと罪を認めなかった彼が、全面的に反省している。
しかし、万死に値する、というのは、確かに自分が反省している時にも使われはするが、むしろ我々国民のほうが、「期待を裏切り多額の買収行為など不正を行った河井被告は、万死に値する〜」という強い怒りの思いを言う時に使われるべき言葉ではないのかなと感じた。矛盾というか違和感というか、なんだか割り切れない気持ちをおぼえた。それはこっちのセリフだ!というところか。
潔さのない人だな、というのが、河井氏に対する私の印象である。政治家は、というか人間には、きっぱりとした態度をとるべき局面がある。この事件などその典型だと思うが、これほどぐずぐずし続けた政治家には、潔さのかけらも感じなかった。
万死とは、何度も死ぬことに匹敵するほど重い、ということの例えである。かつて、法の責任者をつとめた男が、この言葉通り、それほど罪の重さを感じているかどうかは、このあとの彼の生き方が教えてくれることだろう。
#万死に値する
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