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2021年02月13日

続・記憶のスイッチ

このところ、父が、「魚があるから、食べないといけない。ちょっと見てくれ」ということが何度かあった。
数日前には、テレビを指さして、「その中に魚が入っているから、食べないといかん。ちょっと見てくれ」と何度も繰り返した。これはテレビだから、この中には、魚など入らない、そう言っても、しばらくするとまた同じことを言う。

記憶のスイッチというのは、不思議な形で突然つながるのかもしれない。以前も書いたけれど、父が認知症になってから、昔の記憶が突然蘇って、それが映像として彼の中に画像を結んでいるようなことが頻繁におこるようになった。世話をするものにとってこれがつらいのは、まず数十分ごとに呼ばれては、何度も同じことを聞かされること。そのたびにこちらも、同じような説明をしなければいけない。何度も続くと、これはなかなかやるせない。
どういう画像かわからないけれど、父にとっては、「リアル」なので、彼は、「ほら、そこにあるから、開けて見てくれ」と言う言葉を繰り返す、

父は、魚好きで、自分で調理するのも得意だった。母が亡くなったあと、毎日何かしら干物や切り身などの焼き魚を食べていた。そして、それは電気の魚焼き器を使って焼いていた。電子レンジを使うようになると、残った魚をそれで暖めるようにもなった。
テレビを指さして「その中に魚がある」というようになったのは、電子レンジか魚焼き器の中に残って、つい食べ忘れてしまった魚の記憶が蘇っているのではないかと思う。

父の名誉のために書きそえるが、こうした幻を見ている時以外は、父はしっかりしていてきちんと話もできる。ただ、最近は、幻について話すことが多くなってきたようにも思う。

介護とは闘争だというようなことを以前書いたし、記憶のスイッチについてもかいたことがある。認知症の人を世話することは、忍耐である。しかしそのことをわかっていても、やはり、繰り返しそれが行われることは、そばにいるものにとっては、なかなか疲れることなのだ。
もし私が父と同じようになったとしたら、やはり同じように食べ物について話すような気がする。記憶のスイッチとして、突然私の脳裏に画像を結ぶのは、父と同じように、生きることの根源である食べることではないかと思う。
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