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2021年02月12日

Absolutely Inappropriate /Part3

もう書きたくもないのだけど、「絶対に不適切」その3は、不適切な後任調整でドタバタ劇の様相を呈してきた。突然かつがれ、そして辞退を余儀なくされた川渕さんも迷惑だったと思うが、恐らく腹の中では「何だこれ?!」という思いがあっただろうが、大人の対応で、世の中の動きを見てすぐに就任要請を拒否する意向を示した。火中の栗は、拾わないほうがよろしい。(これは私にも経験があるので(笑))
舌禍を招いたご仁の記者会見は、またさらに余分なコメントをしていて、本当はちっとも反省などしていないことが随所に感じられた。そんな会見などじっくり見る気分も失せたので、以上はニュース映像からの情報レベル。

考えてみれば、今回のオリンピックは、さまざまなことが起こっていた。今や遠い記憶のようにも思えるが、まずはシンボルマークデザインの盗用問題。デザインを真似られたという海外のデザイナーからの訴えにより、結果的にはいったん決まったマークを白紙に戻して再検討することになり、現在の野老さんデザインのマークが決定した。
さらに、猛暑を懸念したことによる札幌へのマラソンコースの変更問題。
そして、誰も予想しなかったコロナウィルスの世界的な流行による開催の1年延期である。

210212幻の東京オリンピック1940.jpg

ご存知の方も多いだろうが、第一回の東京オリンピックというのは、実は1964年ではなく、1940年に行われるはずだった。欧米以外で、アジア初のオリンピックだった。その前に開催された1936年のベルリンオリンピックは、ヒトラーの政治宣伝目的が色濃く反映された大会であった。そして、柔道の嘉納治五郎らの尽力によって獲得した1940年の東京開催は、そのヒトラーらによって戦争へと傾いていく国際情勢の中で、開催権を返上することを余儀なくされたのだ。晴海などで準備されていたオリンピック施設や道路などは、結果的には64年の大会で活用された。

こんなことを書くと、非国民と怒られるかもしれないが、1940年のオリンピックを開催返上させたのは、戦争へと向かう国際情勢の大きな変化だった。そして、今回は、世界規模の疫病が、開催を1年遅らせるという事態を招いた。さらに今回のドタバタ劇である。

この大会の行方は、もしかすると1940年大会と同様に、幻への道を歩み始めているのかもしれない。

#東京2020 












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