しかし、老々介護の身にとって、料理は、命を維持する糧であり、まさに父子の生きるすべ、必要不可欠なことだ。
そして、もうひとつ、仕事をほとんどしていない今の私にとっては、時々ある原稿書き以外では、今のところ、大切なクリエイティブワークでもある。
料理は、クリエイティブな要素に満ちている。私は、食事の支度の前には、まず冷蔵庫を開けて中をざっとメモリーしてから、一度ドアを閉じる。そして野菜カゴのストックも確認して同じようにメモリーする。それから、それらのメモリーを頭に広げながら、さて何を食べようかと、自分の食べたいものをイメージする。夕食にはこれを食べよう。あるいは、これが食べたいけれど、あれがないから買ってこよう、などとあれこれ心が動く。料理のクリエイティブはここから始まっている。仕事でも、料理でも、段取りを考えることはきわめて重要なクリエイティブワークのはじまりだ。
そして、食事を食べる時間を逆算しながら、買い物に出かける時間を決め、食材を整え準備にとりかかる。調理をしている時にも、残り物の食材処理などで、追加のアイテムを思いついたりなど、脳は結構目まぐるしく活躍してくれている。
時々、思いがけないひらめきが出て、違うメニューになることもある。別に最近はやりのイタリアンやら、フレンチやら和食でもこだわりのメニューとかそういう高級料理を作る皆さんのようなものは作らない。あくまで普通の家庭料理だ。例えば、毎日の玉子焼きや、ミョウガの甘酢漬けなど。
それでも、自分が「美味しい」と思えるものができた時には、ささやかさな達成感と満足感をおぼえる。
何より、自分が美味しいと感じることのできる食事を自ら用意することができて、それを食べられることは幸せだと思う。父に食事をサーブし、自分も食べながら、食事のありがたさをかみしめて、一献の酒を楽しむ。
食事が終わり、食器を洗い、キッチンを片付け、食器やキッチンがきれいになったところで、仕事が完了したような満足感も感じる。
こうした一連のことが、私が、クリエイティブワークとして、料理を大切にしている所以でもある。
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