四国霊場に限らず、普段は非公開の仏像を「秘仏」と言う。
一切開帳されない「絶対秘仏」もある。
何故見られない様にしているのか。
57番札所栄福寺(今治市玉川町八幡)の住職白川密成さん(46)を訪ねた。
「密教は『秘密仏教』の略で、本尊などには時に危険なほど強い力が宿っている為、妄りに見せてはいけないと言う信仰もある」と言う。
「ご開帳以外に本尊を見られる新たな仕組みを考える価値はあるのかも知れない」
一方で「秘仏は人の『見たい』欲求に常にアンチテーゼを投げ掛けてきた」とも述べる。
愛媛大の胡光四国遍路・世界の巡礼研究センター長は「参拝者は、見たいと言う感情が『信仰』なのか『鑑賞』なのかを区別する事が重要」と話す。
胡さんは「信仰上は、本尊が見えなくても御利益は変わらない。世界遺産登録を目指す為にも古来の文化を尊重し守るべきだ」と指摘する。
一方、博物館にある仏像は「儀式で魂を移している。彫刻作品としての美術的な『鑑賞』が目的なら博物館で見るのが良いだろう」と勧める。
「遮那(大日如来)は、誰の呼び名か、本来我々の心の事」とは空海の言葉。
白川さんによると、端的に言えば「神仏は超越的な存在でありながら、私たちの心にあるもの」と言う意味だ。
見る事ができない本尊を心の中に探すのも、「遍路」の一つの在り方と言えるかも知れない。
愛媛新聞 皆の特報班から
超越的な存在でありながら、心の中にあるもの?。
分かり難い。
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