甲賀流忍術十四世を名乗った藤田西湖(1899〜1966年)である。
何故最後の忍者と呼ばれるのかと言えば、実際に密命を受けて情報活動などを行った最後の人物と考えられるからである。
自伝的著作「最後の忍者どろんろん」によると、藤田は陸軍省から頼まれ、満州で200〜300人の将校たちに6カ月間、諜報連絡、暗号解読、変装術、忍込法、暗殺法などの教育をし、蒋介石暗殺も依頼 されたと言う。
又、スパイ養成所であった陸軍中野学校の前身「後方勤務要員養成所」で、スパイ技術として「忍術」を教えた事が記されている。
藤田は後方勤務要員養成所で、節を抜いた竹で水中に潜る法、腕や足の関節を外して縄を抜ける法、音を立てずに歩く法、壁や天井を這い回る術など、自ら実演して見せたと言われている。
藤田は負けず嫌いで、他人にできる事は自分にもできると言う精神で練習を積み重ね、机に向かって、1、2時間微睡んでは読書し、殆ど布団で寝る事はなかったと言う。
伊賀流忍者博物館(三重県伊賀市)に藤田の書写した忍術書が所蔵されているが、原本と全く同じ様に写本を作っている事からも、その几帳面な性格が伺える。
山田 雄司 三重大教授
愛媛新聞 忍者のホントから
忍術書「万川集海」纏めたらしい。
「水蜘蛛」など、「忍術」として認識している事の多くは、藤田によって確立されたらしい。
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