当時、花岡は1歳上の女性と付き合っていた。
そんな支えを力にし、花岡は予備校の2年目に大阪市立大の法科大学院に合格した。
彼女は「付いて行く」と答えた。
2人は大阪に向かった。
既に花岡は25歳になっていた。
大学院の同級生は、大半が年下で、京都大や大阪大、神戸大など、名の在る大学の卒業生がずらり。
幼い頃から勉強で結果を残してきた所謂「学歴エリート」ばかりに映った。
曲折を経て地方の私立大を出た花岡が感じた「言葉にならないプレッシャー」は大学を志した時よりも強いと感じた。
然し花岡は負けなかった。
花岡は結果で周囲を認めさせた。
六法全書と向き合う日々。
そんな花岡の体を案じて彼女は、率先して見の周りの世話をした。
12年5月、大学院を終了後、司法試験に初めて挑んだ。
挑戦した試験で初めての不合格。
彼女の支えを受けながら、合格を目指す日々が更に1年、続いた。
翌13年、2度目の司法試験の合格発表。
「感無量でしたね」と感慨深げに当時を振り返る。
後に手にした資料では約1500人いた合格者の中で上位200人位の好成績だったと言う。
司法修習生として、今度は東京で生活をする事になった。
彼女に「付いて来ないか」と誘う積りだったがその前に、逆に別れを告げられた。
彼女は「私の役目は終わったね」と微笑んだ。
試験勉強に明け暮れる花岡を心配して、何も言わずに一緒に過ごして暮れたのか、花岡は彼女の気持ちが分からなかった。
只支えてくれた大きな存在が傍から離れたと言う事実だけが残った。
希望と失意、相反する思いを胸に抱き、単身、東京へ向かった。
愛媛新聞 不良少年から弁護士へから
司法試験合格は凄い。
陰で支えた女性も素晴らしい人だ。
色々な国立大の医学部を受験した男は1年足らずで、琉球大の医学部の2年生に学士入学した。
後に手にした資料では何百人の書類選考で200人の受験生に残り、5人の入学枠に入ったらしい。
凄いとしか言い様がない。
彼女も一緒に沖縄に行ったらしい。
続きは又次回。
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