自分から喧嘩を売る事はなかったが、校内外では屡々小競り合いがあり、ぞの度教員から注意を受けた。
当時は男子校。
気の合う同級生は多く、学校生活はそれなりに満喫していた。
3年生になった頃、学校生活に嫌気が差し、同級生が退学する姿を何度も見届けた。
「俺らはこのままでええんか」----------。
そんな思いに駆られた花岡は、仲間の活気を取り戻す為、自分に何ができるか考えた。
「このまま、俺らが沈んだ気持ちで社会に出たら、皆にとって損失。何か自信を与えられる事をする」と思い立った。
3年間受け持った担任教諭は、花岡の微妙な心の変化を感じ取っていた。
花岡は元々一本気な性格で、自分が間違っていないと思うと、教員に何を言われ様がお構いなしに突っ張ねていた。
この頃の心境を花岡はこう明かす。
「思い切った事を成し遂げないと、きっと俺らは変わらない」。
出した結論は大学への進学。
両親への経済的な負担、受験科目の数などを踏まえ、卒業後1年を掛けて地元松山大の一般入試で合格すると目標に掲げた。
「何を言い寄るんぞ」。
周囲は驚きを隠さなかった。
然し花岡は怯まない。
強い決意表明には二つの理由があったと振り返る。
「言い続ける事で、皆にも何か目標を持って欲しかった。そして自分自身のやる気を促す為、退路を断った」
愛媛新聞 不良少年から弁護士へから
言い続ける事。
やる気を促す為、退路を断つ事。
大事らしい。
俺の知っている男に大阪大基礎工学部の大学院を出てシステムエンジニアになり、人の役に立ちたいと、自分で琉球大学の医学部に行って医者になった奴がいる。
凄い奴がいる。
その男の話の続きは又今度。
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