今、弁護士----------。
東京・池袋のオフィス街に異色の経歴を持つ松山市出身の男性がいる。
名前は花岡征士郎(39)。
松山市の雄新中学校、松山聖陵高校時代は我が強く、飯盛も多かったと言う。
然し、ここ一番で奮起、周囲の支えもあり、大学受験や司法試験に向き合った。
波乱に満ちた半生を紹介する。
「一言で表現すれば『番長』だった」。
1999年、花岡が雄新中3年の時に担任を務めた50代の男性教諭はこう振り返る。
当時は校内の不良グループの中心だった。
学校には給食を食べに顔を出す程度。
それも「家に昼ご飯がなかった」との理由から。
反抗的になったのは小学校の頃に仲が良かった上級生がぐれた影響が大きかった。
腕っ節は強く、「売られた喧嘩は買った」と言う。
只自ら仕掛ける事はなかった。
父親から「弱い者虐めはするな」と言われた教えは守っていた。
見た目は典型的な不良少年だったが、男性教諭は見捨てなかった。
シャツをしっかり入れるなど、時折見せる花岡の礼儀正しさを見て取った。
花岡と学校外で何度も会い、「拳で語るんじゃない。心を通わせていくんだ」と論し続けた。
目頭が熱くなると同時に、進学したいと言う思いが芽生えた。
唯、欠席が続いた花岡にとっては進学するのに可成りの努力が必要だった。
結果、花岡は一般受験で松山聖陵高の自動車工学科に合格した。
中学の卒業式の日、茶髪だった花岡の髪は黒くなっていた。
最後のホームルーム、担任が話を終え様とした時だった。
花岡が「先生、ちょっとかまん」と手を上げ、教室の檀上に向かった。
そこで語ったのは、これまで自分自身が荒れて迷惑を掛けた事や、それでも級友として見放さず付き合ってくれた事。
「御免、そして有難う」と結んだ。
教室には級友らの温かい拍手が響いた。
花岡の波瀾万丈な中学生活はこうして幕を閉じた。
愛媛新聞 不良少年から弁護士へから
凄い。
少年も先生も素晴らしい。
剣豪宮本武蔵も子供の頃は不良だったらしい。
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