日本には昔のままの天守が12あり、愛媛にはその中の二つ、松山城と宇和島城がある。
天守には大きく、望楼型天守と層塔型天守の二つがある。
望楼型は犬山城(愛知県)や彦根城(滋賀県)などで、土台となる入り母屋造りの建物に望楼と言う物見櫓を載せている。
松山城や宇和島城などの層塔型は1階から最上階まで規則的に積み上げていく天守。
望楼型の方が古く、構造的に無理があるが、職人が知恵を絞って形にしており個性的で面白いと思う。
愛媛の城を語る上で重要なのが「築城の名手」として知られる藤堂高虎だ。
彼は滋賀県の生まれだが、愛媛で大成した。
波乱万丈の人生を歩み、主君を何回も変えた人としても有名だ。
高虎は180cm を超える長身で力が強く、戦でよく働き出世した。
浅井長政から徳川家康まで主君を変えた高虎。
しっくりきたのは豊臣秀長(豊臣秀吉の異父弟)だったが、秀長が死に、養子の秀保も死亡すると、高野山の層になろうとした。
そこで、秀吉に召還され伊予国板島(後の宇和島)7万石(後に1万石加増)の大名になった。
秀吉の死後、家康との関係を深めた高虎は関ケ原の戦いで奮戦し、恩賞として今治12万石が加算された。
高虎は居城を今治城に定めて築城を試みたが、大きな問題が起きた。
そこで高虎はしっかりと天守台を造り、その上に層塔型の天守を建てる方法にモデルチェンジした。
高虎が編み出した層塔型の天守は、構造的な欠陥が解消されるばかりか、早い工期で安く造る事ができ、主流になった。
その様な点で、高虎は加藤清正や黒田官兵衛ら築城三大名手の中でも頭一つ抜き出ている。
大洲城の改修にも携わっており、愛媛には高虎が関わった城が二つもある。
個性的で素晴らしい愛媛の城をじっくり眺めて欲しい。
東京大学史料編纂所教授 本郷 和人氏 1960年東京都生まれ。
東京大・大学院で石井進氏と五味文彦氏に師事し、日本中世史を学ぶ。
同大史料編纂所で「大日本史料」第五編、鎌倉時代の編纂を担当。 2012年から現職。
著書に「武士とは何か 中世の王権を読み解く」「日本史のツボ」など。
愛媛新聞 愛媛政経懇話会から
松山城、今治城、宇和島城、見た方が良いと思う。
大洲城も。
一国一城を夢見る人は。
八幡浜に萩森城もあったらしいが今は跡しか残っていない。
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