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2011年04月22日

時、所構わず

今朝は花曇り。
なかなか気温が上がらない。
今年は冷害の心配もしなくてはいけないだろう。

昨夜、入浴中に地震があった。
揺れ方がいつものより大きかったので、
裸のまま、脱衣場に出た。

まだ揺れていたし、時間も長かったので、
これまた裸のまま、台所の食器棚を押さえてみた。

揺れが収まり、ヤレヤレ。

本震で大きい揺れだと、着替えを探すのもままならないだろう。

今更、裸体を人様にさらしても自分的には大丈夫だが、
それにしても地震は時、所構わず、揺れるわけだし、
今後しばらく、この地震と付き合わないといけないなと思った夜だった。

プレートにもう少し緩やかに移動してねのキッスだね。


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posted by でんちゅう at 08:47| 東日本大震災

2011年04月18日

潔い愛

先週は花散らしの風が強く吹いた。
通勤途中の桜並木は、葉桜に変わりつつあった。

今朝も余震で目が覚めた。
これだけ、毎日揺れると、本震の時はどうなるのだろうと思いつつ、起きた。
原発も放射性物質が漏れている。
私たちですら、身構える毎日なのに、
周辺の方々の心情と思うと、わがまま言わず過ごさなければと思う。

昨日は、義母とオペラの鑑賞に出向いた。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「パリアッチ」だった。
会場はティアラこうとうで、大ホールは年配の方で満員だった。
オペラはこれで5回目だが、上流家庭のお楽しみという感じがいつもする。

字幕があったので、雰囲気がつかめた。
男女の愛のもつれ、心情を表したものだが、
両方とも、殺されておしまいという、
この後は、ご自分で考えてくださいと突き放されたような感じだった。

こんな潔い愛の形は羨ましくもあった。
果たして私ならと思って、会場を後にした。

愛の深みを教えてくれたオペラに、悲しみのキッス。


posted by でんちゅう at 09:12| 音楽

2011年04月12日

祈り

今朝も余震があった。
毎日、地震がない日はないくらいだ。
これだけ揺れると、自宅の崩壊も気になるところだ。

昨日で震災から1か月。
14時46分、心の中で黙とうをした。

直接的な被害を受けなかった私は、祈る事しかできない。
震災から、祈る時間が少しだけ増えた。
自分の事周辺と、被災者の方々の事と思ってだ。

祈りは何に通じるのか分からないけれど、
この祈りの力はやがて大きくなり、
再び地球で平和に暮らしていける人間の叡智の一端に
なってくれればと思う。

多く亡くなられた方々に黙とうのキス。
posted by でんちゅう at 08:50| 東日本大震災

2011年04月11日

危険予知能力

今朝は曇りがち。

東日本大震災が起こってから今日で1か月。
1か月の14時46分までは、つつがなく生きていたのだ。
自然の驚異と恵み。
改めて実感する1か月だった。

最近、新聞紙上で津波にどのように遭遇したのかという記事が多い。
生き残った人の行動や判断が書かれている。

それを読むたび、私は中学校2年生の時に、
近くの堤防が決壊した時の父の行動を思い出す。

秋雨前線と台風で雨量が多い日が続いた。
父は、川の水量を見に行っていた。
堤防が決壊する朝に、
「これはもう、堤防が壊れる。
場所が分からないけど、お父さんはこれから車を高台に置いてくる。
お前たちは1階にある物をとにかく2階の高いところへ積み上げなさい」と
言った。

多少の恐怖があったものの、とにかく父の言われるとおり、
妹と2人でどんどん、積み上げた。

母は近所に堤防が決壊するから、荷物を2階へ持って行った方が良いと知らせにいった。
中には、真に受けない人もいたようだ。

そして10時半ごろ、決壊したと連絡があった。
住んでいるところから、下流約3キロのところだった。
立地的には水は下へ流れるはずだが、
住んでいたところは輪中地帯で集落ごとに堤防が設けられている。
被害を最小限に食い止めるために、下流の堤防の水門が閉じられた。
行き場の失った水はどんどん上流に上ってきた。
その様子を見ていた知人は水煙を立ててまるで津波のようだったといっていた。

私の家にその水が流れ込んできたのは夕方の4時ごろだった。
父と母は、「気を付けて中学校へ避難しなさい、お父さんたちは家を守るから」
と言って私たちはお尻まで水につかりながら、避難所となった中学校へ行った。

翌朝、あたりはまるで海のようだった。
家は床上1m以上、浸水したらしい。

3日ぐらいで水が引いた。

しばらくして、親せき、縁者がたくさんやってきて
家の片づけをしてくれた。
家の前の道路はがれきの山となった。

父の判断で、我が家は被害にあったものは少なかったようだ。
水は来ないと高をくくっていた人は、大変だとこぼしていたらしい。

自然の中で生きてきた父は、きっと危険予知能力が高かったのだろう。
この大震災についてなんとコメントするのだろうかなぁって。

今朝、父の写真の前で、大勢の人がそちらに行ってしまわれたから、
お父さん、よろしくねと心の中でいってきた。

残された人々たちにどうか勇気をと思う。


posted by でんちゅう at 09:05| 東日本大震災

2011年04月09日

自然への畏怖

今朝は小雨。
この雨の中にも放射性物質が含まれているかと思うと、
いつもは楽しむ雨も今一つ楽しめない。

震災から4週間がたった。
一昨日は大きな余震があり、また被害も出た。

知人の実家が津波で流された。
知人はそのあとを見て、体中の水分が無くなるほど泣いたと言っていた。
幼少の頃から育ってきたであろう家がなくなり、
その周囲も跡形もなく、なくなってしまった光景を見た知人の心情は、
想像するに余りある。

今、こうしてビルや家が当たり前のように立っているが、
自然がひとたび、牙をむくとそれが当たり前でなくなってしまう。

私たちは住まわせてもらっているのだ、という心を忘れてしまったのだと思う。
自然に立ち向かうなんて、恐れ多いことなのだ。

自然への畏怖を今こそ、取り戻すべきなのだろうと思っている。
posted by でんちゅう at 08:23| 東日本大震災

2011年04月02日

1日1日大切に

昨日で3週間たった。
自分が住んでいるところは、ほぼ日常らしき生活を送っている。

被災地での勝負は本当にこれからだろう。

一度にすべてのものを失くし、心に受けた痛手を想像するだけで、
涙が出てくる。

だけど、これが現実で、これが自然で、
昨日からも明日へと時間は刻々と流れていくのだ。

被災地の様子をこの目で見たわけではないので、
きっとそこに行くと、もっと壮絶なことだろう。

私は被災地の様子を胸に、1日1日大切に生きるようにしていきたい。
posted by でんちゅう at 09:23| 東日本大震災

2011年03月26日

目に見えないところで

震災から2週間。
まだまだ被害の全容も明らかになっていない。

プレートの動きで陸地に地震をもたらし、津波を起こした。
自然の力は本当にすごい。

人類の知恵で自然をなんとかしようとした。
人は生かされていることをいつも頭の片隅に置いておかなくてはと思う。

放射能も過去の大きな事故に基づいて検証、報道されているが、
将来、被害が出てからでは遅いのだ。

原発を認めてしまった私たちにも大きな責任がある。
脱原発の生活に戻れないのだろうか。

そして改めて思うのは、
目に見えないところで生活がつながっているのだと。

被災地が1日も早く復興するように、私も出来る範囲で頑張る日々だ。



posted by でんちゅう at 09:17| 東日本大震災

2011年03月19日

1週間がたった

地震が起こり、昨日で1週間がたった。

甚大な被害の影響は日ごとに大きくなってきた。

停電、品薄、放射線などなど。
どれも人の不安をあおるものばかり。

人は不安に陥ると、正常な思考はできなくなるし、
自分本位になりがちだ。

こうした時こそ、冷静に、落ち着いて行動したいものだ。

そして無念にも一瞬の内に亡くなった人たちの分まで、
私たちは強く生き抜いていかなくてはならない。

試練が忍耐を働かせ、人生の糧としていかなくてはいけないと思う。


posted by でんちゅう at 09:04| 東日本大震災

2011年03月12日

未曾有の地震

未曾有の地震。

ビルの1階にいた私はそのとき、NZ地震のつぶれたビルが頭をよぎった。
つぶされないように、怪我をしないようにと安全な所を思いながら、避難した。

道路に止めてあった車がうねっていた。
近くのアーケードも今にも崩れ落ちそうだった。

私の住んでいるところは震度5弱だったようだ。

それよりも東北地方の被害は、息を呑むようなものばかり。

自然の脅威をつきつけられた私たちは、
それでもまた、一から歩んでいかなくてはいけない。

自然に生かされているんだということを忘れてはいけないのだ、
と私は自分に言い聞かせた。

posted by でんちゅう at 20:30| 東日本大震災

2011年03月10日

入院生活〜その3

今朝も風が冷たい。
なかなか春の陽気にならないよね。

日常に戻ってくると、入院していたわずかの日も
まるでなかったかのような気がする。
だけど時折、うずく胆嚢が忘れさせてくれない。

入院中、絶食は5日間だった。
絶食も自発的にやるのと、強制的にさせられるのとは
体に受ける影響も違うのだろう。

炎症の値が下がらず、なかなかご飯にたどり着けなかった。
24時間、点滴につながれたままで。

でも、こんな病気なんて病気の内に入らないと、
同室に入院された人たちの症状を知るたびに強く思った。

時を同じくして、ニュージーランドでの地震があったようで、
被災された人たちの体、心を思うと、
こんな所でぬくぬくと、点滴を受けている場合じゃないのになと
思ってもいた。

摂取カロリーも約600キロカロリーで、
意欲や考える力を確実に奪われている感じもした。
新聞や本を読んでも、上の空の感じだった。

それよりも、気がつくと朝でも昼でも夜でも
2時間ぐらいつつ、熟睡していたことだ。
体が壊れてしまったのかなと思えるぐらいに。

それでも体力は落ちないように
ベッドサイドでのスクワットは欠かさなかった。

まだまだ先が見えない入院生活は続くのだった。



posted by でんちゅう at 09:06| 身体
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