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2011年04月11日

危険予知能力

今朝は曇りがち。

東日本大震災が起こってから今日で1か月。
1か月の14時46分までは、つつがなく生きていたのだ。
自然の驚異と恵み。
改めて実感する1か月だった。

最近、新聞紙上で津波にどのように遭遇したのかという記事が多い。
生き残った人の行動や判断が書かれている。

それを読むたび、私は中学校2年生の時に、
近くの堤防が決壊した時の父の行動を思い出す。

秋雨前線と台風で雨量が多い日が続いた。
父は、川の水量を見に行っていた。
堤防が決壊する朝に、
「これはもう、堤防が壊れる。
場所が分からないけど、お父さんはこれから車を高台に置いてくる。
お前たちは1階にある物をとにかく2階の高いところへ積み上げなさい」と
言った。

多少の恐怖があったものの、とにかく父の言われるとおり、
妹と2人でどんどん、積み上げた。

母は近所に堤防が決壊するから、荷物を2階へ持って行った方が良いと知らせにいった。
中には、真に受けない人もいたようだ。

そして10時半ごろ、決壊したと連絡があった。
住んでいるところから、下流約3キロのところだった。
立地的には水は下へ流れるはずだが、
住んでいたところは輪中地帯で集落ごとに堤防が設けられている。
被害を最小限に食い止めるために、下流の堤防の水門が閉じられた。
行き場の失った水はどんどん上流に上ってきた。
その様子を見ていた知人は水煙を立ててまるで津波のようだったといっていた。

私の家にその水が流れ込んできたのは夕方の4時ごろだった。
父と母は、「気を付けて中学校へ避難しなさい、お父さんたちは家を守るから」
と言って私たちはお尻まで水につかりながら、避難所となった中学校へ行った。

翌朝、あたりはまるで海のようだった。
家は床上1m以上、浸水したらしい。

3日ぐらいで水が引いた。

しばらくして、親せき、縁者がたくさんやってきて
家の片づけをしてくれた。
家の前の道路はがれきの山となった。

父の判断で、我が家は被害にあったものは少なかったようだ。
水は来ないと高をくくっていた人は、大変だとこぼしていたらしい。

自然の中で生きてきた父は、きっと危険予知能力が高かったのだろう。
この大震災についてなんとコメントするのだろうかなぁって。

今朝、父の写真の前で、大勢の人がそちらに行ってしまわれたから、
お父さん、よろしくねと心の中でいってきた。

残された人々たちにどうか勇気をと思う。


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