2018年10月28日
型を稽古する意味( '∀ ' )?
最近は、型の稽古を行うにあたり、以前よりは「迷い」を抱かずに取り組むことが出来ていると内省しています。
どうも、かつおです。
松濤館流の空手の昇段審査を目前にして、「四十にして惑いまくっている」状態でしたが、またそれも大切な修行過程だと思うことにいたします。
と言いますのも、空手の型というものについて、結構な頻度で認識や考え方が移ろって来たなぁと振り返っている次第でありまして。
きっかけは、故横山和正先生の生前のブログ記事。
記事の本文ではなく、お弟子さん達とやり取りされたコメントの一文。
「瞬撃に関して大切な事は、型の枠を取り外す作業です。型は動きを封じ込めるものではなく、動きの原理原則を身体にインストールするものです。大変な作業ですが頑張って下さい。」
ちょうどこちらの本を読み終えたところに、上記のブログ記事を見たものだから、色々と想い・考えがリンクしてしまい、記事にしてみた次第です。
これまでの不肖かつおの「型」というものに対しての認識を時系列で振り返ってみます。
◯幼少期〜中学生
和道流空手を親の勧めのままに稽古し、「型」とは何ぞやなんて考えたこともありませぬ。先生にやれと言われて是も非もなく稽古していました。
◯高校生
学校での不当な暴力を機に、実践性を求めて他流派へ移るも、そこは「型」を一切行わず。よって考える機会すらありませんでした。
◯大学生〜39歳空手再開まで
ダンスの動きに空手の身体の使い方が似ているし応用できる不思議な感覚を抱いた記憶があります。0→100の力の入れ方や、極めの際の締めがロックダンスで大いに役立ちました。
◯39歳空手再開〜1年目
宇佐美選手のチャタンヤラクーサンクーをYouTube見て、「自分も人に感動を与えられるくらいカッコいい型を打ちたい!」と思って空手を再開しました。つまりは「見た目がカッコいい動作」というくらいの認識しかなかったのであろうと想います。
◯1年〜1年半くらい
分解動作に無理がある説明が多い。沖縄空手の型と、随分趣が違うのは、正しい理合が継承されていないからではなかろうか?
◯1年半〜2年くらい
型の動きがそのまま実戦に使える理合であるというわけではない。鍛錬型、実戦型という区分けも必要ない。全てが鍛錬のためのもの。実戦で役立つ「筋骨」と「神経系」を「最大公約数」的にまとめてくれたものが空手の型なのか?
◯最近〜
理屈ばかりで頭で理解しようとしても無理。ええから黙って全力の全速力で限界まで稽古せぇ!
というようなコトを考えて来たのだと振り返りました。
遠回りはしましたが、横山先生の言われる、型は「動きの原理原則を身体にインストールするもの」ということに近い考えに至れたことは、少しホッとした部分もあります。
ただ、「型の枠を取り外す作業」という表現については、全くもってピンと来ていません。
これについては、今後の修行の中で感得することができるものと信じて、今は実直に昇段審査に向けて稽古を続けて参ります。
まとまりなく長文となってしまいました。お付き合いいただいてありがとうございました♪
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