新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2018年12月23日
施設長が自爆する原因は〇〇のコントロールができていないから!
施設長が自爆する!
つまり
自分で自分を追い込んでしまう状況に陥る
ということですが、
代表的なものが
人間関係
ですね!
自分はここまでやっているのに
相手のことを考えて
いろいろしてあげているのに
裏目にでる、
特に
従業員全体から
総バッシングを受ける!
なんて状態は
まさに自爆!ですね。
今回は
ある重要なものを
コントロールするだけで
この自爆が防げる
というお話です。
そのあるものとは
ずばり
怒り!!
です。
怒りは
攻撃
です。
どんな理由があっても
攻撃です。
攻撃された方は
それに対して
防衛
します。
防衛には2つあって
避ける、逃げることで傷つかないようにすること、
攻撃して来る相手を攻撃して原因を潰す
です。
僕が昔ユニットリーダーをしていたとき
ユニット全体の悪いところを書き出して
告知しました。
結果は
総スルーです。
無視とまでは行きませんでした。
それはみんなの優しさだったのでしょう。
よくなるどころか
みんなの目は
ますます活気を失っていました。
僕が
「なんでみんなもっとちゃんとやらないんだ!」
という怒りをコントロールできなかった結果
みんなのやる気をなくして
さらに自分が攻撃の的になる
自爆をしてしまったのです。
やっている方は
「当然だ!」
「みんなのためだ!」
なんて思っていても
怒り
が隠されていると
それは伝わります。
もちろん
直接的に怒鳴りながら叱りつけても
それはまず
攻撃された
と相手に伝わります。
怒鳴るのは
相手のためではなく
自分の感情が爆発しただけ
ですから。
それに理由を付けるのは
自分への
言い訳
でしかありません。
まず怒りを知りましょう。
この世に「悪」は存在しないのです。
「悪」=「自分が気に入らないこと」
です。
ではなぜ気に入らないのか
考えてみましょう。
怒りは
二次的感情
と言われています。
怒りの裏側には
隠れた感情があります。
一番多いのは
「不安」
です。
施設長やリーダー
責任ある立場の人は
いろんな不安を抱えているのではないでしょうか?
経営が不安。
みんなのために必死でお給料を払っているのに
なんでわかってくれないんだ!
このユニットがよくなるために
残業して、家族犠牲にしてるのに
何もしないあなたたちはなんなの?
こんな怒りが沸いてきていることを
まず認めましょう。
そして、それを否定しません。
怒りの感情が沸くのは
当たり前です。
人として普通のことです。
自分がなんで苛立っているのか
を知ることが大切です。
そうしたら
冷静に考えてみましょう。
イライラしなくなるちょっとした習慣 60万人の怒りをしずめてきたアンガーマネジメントの [ 安藤俊介 ] 価格:1,404円 |
この怒り、
相手に関係ありますか?
施設長として辛い仕事をしているのは
ほかの人のせいでしょうか?
少なくとも自分で選んだこと。
お給料もその分もらっているはずです。
そして
自分が何をしたいのか
もう一度考えてみてください。
自分は人より仕事をして
していない人を見下したり
怒鳴りつけるために
頑張っているのでしょうか?
自分が働く目的を思い出したら
現状を
一番よくするにはどうしたらよいか
考えてみましょう。
怒鳴られて元気が出る人は
なかなかいないと思います。
世間を度々騒がす
パワハラ問題
でもよくわかるように、
これからの時代
上に立つ人間は
怒りに任せても何も好転しない
ということがわかってきました。
社員が元気になれば
会社が元気になります。
会社はみんなが作っているもの
だからです!
価格:626円 |
マンガでやさしくわかるアンガーマネジメント [ 戸田久実 ] 価格:1,512円 |
-
no image
2018年12月22日
施設長が知らないとマズイ!介護職の不満と本当の原因
介護の現場からは
いろんな不平不満
トラブルが
ありますよね・・・。
これ
正面から解決していると
ちょっと
要注意!! です。
「ここが大変」「あそこが辛い」
業務を簡略化、辛い業務を分散、省略
「あの人何とかして」
指導や面談、調整により解決。
するとどうなるか・・
「今度はここも大変」「今度はここが辛い」
「今度はあの人も何とかして」
止まりません。
なぜでしょう・・・・
現場から
不平不満
人間関係のトラブルが起きる
原因は
ズバリ!
仕事が不快だからです!!
施設長として、管理職として、
従業員が
どのような仕事をしているのか
具体的に
知っていますか?
どのようなところに
負担を感じているか
知っていますか?
仕事がつまらない
辛い
そうなると
人はその不快感に理由をつけます。
だから
会社が嫌い
あの人がムカつく
となって
会社を去っていきます。
「仕事なんだから仕方ないだろ」
それはごもっともです。
でも
楽しい職場もあるんです。
その職場を作れるのは
施設長や管理職の方々です。
介護職員キャリアパス構築・運用マニュアル (NHCスタートアップシリーズ) [ 日経ヘルスケア ] 価格:12,960円 |
まさか・・・とは思いますが
こんなことしてませんか?
部下の提案に意見をつけて
提案を取り下げる
なんてことをしていませんよね?
部下からの意見に
「意味がわからない!もっと勉強してから意見して」
なんて言ってないですよね?
職場がつまらなくなる
一番の原因は
会社が
意見を聞いてくれない
提案を受け入れてくれない
ということです。
だってそれができなかったら
会社に存在している意義がないですよね。
そんな社員はだんだんと心を閉ざして
言われたことだけをやる
ドライな職員になります。
辛いことを減らしても
楽しくならない!!
これはもう鉄則です。
辛い職場を楽しくするには
楽しいことを増やす以外にありません。
楽しくなれば
心地よくなる
ので、自然と不平不満や
人間関係のトラブルも消えていくんです。
スタッフに「辞める!」と言わせない介護現場のマネジメント新版 できる介護職を失わないための現場管理者の実践マニュ [ 田中元 ] 価格:2,052円 |
目の前の問題を解決しても
疲れるだけですよ!
楽しい職場を作りましょう!!
いざという時の介護施設選びQ&A (介護Library) [ 三好春樹 ] 価格:1,512円 |
2018年12月21日
介護福祉士 来秋から勤続10年8万円アップの謎
勤続10年以上の介護福祉士に8万円相当の賃上げが決まったようです。
僕、すごく疑問があるんです。
社会保障費って
お金なくて困ってるんじゃ・・・・
なかったですか?
大きな疑問として、
お金払えるの?ってとこです。
これって
「少ないから払える」
ってことですよね?
人材が増えて
ものすごい額になったら
払えませんよね??
人を増やすために
賃上げするのに
増えたら維持できなそうな制度・・・って?
多分ある程度支払い対象者が増えたら
対象者の条件変えますよね。
っていうことは
今8万円+の給料もらっていても
突然もらえなくなる不安があるということですよね。
そもそも
長く勤めたらお給料が増える!
だから続けよう!
介護福祉士になろう!
っていうことを狙っているんでしょうか?
でも実際は
「この制度は私が10年働くまで続くの?」
頑張ってもこんなむちゃくちゃな制度続くの?
信用できない。
という不安。
「あと10年低賃金ならほか探したほうが早い」
低賃金で職を離れるのであれば
10年後、あるかどうかわからない加算のために
介護福祉士を目指す人は
いないのではないでしょうか??
やさしくわかる!すぐに使える! 「介護施設長&リーダー」の教科書【電子書籍】[ 糠谷和弘 ] 価格:1,700円 |
なんでしょう。
僕ももらえたら助かりますが、
なんとも不思議な制度です。
ちなみに、
8万円が直接もらえるわけではありません。
8万円相当
というところが曲者で
お金は事業所に支払われて
実際の配分は事業所に任されます。
ある程度の賃上げをしなくてはならず、
基準を満たさないときは説明が必要らしいですが。
なんとも怪しいし、不思議な制度です。
お金のかけ方が違う気がするのは
僕だけでしょうか?
PHASE3(2018年5月号) 最新医療経営 特集:4月スタート!「介護医療院」に未来はあるか? 価格:1,296円 |
2018年12月20日
押しまくるナースコールの解決方法
介護施設ではよくあることですが
今日はその対応を事例をもとに考えてみます。
ナースコール押しまくり事例
Aさん:認知症中:日常生活自立度判定C:95歳女性
半年前に謎の血便で入院後から緩やかに体調低下が見られる。
性格はとても穏やかで
いつもニコニコされています。
しゃべれないので意思疎通が難しいですが
言われていることは分かっているようです。
起きていると車椅子を前後させて
食後には
「部屋に連れて行って」
アピールをすごくします。
そして横になると
すぐに
ナースコール連打が始まります。
対策1:呼ぶ理由は何?
初めはトイレかと思いました。Aさんは座位保持困難な状態で
トイレには基本的にお連れできません。
また排泄があった直後でもナースコール連打があります。
寂しさや不安ということも考えましたがご家族は週に回以上来られ
僕たちも結構な頻度でコール対応しています。
結果
理由の特定はできませんでした。
対策2:家族の写真
枕元にいつでも見られるように
家族の写真を起きました。
が、特に効果なしでした。
対策3:別のものを置く
なんとなく押してしまうほど
認知症が進んでいるようにも思えなかったのですが
他の物を置いてみました。
しかし
的確にナースコールを選び
押していることから
やはり
ナースコールをわかって押しているようでした。
そしてこれも効果なしでした。
対策3:来る時間を具体的に告げる
ナースコールがなっていると
ほかの人のナースコールがわからない
という問題がありました。
そのため
「何分後に来るから、押さずに待っていてください」
と説明。
しかし効果なく
押しまくっている。
対策4:事情を説明する
ナースコールを押し続けてしまうと
ほかの人のナースコールがわからなくなってしまう件
お話するが
通じず。効果なし。
対策5:起きている時間を長くする
車椅子前後運動が延々続くため、お尻に褥瘡発生。
褥瘡予防クッションを使っているにもかかわらず。
・・・
とまあ、
いろいろやったのですが
結果変わりませんでした。
ただ、
職員のこんな一言で
事態がかわりました。
「体調が衰弱しているAさんにとって
ナースコールは
他の人たちとつながる
唯一のものなんじゃないの?」
・・・・・
本当はナースコールを押すことに
意味なんかないのかもしれません。
でも、
今Aさんの体調は
緩やかですが
確実に低下しています。
1年後
365日後
Aさんが同じベッドで
寝ているとは到底思えません。
そんなAさんから
ナースコールを取り上げよう
という気持ちにはなれませんでした。
ナースコールは
必ずしも
人を呼ぶために使われる
わけではないのだと思いました。
もちろん施設として
ほかの方の影響も考えて
対策も必要ですが、
機能的な面だけではなく
こうした心に寄り添える職員の意見を
大事にすることは
介護の質を上げるためにも
とっても大切だと
僕は思います。
ナースコールは相変わらず鳴りっぱなしですが
もうちょっとだけ
見守ろうと思います。
【ナビス】車椅子用離床センサー PA−CHAIR 【fsp2124-6m】【02P06Aug16】 価格:17,172円 |
突然の立ち上がり・転倒予防にサイドコール・ポケット SCP-8 離床センサー 徘徊防止 介護用品 価格:67,861円 |
2018年12月17日
ナースコールの闇
ナースコールとは
介護施設や病院において
患者や入居者が
体調の異変や
用事を頼みたい時に
職員を呼ぶための機械です。
そこまでは良いのですが、
介護施設では
設置義務が有り、
認知症などの理由があっても
これを安易に外してはならない
決まりがあります。
お役所からも
指導されます。
外すのは
呼ぶ権利を奪う虐待だ
ナースコールは
入居者の心のサインだ
しかし、
多忙すぎる介護現場で
本当はなにが起きているのでしょうか?
真実の扉を開けてみましょう。
ナースコールは適切に使えば
便利な道具です。
介護施設で問題になっているのは
「押しまくる人」
です。
何度も職員を呼ぶ人。
この行動は
不安や寂しさも含まれています。
何度もボタンを押す人。
目の前にあるから押す人や
「電気がつかない」など
違うものと勘違いして押し続ける人がいます。
介護施設をサービス付き宿泊施設で
介護職員を雑用がかかりと勘違い
している人が
頻繁に職員を呼ぶ
ざっとこの
3タイプ
が特養でボタンを押しまくる事例です。
ナースコールの対応が可能なのか?
ただでさえ多忙な介護職員ですが、
そもそも
このような鳴りまくるナースコール
に対応することは
物理的に可能なのでしょうか?
特養介護職員の仕事量は
殆どの場合
普通にこなせる量を超えています。
その中でのナースコール頻回。
まず鳴るたびに伺うことは
不可能!
です。
頻繁に呼ぶ人は
後回し
にするしかありません。
入居者の気持ち
認知症の人の心を知る
わかっています。
でも、
その裏で
ものすごく悪いことが起きています。
機械で呼ばれることを
便利で効率が良い
というのは大きな勘違いです。
やったことがある人は
わかると思いますが、
機械で呼ばれるのは
無機質で
まるで自分が
ただの道具
のような気持ちになります。
そこまでは仕事だから
で仕方ないとしましょう。
今度は職員も
呼ぶ相手を
無機質な
物
のように感じ始めます。
呼ばれた理由をさっさと解決して
優先順位を考えて
心がどんどん
ドライ!
になっていきます。
職員だって本当は
対応したい!んです。
でも無理なんです。
一人で10人の対応です。
10人が効率良いタイミングで
読んでくれるはずがない。
トイレや食事
寝る、起きるタイミング
も人間だから
重なります。
それでも
辛い思いをさせたくなくて、
頑張って回っていると
半分位の人は
何も言いません。
「いそがしいね」と
行ってくれる人もいます。
でも
「遅い」
という人も必ずいます。
「なんですぐ来てくれないの」
人助けをしたくて
この仕事を選んだのに
無茶なほど仕事がたくさんある中
必死に走り回って
「おそい!」のクレーム。
純粋な人ほど
簡単に心が壊れます。
辛くて辞めるか、
心がドライになって
介護とはそういうものだと思って
入居者にドライになっていく。
職員はナースコールを受信するための子機
を持っています。
しかしこれ、
複数受信できる機能が無い
場合が多いのです。
つまり
一人がとめどなく鳴らし続けると
ほかの人が押しても
受信できないのです。
なぜかというと
鳴り続けるナースコールを
数秒ごとに止めながら作業はできません。
だから職員は
そのまま鳴りっぱなしにしておくか
保留状態にして留めておく
のです。
だからほかの人が呼んでいても
受信できなくなります。
結果職員は
ほかの作業をしながら
ほかの誰かが読んでいないか、
離床センサーがなっていないか
など半分ほかのことを考えながら
業務に当たることになります。
職員を呼ぼうと思って呼ぶ人は
まだなんとか対応ができます。
そうでない人は
本当にどうしようもなくなります。
放っておくと押し続けるし
手の届かない所に置くと虐待と言われる。
でもどうしようもない。
職員はどうするか?
当たり前のことですが
バレないように
おさせない方法を考えます。
夜勤などでは簡単です。
ナースコールをどけます。
職員もわかっています。
いけないことだと。
でもどうしようもないのです。
こうして
職員の心はどんどん壊れていきます。
ナースコールを正しく使えない人がいたら
施設長や主任などの上司を含め
会議を行うことが大切です。
施設長は特に
こういう実態がないか気を配り
絶対に頭ごなしに
「ナースコール外すなんて!」
ということを言ってはいけません。
職員は
「大変だ」
「きつい」
という曖昧な表現で訴えてきますが
そんな理由で外してもいけません。
物理的に無理な理由、
外すことが入居者に必要な理由
これが
どうしても外さなければいけない理由
として
誰もが納得できること
その後安易にナースコールが取り外されないこと
を考えて、それを提案します。
そして
家族とも話し合って
しっかりとした手順を踏んで
ナースコールを取り外します。
無茶なナースコール
これを放置しておくと
職員の心は壊れていきます。
さらに放置しておくと
不適切なケア
最悪、虐待など
寂しい介護が当たり前の
ドライな施設になってしまいます。
無意味にナースコールを維持することは
超多忙な業務の中で
職員のやる気も理想も
どんどん壊していきます。
この壊れた心を
修復するためには
研修や職員のフォローを
しなくてはなりません。
その時間も労力も
ものすごくかかるのですが
それでもナースコールは
効率が良いのでしょうか?
2018年12月15日
介護職員と高齢者の死生観の違い
高齢者介護と言えば死とは身近な職業であるのは当たり前のことです。
当たり前だからこそマヒしてしまっているところもあるのではないでしょうか?
僕は正直これで良いのかな?と感じることもあります。
介護職がどのように高齢者の死を受け止めているのか考えてみます。
保育や若い人の介護とは違い高齢者介護に死はつきものです。
死に近いからこそ介護が必要になってきているということも言えます。
死が起こることは当たり前に想定できるので、介護ではその死に対する備えが必要になります。
体調の急変時の対応、急死した時の対応などは各事業所想定しているはずです。
しかし、本当にそうなっているのでしょうか?
介護職員は当然ながら高齢者の死を客観的に見ています。
プロとしては当たり前のように感じますが、現場で働く僕としては疑問があります。
高齢者が抱える死への本当の想いを理解しないで接しているのではないか、死を簡単に考えすぎているのではないかと思うことがあります。
もちろん軽い気持ちで死を見ているわけではありません。
しかしそれは「自分にかかる責任」として死を重く受け止めているだけであって、死が高齢者本人にとってどの程度重いことなのかはあまり考えられていません。
命が大切。人の死をかることとして扱っていけないことは人としての倫理でなんとなくわかると思います。
しかし介護職員が扱う死への重さとは「自分が死なせてはいけない」ミスや自分たちが関わることで死が早まることがあってはいけないという責任感です。
高齢者がやがて死ぬということは当たり前に受け止めています。
しかし実際に死ぬ高齢者は自分が死ぬことは「当たり前に起きること」ではないのです。
高齢者は自分の死をどのように受け止めているのでしょうか?それは高齢者本人でない限り想像でしかありません。
しかし想像してみてください。
自分が死ぬことが当たり前でしょうか?
高齢者がよく使うセリフで「老い先短いから」「来年はいないかもしれないから」。
これはどのような気持ちで言っているのでしょうか。
人は歳をとったからといって明日死ぬことが当たり前になるのでしょうか?少なくとも何歳になっても死への恐怖は変わらないのではないでしょうか。
40代、50代から少しずつ同世代を生きた人たちが死に始め、60代、70代で周囲で死が頻繁に起き始めて80代、90代になるとそれまで自分の人生の中にいた同世代の人帯はほとんど死んでいるという状態です。
もし自分がそういう状態になったら、自分は自分自身の残りの命をどのように考えるでしょうか。自分の命があと2〜3年。いや、1年ないかもしれない。高齢者の心の中には日々そんなおもいがあるのではないでしょうか。
死への思いは人それぞれです。しかし介護職員は高齢者が死ぬということを当たり前に思っているわけではないということは理解しておいたほうが良いと思います。これを理解しておくと高齢者の心理を知ることの役に立ちます。なぜわがままなのか、なぜがんこなのか。なぜこんな些細なことを主張するのか。人はいつ死ぬかわかりませんが、介護職員として働く人と高齢者では残された時間が明らかに違います。高齢者がどのような気持ちで生きているのか。それを知ることは良いケアにつなげるためには必要不可欠なことです。
2018年11月23日
ユニット型特養の闇
特別養護老人ホーム(以後特養)は
これから超高齢化社会を迎える日本において、
限られた財源の中で
効率よく
介護サービスを提供するためには
必要不可欠な
器です。
小さな入居施設がたくさんあると
それだけで経費がかかります。
かといって
「流れ作業」
「プライバシーがない」
とされる従来型の特養では問題も多く、
考えられたのがユニット型特養でした。
しかし、
僕はユニット型特養がかなり強引な形で
理想を押し込んでいるように感じています。
その結果,
実際どのようなことが起きているのでしょうか。
現場で働く介護職の目線として語ります。
従来型特養では「流れ作業」のような介護、多床室や大浴場での合同入浴などプライバシーの欠如、その他介護のシステムとして利用者の尊厳を守りにくいとされていました。それを改善するために入居の部屋を原則個室とし、お風呂も一人ずつが入る「個人浴槽」が基本とされました。これによって利用者は居室でプライバシーのある生活が可能になり、排泄や入浴も他の利用者に見られることなく尊厳を保つ生活ができるようになります。
利用者を多人数一斉介護ではなく、個室、10人程度の小規模な単位に分けることで職員の目も行き届き、個別性、人それぞれにあった生活を支援する手厚い介護が実現可能となります。
特養施設が要介護者の収容施設ではなく、施設に入っても今までの生活を可能な限り続けることのできる、生活の延長の場としての施設サービスを提供することが可能になります。
利用者をユニット別、
個室に分けることと尊厳を守ることは
全く違うことになりました。
確かに同じ部屋でおむつを交換されたり、
一斉にお風呂に入れられることはなくなりました。
その代わりトイレに行ける人が
トイレに行けない!
という事態も起こるようになっています。
従来型は利用者数も多かったですが、
職員も複数配置されていました。
ユニット型特養にしたまでは良かったのですが
十分な人員配置ができる環境
を与えなかったため
日中動ける職員が基本的に1名
になってしまうケースが多くなりました。
2名と3名は大して変わりませんが
1名か2名かは大きな違いがあります。
1名だと
自力で立ってズボンを下ろすことができない人
をトイレに連れていくことができません。
誰か応援を呼ぶなど対策を講じれば良いと、
簡単に思うかもしれませんが
特養施設には
他にもやらなくてはならない!
と義務化されたことが山ほどあります。
一人の人が一日に何回トイレに行くでしょうか?
このような助けを必要とする人が
ユニットに一人いたとして、
100床なら10人。
10人がトイレに行きたくなるたびに
ランダムで人を派遣することは
簡単ではありません。
利用者が
トイレに行きたい時に連れて行ける環境
を作ることは至難の業です。
結果何が起きるかというと、
職員は理由をつけて
「トイレは無理なのでおむつで」
という話に持っていくようになっていきます。
トイレに行ける人を
トイレに連れていける可能性
が少なくなりました。
ただ壁で仕切る、
見えないということが
プライバシーや
尊厳の保持と呼べるのでしょうか?
個室にすることで
目が行き届かなくなり、
介護はさらに手薄になりました。
一斉介護
ではないということは
それだけ
ひとりひとりに時間がかかります。
壁があるため
誰がどうしているのかわかりにくくなり、
人手もなく
時間もないために
「(ナースコールで)呼んでもなかなか来ない」
ということが起きます。
このナースコールも
「闇」の一つで、
ナースコールさえあれば
適時に介護が行える!
と勘違いしている人が多くいます。
しかし実際はどうでしょうか?
服を着替えるのに
何分かかりますか?
悩みを聞いて
対応するのに何分かかりますか?
壁がなければ
優先順位もわかりやすく、
待っている方も
「今忙しいのか」
「次は自分かな」
と状況がわかります。
しかし、
壁があるために
「なんで呼んでも来ないんだ」
「自分が後回しにされているのではないか」
と介護サービスに満足するどころか
不満が大きくなっていきます。
また転倒の危険がある利用者は
個室化することで
危険の予測がさらに難しくなりました。
手厚い介護とはどのようなことなのでしょうか?
個室化することで
利用者の居住空間を
個性に合わせて
レイアウトすることが
できるようになりました。
まるで自宅の部屋のように
自分の使いやすいようにすることも可能です。
しかし
特養はどのような人たちが
利用するか考えてみます。
介護保険の規定により
特養の入居者は
「原則要介護3以上」
とされました。
「要介護3以上」
とはどのような人たちでしょうか?
多くの人は認知症
を抱えていたり
麻痺などの障害
を抱えていたりします。
認知症の人は
自宅でティッシュを口に入れても
危ないね
で済みますが
介護施設では大問題です。
自宅のようにものを置くのは
施設側にとって
相当なリスク
を背負わせることになります。
また障害のある人は、
自宅のようなレイアウト
よりも早く手伝ってもらいたい
ということのほうが多く、
個室により作業時間が増して
細分化された職員配置で
より不便な思い
をするという面もあります。
10人の
要介護3以上の利用者
を職員一人で介護する状況において、
自宅のような生活の延長
というのは
利用者にとって
それほど優先度の高いこと
と言えるのでしょうか?
従来型特養の介護は
悪い介護のお手本
のように扱われ、
新設の特養は原則ユニット型に限る
とまでされ、
従来型を根絶させる
かのような政策も行われてきました。
しかし
ユニット型特養から
問題点が浮き彫りになり、
従来型には従来型の良さがある
ことが認められるようになりました。
例えば
「個室=プライバシー=幸せ」
という
思い込み
があったのですが、
孤独を感じる高齢者の中には
従来型のような大部屋を好む
という人もいることがわかってきました。
また
ユニット型特養の問題点
から見てもわかるように、
問題は
「建物の形」
ではなくて
「介護の中身」
であることがわかってきています。
現実に
従来型徳用でも利用者が
活き活きと生活し、
質の良い介護サービス
を提供しているところが
たくさんあります。
利用者をユニット別、
個室に細分化する
と同時に、
職員の配置も細分化
されてしまいました。
以前から介護施設は
「密室性」
が問題になっていました。
事故や虐待、
不適切なサービスがあっても
施設内の雰囲気や現場職員の同意によって
公に報告されない、
隠蔽される
などの問題がありました。
ユニット型特養は
範囲をユニットや個室
というさらに狭い空間にし、
対応する職員が
実質1名
という密室性を
さらに助長する形になりました。
極端な言い方をすれば、
事故や虐待が起きても
報告するかどうかは
対応する
1名の職員
の判断に委ねられる
という状態です。
これは利用者にとって大変危険な状態とも言えます。
ユニット型特養を開始した当初は、
質の良いサービスを効率よく提供できる
と考えていた政策でしたが、
実際は
従来型特養が悪かったところはカバーしても
別のところが悪くなり
サービスの質が
明らかに向上した
とは言い難い状況です。
さらにユニット型特養は
個室を作るため建設費用もかかります。
介護報酬も従来型より高くなります。
それほど効率的とは言えない状況の中、
このユニット型特養の
普及と維持
にはそれなりの費用がかけられています。
国が示した
特養の待機者数は
非常にいい加減で、
大きな数字だけが
ひとり歩きしていました。
その理由としては、
複数の施設に申し込んだ
重複した待機者を
数えていなかったこと。
そして
待機者が
都市部に集中していたことです。
施設介護が必要になる状況は
段階的に進むことは少なく、
骨折や認知症の発覚などにより
急を要して起こります。
そのため家族は
急いで入れるところを探して
急性的に
いくつもの施設に問い合わせをします。
1つの施設に問い合わせて
空くまで待つわけではないのです。
そのため
各施設の待機者数を合算して
大きな数字になってしまいました。
都市部では人口が集中しています。
人が多く住んでいるからといって
特養施設も同じ割合
で立てられるわけではありません。
当然近い施設から問い合わせるので
都市部で待機者数が増える
ことになります。
逆に、
この数字だけを信じて
各地で特養を乱立させた結果
「あれ?利用者がいない」
ということが発生します。
現状
都市部を除いて
多くの都道府県で
入居者の争奪戦や
特養の空室が起き、
特養の運営を苦しめています。
ここまで問題だらけだと
なんのために
ユニット型特養が必要であったのか
わからなくなってきます。
しかし
ユニット型特養にも
存在した意義はしっかりとあります。
ユニット型特養がもたらした
一番良い効果とは
「介護に新しい風を吹き込んだ」
ということだと思います。
従来型特養に絶望し、
介護に希望を感じられなくなっていた介護職も
たくさんいたと思います。
そこに
ユニット型特養が現れることによって
「え?なに?そこならいい介護ができるの?やってみたい!」
そう感じた介護職員がたくさんいました。
ユニット型特養には
新しい介護の形、理想
を求めて転職してくる職員もたくさんいます。
もちろん
打ちのめされる人も多いのですが、
そこから
新しい希望や新しい介護の形
を模索する職員もたくさんいます。
今ユニット型特養が良いの
か悪いのかということよりも、
これからユニット型特養を
良いものにするかどうかは、
僕を含めて
働いている介護職員の皆さん
にかかっているのだと思います。
2018年11月22日
介護の実際、ぶっちゃけます!
僕は訪問販売の営業職を経て介護の業界に入りました。グループホームで10年勤務しながら介護福祉士を介護支援専門員の資格を取得してリーダー兼ケアマネージャーとして働いていました。その後「きつい」と有名な特別養護老人ホーム(以後特養)の介護がどんなものかという興味もあり特養に転職しました。
介護に関するニュースは増え、介護の仕事についての認識は社会的にも高まってきています。しかし僕は思うのです。介護のニュースや政府の見解は僕たちが働く現場とだいぶ違う。そしてなにより違和感があるのは、働いている介護職員もそのことに気づいていないということです。気づいていないというより無関心と言ったほうが良いのかもしれません。僕はそんな介護業界に疑問を投げかけたい。本当に介護が必要としていることは何か。介護が本当にするべきことはなんなのか。愚痴や不満ではなく、実際の介護をしっかりと受け止めながら明るい介護を築く方法を考えるためにこのブログを綴ります。
僕が特養に転職した理由は、特養が「きつい」と言われていたからでした。グループホームで認知症を抱える利用者さんたちの生活を支えるのもギリギリの状態なのに、さらに「きつい」状態とは一体どんな状態なのか。
・そんな介護が本当に存在するのか?
・そんなものが介護保険として成り立つはずがない。
・国がそんないい加減な仕組みを作るはずがない。
・きっと古い考えに囚われてやり方が間違っているんだ。
・僕がそんな介護を変えてやる!
こんな思いを抱いて、僕は特養へ転職しました。
特養で勤務して、僕は現実を思い知らされることになりました。
・グループホームよりきつい介護は存在する。
・そんなものが介護保険として成り立っている。
・国はそんないい加減な仕組みを作っている。
・最新の考えをもってしてもきつい。
・変えるどころか悪化していく。
グループホームは1ユニットで9人の認知症を抱える高齢者のお世話をします。事業所によりますが僕の働いていたグループホームでは1ユニット早番、日勤、遅番そして夜勤の1日4名で業務を交代していました。僕が転職したユニット型特養は1ユニット10人の要介護高齢者を早番または日勤、遅番そして夜勤の1日3人で業務を交代しています。利用者が一人増えるのに職員が一人減るのです。仕事量はありえないくらい多くありました。
特養で勤務する中で一番感じたのが、介護職、管理者だけではなくこの仕組みを作っているほとんどの人たちの価値観は、社会一般における価値観と大きくズレているということです。
僕の勤務している施設はユニット型特養です。これに対して従来型特養というものがあります。従来型特養は大人数の高齢者を極小数の職員で対応するため流れ作業、ベルトコンベア介護で人を人として扱えない、人が尊厳を保てないと社会から評価されていました。この従来型特養の評価を基準にそれよりマシな介護サービスを考え出し、なんとか少し良くなっている状況です。そんな社会一般レベルとは程遠い介護サービスの中に、社会一般の常識を無理やり責任として負わせるため結果的に何がしたいのかわからない介護サービスが行われています。
国が示す介護サービス、実際に行われている介護。様々な問題があります。それでも現場に困っている高齢者がいる以上、絶望するわけにはいきません。新しい介護を提唱する人たちも増えてきています。僕は微力ながら「介護のおかしいところ」を記事として取り上げながら、それを同改善していくべきかを提案していきたいと思います。
にほんブログ村