2018年12月15日
介護職員と高齢者の死生観の違い
はじめに
高齢者介護と言えば死とは身近な職業であるのは当たり前のことです。
当たり前だからこそマヒしてしまっているところもあるのではないでしょうか?
僕は正直これで良いのかな?と感じることもあります。
介護職がどのように高齢者の死を受け止めているのか考えてみます。
介護の仕事と死
保育や若い人の介護とは違い高齢者介護に死はつきものです。
死に近いからこそ介護が必要になってきているということも言えます。
死が起こることは当たり前に想定できるので、介護ではその死に対する備えが必要になります。
体調の急変時の対応、急死した時の対応などは各事業所想定しているはずです。
しかし、本当にそうなっているのでしょうか?
介護職員の死生観
介護職員は当然ながら高齢者の死を客観的に見ています。
プロとしては当たり前のように感じますが、現場で働く僕としては疑問があります。
高齢者が抱える死への本当の想いを理解しないで接しているのではないか、死を簡単に考えすぎているのではないかと思うことがあります。
もちろん軽い気持ちで死を見ているわけではありません。
しかしそれは「自分にかかる責任」として死を重く受け止めているだけであって、死が高齢者本人にとってどの程度重いことなのかはあまり考えられていません。
介護職員の高齢者が抱える死への誤解
命が大切。人の死をかることとして扱っていけないことは人としての倫理でなんとなくわかると思います。
しかし介護職員が扱う死への重さとは「自分が死なせてはいけない」ミスや自分たちが関わることで死が早まることがあってはいけないという責任感です。
高齢者がやがて死ぬということは当たり前に受け止めています。
しかし実際に死ぬ高齢者は自分が死ぬことは「当たり前に起きること」ではないのです。
高齢者の死生観
高齢者は自分の死をどのように受け止めているのでしょうか?それは高齢者本人でない限り想像でしかありません。
しかし想像してみてください。
自分が死ぬことが当たり前でしょうか?
高齢者がよく使うセリフで「老い先短いから」「来年はいないかもしれないから」。
これはどのような気持ちで言っているのでしょうか。
人は歳をとったからといって明日死ぬことが当たり前になるのでしょうか?少なくとも何歳になっても死への恐怖は変わらないのではないでしょうか。
40代、50代から少しずつ同世代を生きた人たちが死に始め、60代、70代で周囲で死が頻繁に起き始めて80代、90代になるとそれまで自分の人生の中にいた同世代の人帯はほとんど死んでいるという状態です。
もし自分がそういう状態になったら、自分は自分自身の残りの命をどのように考えるでしょうか。自分の命があと2〜3年。いや、1年ないかもしれない。高齢者の心の中には日々そんなおもいがあるのではないでしょうか。
介護職員ができる高齢者の死生観との向き合い方
死への思いは人それぞれです。しかし介護職員は高齢者が死ぬということを当たり前に思っているわけではないということは理解しておいたほうが良いと思います。これを理解しておくと高齢者の心理を知ることの役に立ちます。なぜわがままなのか、なぜがんこなのか。なぜこんな些細なことを主張するのか。人はいつ死ぬかわかりませんが、介護職員として働く人と高齢者では残された時間が明らかに違います。高齢者がどのような気持ちで生きているのか。それを知ることは良いケアにつなげるためには必要不可欠なことです。
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