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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年06月09日
救急車(その2)!
 おはようございます。

今日は、救急車(その2)!です。

その時の我輩は目の前すら見える状態ではなく周りの声や感覚でそう感じたのです。

救急車で川西市にある自衛隊病院へ搬送されたとき周りの慌ただしさに付いた事と

処置室へ運ばれたことを感じ取った直後・・・・

一人の看護婦さんから来ている戦闘服を切ることを告げられたのです。

別段切られることに抵抗はなかったのですが国からの支給品だけでなく

個人で購入しているものも当時の我輩は身につけていたからなのでしょう。

服を切って体から剥した後、いきなり一人の看護婦さんが我輩の上へ馬乗りになったのです。

その時、看護婦さんの手には気道を確保する器具が手にされていたのですが

我輩には到底見る事もなくただ苦しさの余り手で払ったのです。

力のない我輩でも苦しい時には思った以上に力が入っていたのでしょう。

一度は、看護婦さんも我輩の上から落ちたのですが

周りを取り押さえられ再び喉にはかなり抵抗のあるものが入れられ苦しさの余り

再び記憶を失ったのです。

その間、救急車は自衛隊病院から民間の病院へ搬送する手配をしていたのです。

当時の自衛隊病院の中では対処が出来ない状態

一刻も争う中必要最小限の処置をした後、県立西宮病院へ搬送されたのです。

どうした事か自衛隊病院から先は全くと言って意識がなく

最後に耳にした言葉は今でも心の中に・・・・

当時の医療の中で最善の処置をしてもらったおかげで

現在も健康に生活を送ることができるようになったのです。




 明日は、オモユ!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 03:34 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年06月08日
救急車(その1)!
 おはようございます。

今日は、救急車(その1)!です。

ここ何話かの内容と連携しているのですが

我輩がある事故で入院をした時のことです。

その事故というのも不思議なもので前回お話で紹介した

オリーブ園での坂道を落ちるタクシーのような状況にあったのです。

自衛隊の訓練中のトラックが坂道で停車をしたところ静かに坂を下り始めたのです。

運転手は訓練中のシェルターの中へ・・・・

トラックと反対側で最後の作業をしている我輩は

あの時の蝉を手にして見ていた時と同じ位置で・・・

その時、一人の若い隊員がトラックの真後ろで作業をしていたのですが

坂を下るトラックには気が付かず我輩は危険を感じ

トラックのドアを開けたのですあの時のタクシーの運転手と同じように・・・・

昔の古いタイプのトラックでボンネットがありハンドルは重く到底動くはずもなく

ブレーキに手をやるのが精一杯・・・

ブレーキも遊びが大きく手で押す程度ではトラックを止めることも不可能・・・

頭を切り替えトラックの運転席へ飛び乗ったのです。

ところが・・・・訓練中で背中には小銃がありトラックの扉を斜交いに・・・・

乗るつもりだったトラックから弾き飛ばされその後は・・・・・・

顔のあたりから何かが砕ける音が聞こえ周りは真っ暗に・・・・

その後、トラックの下から助け出された我輩は、宝塚動物霊苑まで

自衛隊のトラックの荷台で運ばれそこからは救急車に乗り換え病院へ・・・・

訓練場を民有地へ下りるまで訓練で使う竹を二本そこへは訓練中の隊員の戦闘服が

通され簡易タンカーを造り揺れる荷台で少しでも揺れないよう持ち上げ運んでくれていたのです。

救急車へ乗り換えた我輩に救急隊員が問いただしたのです。

君の血液型は?・・・・

幸いにもまだ意識があった我輩はAB型と伝えたのです

が、その場にいた救急隊員は、A型ですか?・・・・

辛い状態の我輩の脳裏には声が小さく聞こえなかったのか・・・・・

さらにAB型です。

その声に救急隊員はB型ですか・・・・

少し心の中に苛立ちを覚えた我輩だったのですが最初のAの部分が聞き取れなかったのか?

思いなおしさらにAB型ですと力一杯大きな声で叫んだのです。

その場にいた救急隊員はその声を聞いた後我輩にO型ですか?

その時の、我輩はO型なら誰に入れても大丈夫か・・・・・・

腹立たしく感じた物の静かに顔を縦に振ったのです。

その時、救急隊員は我輩の耳元でAB型ですね・・・・・

辛い状態の我輩の心の中では、最初から聞こえていたな・・・なんて救急隊員だ・・・・・

怒り半分と運ばれてゆく救急者の中で体の状態や意識の状態心中に闘志のようなもの

様々なものをくれたか・・・

そう思った頃に自衛隊病院へ辿り付いたのです。





 明日は、救急車(その2)です。





 では、また。

Posted by ビギン at 03:43 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年06月07日
手術台の上!
 おはようございます。

昨日は、一日お休みをいただいて少し体も楽になりました。

今日は、手術台の上!です。

プリンを口にするまでに約一月・・・・手術をしてから期間があったのです。

事故で運ばれ県立西宮病院で手術を受けることに・・・・

運ばれたときには、我輩の意識はなく手術に耐えうる心臓の鼓動がなかったのです。

心挫傷・脳挫傷・・・・後、幾つかの骨折を伴い危険な状態が何日か・・・・

当時、関西でも有名な整形外来を持っていた県立西宮病院へ大阪大学歯学部の口腔外科の

先生まで来られ手術のできる状態まで回復を待ったのです。

まるで生死をさまようようにベットでは夢なのか現実なのかわからない状態で横に・・・

家族も何人か見舞いに来てくれていたのですが家族とは別に二人・・・・

声が聞こえたのと帰る後ろ姿だけを覚えているのです。

その後、すぐに体力の回復する兆しが見え手術をする事に・・・・

手術台へ運ばれた我輩は担当の看護婦さんから酸素マスクですから

これをつけて酸素を吸う練習をしましょう。

そう言われ真面目に看護婦さんの吸って・・・吐いての言葉に合わせ2度大きく呼吸を

3度目を大きく吸ったところから先は、我輩の意識はなく手術が始まっていたのです。

時間にしてどれくらいたったのでしょう。

途中、幾度もほっぺをたたかれ口を大きくあけての声に賢明に口を開ける我輩・・・

しばらくすると、再びほほをたたく音と手術を担当する先生の口を開けての声・・・

どれくらいの時間、これを繰り返したのでしょう。

再びほほをたたく音で薄く眼を開けた我輩を確認した先生は周りの担当医と

コーヒーでも飲みに行こうか・・・・

手術台を照らしていたい幾つもある電気を消し暗くなった手術室を後にしたのです。

手術室には我輩の横たわる手術台がぽつりと・・・・

体から再び力が抜けてゆく我輩はこれからコーヒーを飲みに行くのか・・・・

我輩は・・・・どうなるんだ・・・・手術の途中で休憩?・・・・そんなバカな・・・・・

気がつくと再び明るくなった手術室の上で手術が再開されていたのです。

しかも・・・手術を担当している先生の声にはノミと金槌!

その後は、まるで頭の芯からゆすぶられる振動と骨がキシム音・ガリとかける音

なんだ・・・・ノミに金槌・・・まるで建設中の家みたい・・・

しかもかなりの振動…ひどく疲れを感じ目を閉じたのです。

静かな所へ再びほほをたたく音・・・意識の遠くでかすかに聞こえている・・・・

急にそのほほをたたく音がけたたましく大きなものに・・・・

根心の力でたたいたと思われる音に我輩は夢の中から現実の世界へ戻ってきたのです。

看護婦さんの目が覚めてよかったですね!これでもう大丈夫無事手術は終わりました。

朝までゆっくり休んでください・・・お疲れ様の声とともに眠りについたのです。

後で、一晩中自衛隊の営内班の班長が付き添ってくれていた事を聞きありがたく思うのと

再び元気な体に戻れる事を実感したのとで

その日はゆっくりと眠れたのです。

初めての手術の経験にコーヒーの話やノミや金槌まで出てきて

大変な反面不思議と気持ちの中では気楽にとらえることができたのです。




 明日は、救急車(その1)!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 11:02 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年06月05日
オリーブ園!
 おはようございます。

今日は、オリーブ園!です。

我輩の記憶の隅にかすかにある思い出の一つです。

小さい頃、母の田舎へ何度か行ったのですが記憶の隅にあるものは

母の実家の行事があった時、田舎へ行っていたように思うのです。

当然、母の兄弟もたくさん集まっており賑やかな思い出に・・・・

その中でもオリーブ園へ行った思い出があるのです。

季節は、今頃?より少し夏に近かったのかも・・・・

蝉がいたのを思い出すと梅雨のあけた頃だったのかも知れません。

田舎ですから身近に同級生や幼馴染、いろいろな付き合いのあった人と

再会することもあったようです。

当時、我輩が田舎へ行く時は小さな駅前からタクシーで母の実家まで・・・

話を聞いてみると同級生?運転をお願いする人が決まっていたのです。

その年は、実家に集まった親戚一同オリーブ園へ行くことに

オリーブ園からは、瀬戸内のエーゲ海と言われるほどきれいな海が一望できるのです。

オリーブ園へ入るとそこからは上り坂がありさらに頂上へ向けて歩くのです。

我輩達を乗せたタクシーも入口をくぐった坂の中腹辺りに止め降りたのです。

ちょうど蝉がタクシーを降りた反対側の木に止まっており人の手でも捕まえれるところに・・・

セミを取ってもらい近くで見ているところへ周りのざわめきが伝わってきたのです。

危ない・・・の声の方向を見ると・・・

我輩より前に停めたタクシーが坂を静かに下がり始めていたのです。

運転手もびっくりしたのでしょう。

あわてて運転席をあけサイドブレーキを引きなおしタクシーの後ろからは

叔父たちが手で押している光景が目に飛び込んできたのです。

静かに下がり始めたタクシーはそのまま止まり事なきを得たのです。

我輩の記憶の隅にはその時のきれいな瀬戸内海と蝉をまじかに見たことと

後、タクシーの後ろを押している叔父たちの姿が残り

オリーブ園の木や実の姿は・・・すっかり置いて来たようです。



 明日は、手術台の上!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 04:53 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年06月04日
プリン!
 おはようございます。

今日は、プリン!です。

昨日のお話で当時の事を思い出し今日、掲載します。

我輩の人生の転換期だったのでしょうか?

19歳の頃ある事故で入院をする事になったのです。

昨日のお話もその一部なのですが

当時の我輩は自衛官として勤務や訓練を受けていた頃なのです。

宝塚にある訓練場での事故で入院を余儀なくなったのですが

辛いのは事故のため口が開かないことなのです。

当然、口が開かないため食べることはできず、点滴での生活が続いたのです。

体の回復とともに空腹感がだんだんと強くなってゆくのです。

しかし、顎の骨を折っていたため固定をしている我輩は食べることが出来ない状態・・・

そんなある日、担当の先生から空腹感があるようなら牛乳程度のものなら口にしても良い

診断の結果先生から許可が出たのです。

前歯の少しかけた隙間からならストローがどうにか通る・・・・

そこから牛乳を・・・・その時、病院の売店でプリンが目にとまったのです。

プリンなら食感が幾分ある・・・

そう判断した我輩は買って病室へ・・・

プリンの蓋をはがしストローで飲んだのです。

一月以上口にものを入れていなかった我輩にはこの世で一番おいしいと感じるほど

その日から、毎日、3食・・・プリンを食べての入院生活を過ごしたのです。



 明日は、オリーブ園!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 05:01 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年06月03日
病院の壁が真っ赤に!
 おはようございます。

今日は、病院の壁が真っ赤に!です。

我輩がまだ20歳を迎えて間がない頃のお話です。

不意の事故から入院することになったのですが

合わせて歯の治療を受けた時のことです。

当時まだ自衛官だった我輩はある病院から自衛隊病院へ移り体調が良くなるまでの間

療養をしていたのです。

自衛隊の病院ですからほとんどその病院の中で治療が出来るのと

一部家族は来るものの病室となればほとんどが自衛官・・・・

我輩は昼の時間外来の窓口から歯の治療へ・・・

待合室でしばらく待つと順番が回ってきて我輩の名前が呼ばれたのです。

中に入ると民間の歯医者さんと変わりなく幾つかの治療台があり

担当の先生が来られ歯の治療に・・・・

奥歯を含め3本今日抜歯しましょう・・・・

でも・・・・大丈夫かな?・・・

先生の声とともに麻酔が撃たれその日は3本抜歯をし治療を終えたのです。

入院中の我輩は再び病室へ戻り自分のベットへ・・・

さすがに3本一度に抜歯をしたのですから少し熱が出てきて

その日はベットで静かに療養をしていたのです。

ところが・・・夜中目が覚めた時口の中に何かできもののような感覚が感じたのです。

看護婦さんを呼び昼間に治療した歯の具合が悪い事を伝え夜が明けるのをまって

再び歯科外来へ行くよう指示を受けその夜は再びベットで静かに横になっていたのです。

何度か寝ては目がさめを繰り返しているとなんだか喉のあたりにつかえる感じと咽ぶ感じ・・・

咳が出てくるしまるで映画で見る結核患者のようないやな咳・・・

口の中にできているものもさらに大きくなり耐えがたい状況に部屋の明かりをつけたのです。

すると・・・・我輩のベットの周りの壁が真っ赤に染まっているのです。

布団やベットに至るまで・・・

あわてて看護婦さんを呼び部屋の壁が真っ赤に染まっていることを伝えたのです。

口の中を見てもらうとそこには血の塊になった袋が出来ていて大きくなっていたのが

少しずつ胃の中へはいって行っていたのです。

まるで結核患者が咳をするのと同じ状況・・・・

胃の中に入った血を吐き出すために咳が出ていたのです。

我輩自身びっくり・・・初めて血を吐いたのですから・・・・

ベットの布団を新しいものに変えてもらいその日は横にならずナースステーションで

座って夜を明かし外来が開くのを待って再び治療をしてもらったのです。

先生いわく・・・やっぱりできたか・・・血儂・・・

歯の治療の時多くの歯を抜歯すると口の中の血が周りから塊

膿のうような塊となることがあるのだそうです。

知らない我輩はびっくりしたことと夜中に咳とともに吐いた血で

まるで入院患者のような表情に・・・・・

日頃元気に病院の中で生活してた分周りの看護婦さんからは少し病院らしくなった・・

今では、それも懐かしく感じるのです。



 明日は、プリン!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 03:34 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年06月02日
落語から!
 おはようございます。

今日は、落語から!です。

最近の我輩の趣味の一つに落語があるのです。

我輩自身が落語を話すのでは当然なく、

インターネットのサイトで聞いて楽しむ程度のものなのですが

中に興味を引くものも多く含まれているのです。

今日のお話はその中からここ数日のお話に関係があるのではと

思われるものを少し掲載しておきます。

落語でも近来珍しい分野なのだそうですが

郭話・・・昔の時代の赤線・青線といった部分のお話です。

知っている方も多いと思いますが

地図に赤い線で記した遊郭があった場所を赤線

地図に青い線で記した所にある遊郭を青線と言ったのだそうです。

赤線は政府・・・国が認めた公な遊郭で青線は否認可のものだったのだそうです。

その遊郭の通りの真ん中辺りにはガラス屋さんなるものがあったのだそうです。

当然、そこには通常の生活があったのですが

周りは、遊郭ですから昼と夜の顔があったようです。

昼間は、隣に住む女性とボール遊びをしていたと思うと

夜にはすっかり変り昼間にあった女性に誘われ遊ぶ・・・という事もあったのだそうです。

今、町にあるガラス屋さんを指しているのかは、我輩にはわかりかねる・・・

しかし、落語でガラス屋さんを取り上げるところに意味があるのではないのでしょうか?

郭話の中に出てくるガラス屋さん・・・学校じゃぁ教えない話。

遊郭で働く女性の中には辛い感情が多くある人もいたのではないのでしょうか?

子供のようにいやなことも忘れて日々生活が出来る

そうした何か深いものがあるのではないかと思う落語のお話でした。

今では、時代も変わり赤線・青線地帯などを書くと

部落問題としてバッシングを受けるかも知れません。

今も昔も必要に迫られガラス屋さんがあったのでしょうか?



 明日は、病院の壁が真っ赤に!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 03:31 | 冒険 | この記事のURL
2009年06月01日
大人と子供!
 おはようございます。

今日は、大人と子供!です。

昨日のお話と少し関係があるのかも知れません。

ある日、今までに感じたことがなかったことがそう思えるようになったのです。

保育園や小学校・街を歩く子供たちが大人に思え始めたのです。

不思議とその中には以前自衛隊で生活をした頃の同僚達に見え始めたのです。

まるで自衛隊で生活をしている頃のまま子供になって街の中で遊んでいるような・・・

今までに感じたことのないことがある日突然・・・・

不思議といやな感覚はなくむしろ懐かしく感じていたのですが

ある日、事件に関する要素が感じ始められたのです。

我輩が子供が大人に思え始めた頃の少し前・・・・

もと自衛官が小学校へ入り児童を殺傷した事件が頭の中をよぎったのです。

その頃、我輩の周りでもその事件の雰囲気が色濃くなっていたのです。

当時の我輩の転職先も事件のあった小学校と同じ系列の中学・高校・大学へ

警備の担当に・・・警備教育を受けある担当は事件のあった学校へ

我輩は大阪にある同じ系列の学校へともに警備に・・・

以前、お話の中でも紹介したと思うのですが不思議と父兄たちの声が・・・・

我輩の心の中に聞こえてくるのです。

もし、あの時の、元自衛官の時も子供が大人に見えていたなら・・・

自衛隊をいやでやめた隊員だったらどうなるのだろう・・・・

いやな所へ子供になって来たのだとしたら・・・・・

抵抗の弱い子供に対してなら凶暴にもなれるのかも知れない。

ある意味、怖さを感じたのです。

その逆にもし、子供になって逃げていたのだとしたら・・・

我輩が感じたようにある特定の大人が子供に・・・・

恐らく、犯行に至ることも考えられる。

不思議と我輩の周りではいやな感じはなかったように思う。

それ以前にもどこかの小学校で声が聞こえていた気がする。

明らかに大人の意思をもった子供たちの声が・・・



 明日は、落語から!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 03:36 | 冒険 | この記事のURL
2009年05月31日
人格変貌!
 おはようございます。

今日は、人格変貌!です。

誰にでもある、隠れた一面なのかも知れません。

多くの場合おとなしくなった・・・以前より大人になった…温厚になったなど様々な表現で

その人の人格の変化をたとえているようです。

ところが・・・その反対の部分が表面に出てきた時、以前より凶暴性が・・・・

よく言われる酒癖の悪いやつ・・・

我輩にもあるのだと思うのですが自分のこととなるとわかりにくいものです。

一番最初に感じたのは高校生の頃・・・

それまでは仲が良く他人に対しても温厚な部分が見えていたののが

あるきっかけから今までにない部分が現れ始めたのです。

ボクシングとの出会い以降、周りと少し距離が出来たと感じ始めた頃

やはり今までに表面に出ていなかった部分が・・・・

少しハングリー精神が多くもめごとなどはないのですが近寄りがたい雰囲気に

まだ、高校生の頃ですからあまり気が付かなかったのですが

社会に出てからは顕著に感じるようになったのです。

大半の人は社会人としての自覚もでき今までの自分から大人になった自分が

周りの目にも多く現れるので解りにくいのです。

ところが、その反対に出た時には特に目につく・・・・

大人になってからのアウトロー・・・

いいように言えばそうなるのでしょうが周りとのいざこざが絶えなくなり

周囲との関係もどこかぎくしゃくしたものに・・・・

我輩にもそうした時期が訪れた・・・世間一般には大厄と言われる頃に・・・

それ以前からだったのかも知れません。

普通、大厄とは成人が大病を患いやすい頃、体に変化があり大きな病気になりやすい頃

そうした時期を注意して生活を送るためのもの・・・と今までは思っていたのです。

人格変貌も一種の成人病なのかも・・・・

周りとの関係を築いていくことができなくなり自分ひとりが空回りの状態・・・

今まで普通に生活してきた、そう思っていた自分の生活が否定されたような・・・

自分の中では、周りの環境が変化した、自分の周りにいる人の人格が変化したのでは?

と感じることが多くなり始めたのです。

少し前まで・・・5分前までは普通に話せる相手だったのに

5分の間に人格が変貌してしまい今までの関係が崩れている。

そう感じることが多い。

何かほかの要素があるように感じるときが多くなったようです。

人の責任に転換するつもりはないのですが自分の性格が別の要素で変貌するとしたら・・・

あの頃の・・・高校生の頃の・・・もっと以前の自分の生活も変わっていたのかも

そんな事を考えるようになった自分もまた人格変貌したのでしょうか?



 明日は、大人と子供!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 07:05 | 冒険 | この記事のURL
2009年05月30日
甘納豆事件!
 おはようございます。

今日は、甘納豆事件!です。

以前、金縛りのお話で紹介したあと、道路を走行する車のドライバーにその時の先輩が・・・

我輩の目に飛び込んできたのです。

ふと、その先輩のある事件の事を思い出し一度掲載しようと思い立ったのです。

我輩がまだ自衛隊に入りたてで部隊へ配属になる前・・・実際に見たわけではないのです。

今日の甘納豆事件はその先輩の大変な事件でもあるのですが、

我輩のいた小隊の笑える話としてお酒の席によく出てくるひとつなのです。

自衛隊当時、何かと打ち上げと称しお酒を飲む機会が多く時には、とんでもないことに・・・

我輩も経験したリヤカー隊の出動も度々・・・・

中には、トイレに立てこもり一晩出てこない・・・などもある。

自衛隊の隊舎の中のトイレだとまだいい方で飲食店のトイレを占拠することも・・・

その日も営内班で気の合うメンバーと一緒に自衛隊内の飲酒許可が下りている店で

楽しくお酒を飲んだのです。

自衛隊ですから日夕点呼があり就寝時刻前には部隊で人員の確認をするのです。

飲酒もその時刻までと決められており全員がその時刻には部屋へ帰っている・・・

はずだったのですが隊員が一人不明に・・・

営内班で隊舎内を探したところ12個ほどある便所の一つが鍵のかかったままに、

外から声をかけても返事をする気配もなくトイレの戸の上からのぞいてみると

そこには、倒れた状態の先輩隊員がいたのです。

しかも便器の周りにはおびただしい血が・・・

危険を感じすぐにほかの隊員を呼びに・・

中に入り鍵をあけ便所の外へ運び声をかけるとかすかに意識はある。

飲みすぎて、血を吐いたのかと問いただすと・・・・

酔って吐いた事はわかるものの血を吐いたかは・・・

何を食べたかの問いに先輩隊員の言った一言!

か・か・か・・・春日井の・・・・甘納豆・・・・

その場にいた隊員達が一斉に、あ・あ・あ・・・甘納豆か・・・

血ではなく甘納豆の赤い色が血に見えたのです。

ひとまず血ではなく安心をしたものの危険な状態に変わりはなく

当直の指示でジープを隊舎に付け近くにある自衛隊病院まで搬送。

胃の中の洗浄と点滴処置をしてその日のうちに再び隊舎へ帰ってきたのです。

その時の、春日井の甘納豆事件はお酒の席の笑える話として場を盛り上げてくれたのです。

我輩のいた数年・・・・幾度となく若い隊員が赤色灯のついたジープで近くの

自衛隊病院へ搬送されることも・・・・

笑える話でよかったものの、お酒を飲む席では気を付けなければと

小隊の中ではいつも話題になっていたのです。

今でも先輩隊員の顔を見ると甘納豆事件が頭を過るのです。




 明日は、人格変貌!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 09:22 | 昔を散策 | この記事のURL
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