2009年06月09日
救急車(その2)!
おはようございます。
今日は、救急車(その2)!です。
その時の我輩は目の前すら見える状態ではなく周りの声や感覚でそう感じたのです。
救急車で川西市にある自衛隊病院へ搬送されたとき周りの慌ただしさに付いた事と
処置室へ運ばれたことを感じ取った直後・・・・
一人の看護婦さんから来ている戦闘服を切ることを告げられたのです。
別段切られることに抵抗はなかったのですが国からの支給品だけでなく
個人で購入しているものも当時の我輩は身につけていたからなのでしょう。
服を切って体から剥した後、いきなり一人の看護婦さんが我輩の上へ馬乗りになったのです。
その時、看護婦さんの手には気道を確保する器具が手にされていたのですが
我輩には到底見る事もなくただ苦しさの余り手で払ったのです。
力のない我輩でも苦しい時には思った以上に力が入っていたのでしょう。
一度は、看護婦さんも我輩の上から落ちたのですが
周りを取り押さえられ再び喉にはかなり抵抗のあるものが入れられ苦しさの余り
再び記憶を失ったのです。
その間、救急車は自衛隊病院から民間の病院へ搬送する手配をしていたのです。
当時の自衛隊病院の中では対処が出来ない状態
一刻も争う中必要最小限の処置をした後、県立西宮病院へ搬送されたのです。
どうした事か自衛隊病院から先は全くと言って意識がなく
最後に耳にした言葉は今でも心の中に・・・・
当時の医療の中で最善の処置をしてもらったおかげで
現在も健康に生活を送ることができるようになったのです。
明日は、オモユ!です。
では、また。
今日は、救急車(その2)!です。
その時の我輩は目の前すら見える状態ではなく周りの声や感覚でそう感じたのです。
救急車で川西市にある自衛隊病院へ搬送されたとき周りの慌ただしさに付いた事と
処置室へ運ばれたことを感じ取った直後・・・・
一人の看護婦さんから来ている戦闘服を切ることを告げられたのです。
別段切られることに抵抗はなかったのですが国からの支給品だけでなく
個人で購入しているものも当時の我輩は身につけていたからなのでしょう。
服を切って体から剥した後、いきなり一人の看護婦さんが我輩の上へ馬乗りになったのです。
その時、看護婦さんの手には気道を確保する器具が手にされていたのですが
我輩には到底見る事もなくただ苦しさの余り手で払ったのです。
力のない我輩でも苦しい時には思った以上に力が入っていたのでしょう。
一度は、看護婦さんも我輩の上から落ちたのですが
周りを取り押さえられ再び喉にはかなり抵抗のあるものが入れられ苦しさの余り
再び記憶を失ったのです。
その間、救急車は自衛隊病院から民間の病院へ搬送する手配をしていたのです。
当時の自衛隊病院の中では対処が出来ない状態
一刻も争う中必要最小限の処置をした後、県立西宮病院へ搬送されたのです。
どうした事か自衛隊病院から先は全くと言って意識がなく
最後に耳にした言葉は今でも心の中に・・・・
当時の医療の中で最善の処置をしてもらったおかげで
現在も健康に生活を送ることができるようになったのです。
明日は、オモユ!です。
では、また。