2012年07月23日
医者の品格
まゆみさんが鬱病を患ったときに七戸に心療内科があったのは奇跡的なことでした。
まゆみさんが発病する少し前にA先生が赴任して来て
まゆみさんが元気になって、パートタイムではありましたが
社会復帰をして、楽しく仕事ができるようになった後、A先生は異動しました。
七戸に心療内科があったのは、後にも先にもその期間だけで
まさに私のために、天が遣わせてくださったとしか思えません。
私が苦痛に喘ぎながら診察を受けたときにA先生は
「神様は人が耐えられる以上の苦しみを与えることはありませんからね」
と、おっしゃいました。
それは聖書の言葉でした。
A先生は聖書の内容にも通じていて、仏教や様々な思想について勉強していて
断食や瞑想をして、自己修養をしている人でした。
まゆみさんは自分がエホバの証人で、受けられる心理療法にも制限があることを
伝えなければなりませんでした。
今思えば、精神病なのに心理療法が受けられないんだったら
病院なんかに来ないであなたの神様に治してもらいなさい。
そう言われても仕方のないことだと思いますが。
先生は「あ〜、そうなんですか。キリスト教の人はね〜、人は生まれながらに罪人だという
考えを持っていますからね〜。だからキリスト教の人には鬱病が多いんですよ。」
そう言いました。
ここで「エホバの証人はね〜」と言わないで、「キリスト教の人はね〜」と言ったのは
先生のテクニックでした。
「エホバの証人は」と言えば、私の心が拒絶反応を起こすのがわかっていて
キリスト教全般を念頭において話したのだろうと思います。
右のような本を貸してくださいました。
この本には人の犠牲者にされないためのテクニックのようなことが書かれていました。
この本を読んだときに
「あぁ〜、こんな風に生きられたらどんなに楽になるだろう。
でも自分にはとてもできそうにない・・」
そう思いました。
一言で言えば前の記事で唯一私をかばってくれた人のような生き方です。
治療の助けになれば・・・と思い、毎日その日の出来事、そのときにどう感じたか、自分はどんな選択をしたか、その日はどのくらい眠れたか、診察日から次の診察日までの間、長い長い手紙を先生にあてて書きました。
先生は毎回きちんと読んで分析してくださり、
「ここでこういう選択をすれば重荷を背負うことになりますね」とかアドバイスをして下さり、
治療とは無関係と思われる宗教観や、哲学や、心理学の話をしながら
1回の診察に2時間も時間を割いて下さったりしました。
というのもA先生は午前中はごった返しの内科の外来を担当していて
午後に心療内科の診察をしていましたから
もともと七戸に心療内科があることは全然知られてなかったために
一人の患者に時間をかけることができたのです。
そのうち母が体調を崩して、検査の結果、貧血が酷くて輸血をしなければならないと言われて
家族の同意書を書きに行ったことがありました。
そこにA先生が現れて、
「あ〜、まゆみさんのお母さんだったんですか〜。じゃあ輸血はやめましょう」
とおっしゃいました。
「私の信仰と母の信仰は別なのでかまいませんよ」と言いましたが
「それでも豚肉を食べちゃいけない人の前で豚肉を食べる人がいれば
気分がよくないでしょう。増血剤に切り替えましょう」
そう言って私の立場を尊重してくださいました。
十和田にY先生という有名な精神科の先生がいましたが、A先生は度々、
「まゆみさんはね〜、Y先生のようなきちんとした精神科で診てもらうのが
一番いいと思います。
私のようなところに来てもらっても受けられるであろうサービスも受けさせてやれなくて
申し訳がない」
そうおっしゃっていました。
心療内科と精神科ではやることは一緒なのですが、自立支援や、精神障害などの
行政のサービスを受けるための診断書は精神科の医者しか書くことができないのです。
A先生には7年間おせわになりましたが、
エホバの証人のマインドコントロールから解かれたのも
先生の辛抱強い導きが大きかったのです。
この先生でなければどんな名医にかかってもここまで回復できなかっただろうというのは
そういう経緯があったからです。
先生は私が元気になるのを見届けて初めて家族の待っている弘前に異動しました。
その際に十和田のY先生に紹介状を書いてもらってY先生に引き継いでいただくことになりました。
Y先生は「今まではどこにかかっていたんですか?」と尋ね、
「七戸病院に」と答えると
「ほう?七戸に精神科なんてありましたか?」とわかりきったことを尋ねられました。
A先生がY先生に宛てて紹介状を書いたのだから知らないはずはないのに・・・
「A先生に診てもらっていました」と答えると
「ああ〜、A君ね、彼ももこういう分野に関心があったみたいだね〜」と
いかにも彼は私よりも格下なんだよ、
私にかかればちょちょいのちょいで治してあげられたのにと言わんばかりの言い方でした。
関心があるどころか私が寝たきりで、排泄以外のことは何一つできなかった状態から
A先生のおかげでここまで回復できたのに
そのプロセスを何も知らない人がその患者に向かってそんな言葉を平気で言うなんて
なんて傲慢な人間なんだろう。精神病の人間は人一倍敏感で、
人間の傲慢さを見抜いてしまうことを
精神科の医者のくせにわかっていないのか・・・
精神科の資格があるかないかで医者の価値が決まるのか。
人を治すのは人であって、資格じゃない、そう思いました。
「私が治療をしてあげてもいいんだが、うちは急性期にある患者を主に対応していて
慢性期にある患者さんには個人病院に任せているんですよ」
そう言われて逆にこの先生じゃ私の病気は却って悪くなる、
よそへまわしてもらった方がいいと思い、別の病院に行きました。
その病院の医者たちは患者の訴えに対して無関心。
何を訴えても、ただカルテに書いていつもの薬を処方するだけ。
訴えても訴えても、毎回、今日はじめて聞きました、みたいな反応で
結局はそこへ通うのも止めて、しばらくの間、別のクリニックへ通いました。
とてもいい先生で、洞察力があって、頼りになる先生でしたが
心療内科が専門ではなく、婦人科、内科の患者さんであふれかえっていましたから
一人一人に時間を割いてもらうことはとても難しいのです。
娘との死別以来がたがたに体調を崩してしまい、
やはり精神科にかかった方がいいと思い、次に行く精神科でいい先生に出会えるかどうか
不安ではありましたが紹介状を書いてもらいました。
精神科では今までろくな医者に出会うことがありませんでしたが
とても優しくて、穏やかで、きちんとケアをしてくれるいい先生に出会うことができました。
ちなみにY先生はそこの病院のことも侮辱するような言い方をしていましたが
全然違っていました。
医者の品格って・・・
今日はずいぶん長くなりました。
まゆみさんが発病する少し前にA先生が赴任して来て
まゆみさんが元気になって、パートタイムではありましたが
社会復帰をして、楽しく仕事ができるようになった後、A先生は異動しました。
七戸に心療内科があったのは、後にも先にもその期間だけで
まさに私のために、天が遣わせてくださったとしか思えません。
私が苦痛に喘ぎながら診察を受けたときにA先生は
「神様は人が耐えられる以上の苦しみを与えることはありませんからね」
と、おっしゃいました。
それは聖書の言葉でした。
A先生は聖書の内容にも通じていて、仏教や様々な思想について勉強していて
断食や瞑想をして、自己修養をしている人でした。
まゆみさんは自分がエホバの証人で、受けられる心理療法にも制限があることを
伝えなければなりませんでした。
今思えば、精神病なのに心理療法が受けられないんだったら
病院なんかに来ないであなたの神様に治してもらいなさい。
そう言われても仕方のないことだと思いますが。
先生は「あ〜、そうなんですか。キリスト教の人はね〜、人は生まれながらに罪人だという
考えを持っていますからね〜。だからキリスト教の人には鬱病が多いんですよ。」
そう言いました。
ここで「エホバの証人はね〜」と言わないで、「キリスト教の人はね〜」と言ったのは
先生のテクニックでした。
「エホバの証人は」と言えば、私の心が拒絶反応を起こすのがわかっていて
キリスト教全般を念頭において話したのだろうと思います。
右のような本を貸してくださいました。
この本には人の犠牲者にされないためのテクニックのようなことが書かれていました。
この本を読んだときに
「あぁ〜、こんな風に生きられたらどんなに楽になるだろう。
でも自分にはとてもできそうにない・・」
そう思いました。
一言で言えば前の記事で唯一私をかばってくれた人のような生き方です。
治療の助けになれば・・・と思い、毎日その日の出来事、そのときにどう感じたか、自分はどんな選択をしたか、その日はどのくらい眠れたか、診察日から次の診察日までの間、長い長い手紙を先生にあてて書きました。
先生は毎回きちんと読んで分析してくださり、
「ここでこういう選択をすれば重荷を背負うことになりますね」とかアドバイスをして下さり、
治療とは無関係と思われる宗教観や、哲学や、心理学の話をしながら
1回の診察に2時間も時間を割いて下さったりしました。
というのもA先生は午前中はごった返しの内科の外来を担当していて
午後に心療内科の診察をしていましたから
もともと七戸に心療内科があることは全然知られてなかったために
一人の患者に時間をかけることができたのです。
そのうち母が体調を崩して、検査の結果、貧血が酷くて輸血をしなければならないと言われて
家族の同意書を書きに行ったことがありました。
そこにA先生が現れて、
「あ〜、まゆみさんのお母さんだったんですか〜。じゃあ輸血はやめましょう」
とおっしゃいました。
「私の信仰と母の信仰は別なのでかまいませんよ」と言いましたが
「それでも豚肉を食べちゃいけない人の前で豚肉を食べる人がいれば
気分がよくないでしょう。増血剤に切り替えましょう」
そう言って私の立場を尊重してくださいました。
十和田にY先生という有名な精神科の先生がいましたが、A先生は度々、
「まゆみさんはね〜、Y先生のようなきちんとした精神科で診てもらうのが
一番いいと思います。
私のようなところに来てもらっても受けられるであろうサービスも受けさせてやれなくて
申し訳がない」
そうおっしゃっていました。
心療内科と精神科ではやることは一緒なのですが、自立支援や、精神障害などの
行政のサービスを受けるための診断書は精神科の医者しか書くことができないのです。
A先生には7年間おせわになりましたが、
エホバの証人のマインドコントロールから解かれたのも
先生の辛抱強い導きが大きかったのです。
この先生でなければどんな名医にかかってもここまで回復できなかっただろうというのは
そういう経緯があったからです。
先生は私が元気になるのを見届けて初めて家族の待っている弘前に異動しました。
その際に十和田のY先生に紹介状を書いてもらってY先生に引き継いでいただくことになりました。
Y先生は「今まではどこにかかっていたんですか?」と尋ね、
「七戸病院に」と答えると
「ほう?七戸に精神科なんてありましたか?」とわかりきったことを尋ねられました。
A先生がY先生に宛てて紹介状を書いたのだから知らないはずはないのに・・・
「A先生に診てもらっていました」と答えると
「ああ〜、A君ね、彼ももこういう分野に関心があったみたいだね〜」と
いかにも彼は私よりも格下なんだよ、
私にかかればちょちょいのちょいで治してあげられたのにと言わんばかりの言い方でした。
関心があるどころか私が寝たきりで、排泄以外のことは何一つできなかった状態から
A先生のおかげでここまで回復できたのに
そのプロセスを何も知らない人がその患者に向かってそんな言葉を平気で言うなんて
なんて傲慢な人間なんだろう。精神病の人間は人一倍敏感で、
人間の傲慢さを見抜いてしまうことを
精神科の医者のくせにわかっていないのか・・・
精神科の資格があるかないかで医者の価値が決まるのか。
人を治すのは人であって、資格じゃない、そう思いました。
「私が治療をしてあげてもいいんだが、うちは急性期にある患者を主に対応していて
慢性期にある患者さんには個人病院に任せているんですよ」
そう言われて逆にこの先生じゃ私の病気は却って悪くなる、
よそへまわしてもらった方がいいと思い、別の病院に行きました。
その病院の医者たちは患者の訴えに対して無関心。
何を訴えても、ただカルテに書いていつもの薬を処方するだけ。
訴えても訴えても、毎回、今日はじめて聞きました、みたいな反応で
結局はそこへ通うのも止めて、しばらくの間、別のクリニックへ通いました。
とてもいい先生で、洞察力があって、頼りになる先生でしたが
心療内科が専門ではなく、婦人科、内科の患者さんであふれかえっていましたから
一人一人に時間を割いてもらうことはとても難しいのです。
娘との死別以来がたがたに体調を崩してしまい、
やはり精神科にかかった方がいいと思い、次に行く精神科でいい先生に出会えるかどうか
不安ではありましたが紹介状を書いてもらいました。
精神科では今までろくな医者に出会うことがありませんでしたが
とても優しくて、穏やかで、きちんとケアをしてくれるいい先生に出会うことができました。
ちなみにY先生はそこの病院のことも侮辱するような言い方をしていましたが
全然違っていました。
医者の品格って・・・
今日はずいぶん長くなりました。
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