2023年12月29日
2023年 【 野球界重大ニュース】 〜日本 編〜 !!
残りわずかとなった激動の2023年、ここからは、メジャーリーグ編に続いて、今年の日本球界で起きた様々な出来事から 5つを重大ニュースとして取り上げ、振り返ってみたいとおもいます。
◆ 2023年 野球界重大ニュース 〜日本編〜
◆ 阪神タイガース、38年ぶり2度目の日本一 !!
日本プロ野球の頂点を決める「日本シリーズ2023」は11月5日第7戦が行われ、阪神が 7−1 でオリックスを破って対戦成績を4勝3敗とし、1985年以来、38年ぶり2度目の日本一に輝きました。
阪神の前回日本一は1985年(昭和60年)。38年ぶりのブランクは、中日の53年ぶり(54年→07年)、日本ハムの44年ぶり(62年→06年)に続き、横浜(現DeNA、60年→98年)に並ぶ史上3番目の長さ。昭和→平成→令和と3元号をまたいだのは今回が初めて。
今季の司令塔は、前年限りで退任した矢野燿大監督に代わり岡田彰布が2008年シーズン以来阪神では2度目の監督に就任。。チームスローガンは今年の流行語大賞となった『A.R.E.』「アレ=優勝」に決定。
就任後、岡田監督は守り勝つ野球を掲げ、レギュラー選手の守備位置を固定してシーズンを戦いました。先発投手陣は3人が2桁勝利を達成するなどシーズンを通して安定した力を発揮し、リリーフ陣も固定されたセットアッパーこそ不在だったものの、各選手の調子や相手打者との組み合わせなどを考慮した采配によって結果を積み上げ、リーグトップの防御率をマーク。
攻撃陣は打撃三冠のタイトルを獲得するほどの突出した数字を残す選手は現われなかったものの、各打者のボール球の見極めへの意識の高さがリーグ最多の四球を選ぶ結果となり、高い出塁率を背景にリーグ最多の555得点をマーク。結果としてシーズンの随所で投打が噛み合う状態が生まれ、日本一へ昇り詰めました!!
◆ “夏の甲子園” 慶応(神奈川)
107年ぶり2度目の全国制覇達成!!
第105回全国高校野球選手権記念大会は、決勝戦が8月23日、甲子園球場で行われ、慶応(神奈川)が8―2で仙台育英(宮城)を破り、107年ぶり2度目の優勝を果たしました!!
◇ 慶応 夏の選手権 大会成績
1916年、大阪・豊中球場で行われた第2回大会。1924年以後の甲子園球場で行われた大会では初制覇となり、史上最長ブランクで2度目の優勝となったチームが掲げる「エンジョイベースボール」が花開いた慶応。
監督やコーチの言う通りに何もかもをするのではなく、自ら考えて練習して上達してこそ野球はもっと楽しくなる
これがエンジョイの根幹。
森林貴彦監督(50歳)は「髪形も自由だし、へんな上下関係もない。野球部寮もない学校が優勝したことで、こういう野球もあるという多様性は示せたと思う」とコメント。
これに加えて球場の大声援も大きな力となりました!!
◆ 野球界を支えた方々逝去
日本プロ野球ならびに球界を支えた方々が今年安らかな眠りにつきました。
● 中西 太さん
西鉄ライオンズの黄金期を支えた中西さんが、5月11日心不全により死去、90歳でした。
香川県高松市出身。高松一高時代に「怪童」と呼ばれ、1952年に西鉄へ入団し新人王を獲得。
53年にはプロ野球3人目の3割、30本塁打、30盗塁を達成。
62年兼任監督を務め69年に辞任し現役も引退。
:現役通算では打率3割7厘、244本塁打、785打点、142盗塁。
引退後は日本ハムと阪神で監督、ヤクルト、とロッテで代理監督。近鉄、巨人、オリックスでコーチとして多くの打者を育て、99年野球殿堂入りを果たしました。
● 北別府 学さん
広島のエースとして活躍した北別府さんが、6月16日白血病で死去。65歳でした。
宮崎・都城農高からドラフト1位で1976年に入団。「精密機械」と評された制球力と投球術で、78年から11年連続で2桁勝利をマークし、投手王国をけん引。
5度のリーグ優勝と3度の日本一を支えました。
79年はチーム最多の17勝をマークし、球団初の日本一に貢献。82年は自己最多の20勝を挙げ、沢村賞と最多勝のタイトルを獲得。
同年開幕戦からの11連勝は20年に菅野智之(巨人)に破られるまでセ・リーグ記録。86年は最多勝と最優秀防御率、最高勝率を獲得し、2度目の沢村賞、初のリーグ最優秀選手に選ばれました。
94年に引退。通算515試合、213勝141敗5セーブ、防御率3・67。94年に広島県民栄誉賞を受賞。
12年に野球殿堂入りを果たしています。
● 門田 博光さん
プロ野球を代表するスラッガー門田さんが1月24日自宅で倒れているのか発見され死去(糖尿病)。74歳でした。
奈良・天理高からクラレ岡山を経て1970年にドラフト2位で南海に入団し、身長170センチながら豪快なフルスイングでファンを魅了しました。
79年に右アキレス腱断裂で選手生命の危機に陥ったものの、翌年に41本塁打で復活。81年は44本で初の本塁打王獲得。
40歳の88年には全130試合に出場し、ともにパ・リーグ1位の44本塁打、125打点。最優秀選手に選ばれ「不惑の2冠王」と脚光を浴びました。
89年、球団がダイエーに譲渡されたのを機にオリックスに移籍し、91年にダイエーに復帰。翌年、44歳で引退。
通算成績は2571試合出場で2566安打、567本塁打、1678打点、打率2割8分9厘をマークしました。
ほかにも今年、このような方々らが、お亡くなりになられています。
入来 智さん 55歳:01年ヤクルト日本一メンバー。通算35勝。
杉下 茂さん 97歳:元祖フォーク、54年中日日本一時のエース。通算215勝。野球殿堂入り。
三浦 貴さん 45歳:浦和学院で3年春夏甲子園出場。ルーキー年に49試合登板。
古沢 憲司さん 75歳:16歳117日で公式戦出場。通算87勝。
中 利夫さん 87歳:60年盗塁王。67年首位打者。引退後、78−80年は中日で監督を務める。
榊原 良行さん 74歳:通算689試合出場。
迫田 穆成さん 84歳:57夏に選手として、73夏には監督として広島商で甲子園優勝など名将として知られる。
横田 慎太郎さん 28歳:外野手として阪神でプレー。
■ この度の、ご逝去を悼み、お悔やみ申し上げますとともに、
ご冥福をお祈りいたします ■
◆ 「野球 U - 18 W杯」侍ジャパン U-18 代表
W杯 初優勝の快挙達成 !!
9月10日、18歳以下の野球世界一を決める「第31回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」の決勝戦が台湾の天母野球場で行われ、侍ジャパンU-18代表は台湾と対戦。先制を許す苦しい展開でしたが、4回に小技と機動力を絡めて逆転に成功。2対1で勝利し、悲願の初優勝を果たしました!!
通常は隔年で行われるワールドカップがコロナ禍による延期で2年続けての開催。
昨年の第30回大会はアメリカ(9本塁打、長打率.487)や韓国(4本塁打、長打率.413)の長打力と比べると日本は1本塁打、長打率.301と明らかにパワーで下回った結果となりました。
そこで今回はどんな選考をするのかが最初の注目点となりましたが、前回に引き続き指揮を執った馬淵史郎監督は「日本の高校野球の特徴である、しっかり守って機動力が使える選手、バントができる選手を選びました」と、前回の選考基準を継承した中でその精度を上げることを選択。
登録20選手で10日間9試合を戦い、その中で球数制限もあるという国際試合特有のレギュレーションを鑑みて、投手ができる選手の選出を1名増やし9投手を揃えました(昨年は捕手登録ながら登板した野田海人を含めた8選手)。
その中で野手もできる武田陸玖(山形中央)、木村優人(霞ヶ浦)、中山優月(智辯学園)といった二刀流の選手を3名選出。こうして長打力こそ欠いて見えたものの、幅広い戦法を駆使し調子の良い選手を使える陣容を整えました。
大会が始まるとそれが見事に功を奏し、好調かつ制球力の高い東恩納蒼(沖縄尚学)と球のキレと投球術を持つ前田悠伍:ソフトバンク・ドラフト1位(大阪桐蔭)を軸に投手陣を回し、球数を気にしながら、両投手は要所で3試合ずつ先発。
東恩納は11回を投げて無失点、前田は16回3分の2を投げて1失点と期待に応える活躍。その他の投手たちも好調な投手を随時起用し9試合で計11失点のみに抑えました。
また、野手陣も守備力の高い選手たちを選んだことで失策もわずか3個と、守備から流れを作り攻撃に繋げました。打線も好調の選手を馬淵監督が見極め、適材適所に起用。大会序盤から中盤にかけては森田大翔(履正社)が4番・指名打者を中心に起用され8打点を挙げる勝負強さを見せた一方で、最後の3試合は4番・指名打者に武田を起用。武田はその3試合で8打数4安打3打点と起用に応える活躍。
こうして終わってみれば打率(.303)、長打率(.408)、OPS(出塁率+長打率=.806)はどれも参加12チーム中トップ。
馬淵監督は分かりやすい標語として「スモールベースボール」と何度も口にしましたが、優勝会見で「そうは言ってもバントや盗塁、エンドランばかりじゃなくて打つ時は打つんです」とも話したように、高い技術力を持った選手たちを揃えたことで、長打・短打、大技・小技を絡めた幅広い戦法で戦うことができたことが頂点奪取につながりました。
高校の日本代表としては今回が8度目の出場となったU18W杯。過去3度決勝に進出するも準優勝に終わっており、4度目の挑戦で快挙を達成。
世界屈指の精鋭を相手に確かな強さを見せつけました!!
◆【第5回 WBC】侍ジャパン トップチーム
究極のフィナーレで
最強軍団アメリカを下し、3大会ぶりの世界一!!
野球の世界一を決める頂上決戦!!
侍ジャパンが 09年大会以来、3大会ぶり3度目の世界一に輝きました!!
決勝では初となる日米決戦。3対2 、1点リードで迎えた 9回は、大谷翔平がクローザーでマウンドへ。米国の主将で、エンゼルスでは当時同僚のマイク・トラウト外野手を空振り三振で締め、胴上げ投手に!!
野球の母国にして前回王者、スーパースターが居並ぶチームUSAに競り勝ちました!!
★ 劇画の世界ようなフィナーレとなった最終回の
大谷翔平投手 VS エンゼルス当時同僚 マイク・トラウトの勝負!!
小説か、ゲームか、映画なのか。世界一を決する舞台で、紛れもない主人公になった大谷。「3番・DH」で出場していましたが、1点リードの9回にマウンドへ。
「みんなでとにかく世界一になる」との栗山監督の思いも背負い、2009年優勝時の胴上げ投手・ダルビッシュからバトンを受け取りました。
大観衆から「USA!」コールが容赦なく浴びせられる中、バックネット側6階席にある記者席には歴史的瞬間を見ようと関係者が集まり始めました。
最初からエンジン全開の大谷は、9番の先頭打者マクニールへの2球目で101マイル(約162キロ)を計測。米メディア関係者からは「ワン、オー、ワン(1、0、1)!?」と驚きの声も上がりました。
しかし、フルカウントから四球。このままいくと3アウト目で2番トラウトを打ち取って世界一決定という出来すぎたストーリーは実現しないかと思われました。
それでも運命に導かれたかのように、1番ベッツを力のある直球でねじ伏せて二ゴロ。併殺打で2死となり、トラウトを迎えることに。
「こんなことあるんだ……」。近くの米記者も「What’s happen?(何が起きたんだ)」と興奮と困惑が入り混じったリアクション。
夢のシナリオが実現したとあり、記者席の米メディア関係者も、スタンドのファンもスマホを取り出して撮影を開始。
出力マックスの大谷は100マイル超えを連発。カウント2-2からの 5球目には、この日最速の102マイル(約164キロ)を計測しました。
これが8回までDHだった男の球なのか。外角に外れカウント3-2となったものの、もう目が離せない米記者は「ワン、オー、ツー…(1、0、2…)!」と舌を巻くしかなかった模様。
そして勝負の6球目、大谷が投じたのは外角スライダー。トラウトも対応できない鋭いキレで、空振り三振。大谷はグラブ、キャップを脱ぎ捨て、歓喜の輪の中心になりました。終始ホームの雰囲気だった米国ベンチは、多くの選手がショックからか動けず。本来“敵役”となる立ち位置の大谷を米ファンも認め、割れんばかりの歓声と拍手が送られました。
「間違いなく今まででベストな瞬間」と世界一の喜びを会見で語った大谷。米国のデローサ監督ですら「ユニコーンのような存在。他の人は彼のような存在になれない」とそのスター性を手放しで称え、日本代表のヌートバーも「(記者の方を指差し)僕もそちらの方が書いた物語かと思った(笑)」と2人の対戦を表現しています。
宮崎での強化合宿からチームをけん引し、輪の中心にいたダルビッシュに加えて、メジャーでMVPに輝き投打で日本の中心に君臨した大谷もリリーフでそろい踏み。
夢のような豪華リレーで世界一を14年ぶりに奪還。栗山英樹監督が束ねた日本の侍たちが、ローンデポパークの中心で歓喜の輪を作りました!!
侍魂で頂点を掴んだ日本!! 感動をありがとう!!
以上 今年の日本野球界を5つのニュースで振り返ってみましたが、海外では争いごとによる不安定な状況が続き、日々哀しいニュースも流れる2023年はまもなく幕を閉じようとしています。
世界情勢の不安はまだ続きますが、2024年はポジティブなニュースが満載の年であることを真に祈っています!!
◆ 2023年 野球界重大ニュース 〜日本編〜
◆ 阪神タイガース、38年ぶり2度目の日本一 !!
日本プロ野球の頂点を決める「日本シリーズ2023」は11月5日第7戦が行われ、阪神が 7−1 でオリックスを破って対戦成績を4勝3敗とし、1985年以来、38年ぶり2度目の日本一に輝きました。
阪神の前回日本一は1985年(昭和60年)。38年ぶりのブランクは、中日の53年ぶり(54年→07年)、日本ハムの44年ぶり(62年→06年)に続き、横浜(現DeNA、60年→98年)に並ぶ史上3番目の長さ。昭和→平成→令和と3元号をまたいだのは今回が初めて。
今季の司令塔は、前年限りで退任した矢野燿大監督に代わり岡田彰布が2008年シーズン以来阪神では2度目の監督に就任。。チームスローガンは今年の流行語大賞となった『A.R.E.』「アレ=優勝」に決定。
就任後、岡田監督は守り勝つ野球を掲げ、レギュラー選手の守備位置を固定してシーズンを戦いました。先発投手陣は3人が2桁勝利を達成するなどシーズンを通して安定した力を発揮し、リリーフ陣も固定されたセットアッパーこそ不在だったものの、各選手の調子や相手打者との組み合わせなどを考慮した采配によって結果を積み上げ、リーグトップの防御率をマーク。
攻撃陣は打撃三冠のタイトルを獲得するほどの突出した数字を残す選手は現われなかったものの、各打者のボール球の見極めへの意識の高さがリーグ最多の四球を選ぶ結果となり、高い出塁率を背景にリーグ最多の555得点をマーク。結果としてシーズンの随所で投打が噛み合う状態が生まれ、日本一へ昇り詰めました!!
◆ “夏の甲子園” 慶応(神奈川)
107年ぶり2度目の全国制覇達成!!
第105回全国高校野球選手権記念大会は、決勝戦が8月23日、甲子園球場で行われ、慶応(神奈川)が8―2で仙台育英(宮城)を破り、107年ぶり2度目の優勝を果たしました!!
◇ 慶応 夏の選手権 大会成績
1916年、大阪・豊中球場で行われた第2回大会。1924年以後の甲子園球場で行われた大会では初制覇となり、史上最長ブランクで2度目の優勝となったチームが掲げる「エンジョイベースボール」が花開いた慶応。
監督やコーチの言う通りに何もかもをするのではなく、自ら考えて練習して上達してこそ野球はもっと楽しくなる
これがエンジョイの根幹。
森林貴彦監督(50歳)は「髪形も自由だし、へんな上下関係もない。野球部寮もない学校が優勝したことで、こういう野球もあるという多様性は示せたと思う」とコメント。
これに加えて球場の大声援も大きな力となりました!!
◆ 野球界を支えた方々逝去
日本プロ野球ならびに球界を支えた方々が今年安らかな眠りにつきました。
● 中西 太さん
西鉄ライオンズの黄金期を支えた中西さんが、5月11日心不全により死去、90歳でした。
香川県高松市出身。高松一高時代に「怪童」と呼ばれ、1952年に西鉄へ入団し新人王を獲得。
53年にはプロ野球3人目の3割、30本塁打、30盗塁を達成。
62年兼任監督を務め69年に辞任し現役も引退。
:現役通算では打率3割7厘、244本塁打、785打点、142盗塁。
引退後は日本ハムと阪神で監督、ヤクルト、とロッテで代理監督。近鉄、巨人、オリックスでコーチとして多くの打者を育て、99年野球殿堂入りを果たしました。
● 北別府 学さん
広島のエースとして活躍した北別府さんが、6月16日白血病で死去。65歳でした。
宮崎・都城農高からドラフト1位で1976年に入団。「精密機械」と評された制球力と投球術で、78年から11年連続で2桁勝利をマークし、投手王国をけん引。
5度のリーグ優勝と3度の日本一を支えました。
79年はチーム最多の17勝をマークし、球団初の日本一に貢献。82年は自己最多の20勝を挙げ、沢村賞と最多勝のタイトルを獲得。
同年開幕戦からの11連勝は20年に菅野智之(巨人)に破られるまでセ・リーグ記録。86年は最多勝と最優秀防御率、最高勝率を獲得し、2度目の沢村賞、初のリーグ最優秀選手に選ばれました。
94年に引退。通算515試合、213勝141敗5セーブ、防御率3・67。94年に広島県民栄誉賞を受賞。
12年に野球殿堂入りを果たしています。
● 門田 博光さん
プロ野球を代表するスラッガー門田さんが1月24日自宅で倒れているのか発見され死去(糖尿病)。74歳でした。
奈良・天理高からクラレ岡山を経て1970年にドラフト2位で南海に入団し、身長170センチながら豪快なフルスイングでファンを魅了しました。
79年に右アキレス腱断裂で選手生命の危機に陥ったものの、翌年に41本塁打で復活。81年は44本で初の本塁打王獲得。
40歳の88年には全130試合に出場し、ともにパ・リーグ1位の44本塁打、125打点。最優秀選手に選ばれ「不惑の2冠王」と脚光を浴びました。
89年、球団がダイエーに譲渡されたのを機にオリックスに移籍し、91年にダイエーに復帰。翌年、44歳で引退。
通算成績は2571試合出場で2566安打、567本塁打、1678打点、打率2割8分9厘をマークしました。
ほかにも今年、このような方々らが、お亡くなりになられています。
入来 智さん 55歳:01年ヤクルト日本一メンバー。通算35勝。
杉下 茂さん 97歳:元祖フォーク、54年中日日本一時のエース。通算215勝。野球殿堂入り。
三浦 貴さん 45歳:浦和学院で3年春夏甲子園出場。ルーキー年に49試合登板。
古沢 憲司さん 75歳:16歳117日で公式戦出場。通算87勝。
中 利夫さん 87歳:60年盗塁王。67年首位打者。引退後、78−80年は中日で監督を務める。
榊原 良行さん 74歳:通算689試合出場。
迫田 穆成さん 84歳:57夏に選手として、73夏には監督として広島商で甲子園優勝など名将として知られる。
横田 慎太郎さん 28歳:外野手として阪神でプレー。
■ この度の、ご逝去を悼み、お悔やみ申し上げますとともに、
ご冥福をお祈りいたします ■
◆ 「野球 U - 18 W杯」侍ジャパン U-18 代表
W杯 初優勝の快挙達成 !!
9月10日、18歳以下の野球世界一を決める「第31回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」の決勝戦が台湾の天母野球場で行われ、侍ジャパンU-18代表は台湾と対戦。先制を許す苦しい展開でしたが、4回に小技と機動力を絡めて逆転に成功。2対1で勝利し、悲願の初優勝を果たしました!!
通常は隔年で行われるワールドカップがコロナ禍による延期で2年続けての開催。
昨年の第30回大会はアメリカ(9本塁打、長打率.487)や韓国(4本塁打、長打率.413)の長打力と比べると日本は1本塁打、長打率.301と明らかにパワーで下回った結果となりました。
そこで今回はどんな選考をするのかが最初の注目点となりましたが、前回に引き続き指揮を執った馬淵史郎監督は「日本の高校野球の特徴である、しっかり守って機動力が使える選手、バントができる選手を選びました」と、前回の選考基準を継承した中でその精度を上げることを選択。
登録20選手で10日間9試合を戦い、その中で球数制限もあるという国際試合特有のレギュレーションを鑑みて、投手ができる選手の選出を1名増やし9投手を揃えました(昨年は捕手登録ながら登板した野田海人を含めた8選手)。
その中で野手もできる武田陸玖(山形中央)、木村優人(霞ヶ浦)、中山優月(智辯学園)といった二刀流の選手を3名選出。こうして長打力こそ欠いて見えたものの、幅広い戦法を駆使し調子の良い選手を使える陣容を整えました。
大会が始まるとそれが見事に功を奏し、好調かつ制球力の高い東恩納蒼(沖縄尚学)と球のキレと投球術を持つ前田悠伍:ソフトバンク・ドラフト1位(大阪桐蔭)を軸に投手陣を回し、球数を気にしながら、両投手は要所で3試合ずつ先発。
東恩納は11回を投げて無失点、前田は16回3分の2を投げて1失点と期待に応える活躍。その他の投手たちも好調な投手を随時起用し9試合で計11失点のみに抑えました。
また、野手陣も守備力の高い選手たちを選んだことで失策もわずか3個と、守備から流れを作り攻撃に繋げました。打線も好調の選手を馬淵監督が見極め、適材適所に起用。大会序盤から中盤にかけては森田大翔(履正社)が4番・指名打者を中心に起用され8打点を挙げる勝負強さを見せた一方で、最後の3試合は4番・指名打者に武田を起用。武田はその3試合で8打数4安打3打点と起用に応える活躍。
こうして終わってみれば打率(.303)、長打率(.408)、OPS(出塁率+長打率=.806)はどれも参加12チーム中トップ。
馬淵監督は分かりやすい標語として「スモールベースボール」と何度も口にしましたが、優勝会見で「そうは言ってもバントや盗塁、エンドランばかりじゃなくて打つ時は打つんです」とも話したように、高い技術力を持った選手たちを揃えたことで、長打・短打、大技・小技を絡めた幅広い戦法で戦うことができたことが頂点奪取につながりました。
高校の日本代表としては今回が8度目の出場となったU18W杯。過去3度決勝に進出するも準優勝に終わっており、4度目の挑戦で快挙を達成。
世界屈指の精鋭を相手に確かな強さを見せつけました!!
◆【第5回 WBC】侍ジャパン トップチーム
究極のフィナーレで
最強軍団アメリカを下し、3大会ぶりの世界一!!
野球の世界一を決める頂上決戦!!
侍ジャパンが 09年大会以来、3大会ぶり3度目の世界一に輝きました!!
決勝では初となる日米決戦。3対2 、1点リードで迎えた 9回は、大谷翔平がクローザーでマウンドへ。米国の主将で、エンゼルスでは当時同僚のマイク・トラウト外野手を空振り三振で締め、胴上げ投手に!!
野球の母国にして前回王者、スーパースターが居並ぶチームUSAに競り勝ちました!!
★ 劇画の世界ようなフィナーレとなった最終回の
大谷翔平投手 VS エンゼルス当時同僚 マイク・トラウトの勝負!!
小説か、ゲームか、映画なのか。世界一を決する舞台で、紛れもない主人公になった大谷。「3番・DH」で出場していましたが、1点リードの9回にマウンドへ。
「みんなでとにかく世界一になる」との栗山監督の思いも背負い、2009年優勝時の胴上げ投手・ダルビッシュからバトンを受け取りました。
大観衆から「USA!」コールが容赦なく浴びせられる中、バックネット側6階席にある記者席には歴史的瞬間を見ようと関係者が集まり始めました。
最初からエンジン全開の大谷は、9番の先頭打者マクニールへの2球目で101マイル(約162キロ)を計測。米メディア関係者からは「ワン、オー、ワン(1、0、1)!?」と驚きの声も上がりました。
しかし、フルカウントから四球。このままいくと3アウト目で2番トラウトを打ち取って世界一決定という出来すぎたストーリーは実現しないかと思われました。
それでも運命に導かれたかのように、1番ベッツを力のある直球でねじ伏せて二ゴロ。併殺打で2死となり、トラウトを迎えることに。
「こんなことあるんだ……」。近くの米記者も「What’s happen?(何が起きたんだ)」と興奮と困惑が入り混じったリアクション。
夢のシナリオが実現したとあり、記者席の米メディア関係者も、スタンドのファンもスマホを取り出して撮影を開始。
出力マックスの大谷は100マイル超えを連発。カウント2-2からの 5球目には、この日最速の102マイル(約164キロ)を計測しました。
これが8回までDHだった男の球なのか。外角に外れカウント3-2となったものの、もう目が離せない米記者は「ワン、オー、ツー…(1、0、2…)!」と舌を巻くしかなかった模様。
そして勝負の6球目、大谷が投じたのは外角スライダー。トラウトも対応できない鋭いキレで、空振り三振。大谷はグラブ、キャップを脱ぎ捨て、歓喜の輪の中心になりました。終始ホームの雰囲気だった米国ベンチは、多くの選手がショックからか動けず。本来“敵役”となる立ち位置の大谷を米ファンも認め、割れんばかりの歓声と拍手が送られました。
「間違いなく今まででベストな瞬間」と世界一の喜びを会見で語った大谷。米国のデローサ監督ですら「ユニコーンのような存在。他の人は彼のような存在になれない」とそのスター性を手放しで称え、日本代表のヌートバーも「(記者の方を指差し)僕もそちらの方が書いた物語かと思った(笑)」と2人の対戦を表現しています。
宮崎での強化合宿からチームをけん引し、輪の中心にいたダルビッシュに加えて、メジャーでMVPに輝き投打で日本の中心に君臨した大谷もリリーフでそろい踏み。
夢のような豪華リレーで世界一を14年ぶりに奪還。栗山英樹監督が束ねた日本の侍たちが、ローンデポパークの中心で歓喜の輪を作りました!!
侍魂で頂点を掴んだ日本!! 感動をありがとう!!
以上 今年の日本野球界を5つのニュースで振り返ってみましたが、海外では争いごとによる不安定な状況が続き、日々哀しいニュースも流れる2023年はまもなく幕を閉じようとしています。
世界情勢の不安はまだ続きますが、2024年はポジティブなニュースが満載の年であることを真に祈っています!!
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投稿者:toocheebase|06:07|年別 総集編〜
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