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2015年09月09日
それでも希望について書く
希望が無い。希望のカケラすらないという方がいるかもしれない。
徹底的に打ちのめされて、立ち上がることすらできないという方もいるかもしれない。
しかし、どんな状況にあっても、また生きててよかったと思える時が来る。今はまだ実感がないかもしれないけど、本当のところあなたの直面している問題の解決方法は必ずある。
今はスコトマ(盲点)に隠れて見えていないだけだ。自分は大丈夫だ!そう信じれば、そのとおり現実が形作られていく。あなたの無意識が解決方法を探してくれる。しかも思いがけないところから答えを導いてくれる。
ジャンプして、転んで、
ボロボロになっても、あなたには立ち上がる力が在る。
久瑠あさ美
今起きていることには意味がる。もしかしたら、何かを学べというサインかもしれない。そこから学びを得れば不思議と事態は解消されていくだろう。
絶望の中だからこそ、見えてくる希望がある。
いつかあの体験があったか今の私があると思える時がくる。絶望から立ち上がったあなたはヒーローだ。その時のあなたはとてつもなく輝いているに違いない。
未来は私が切り拓いていく。その決意に根拠はいらない。
そう心から決めた時から、人生は劇的に変わる。
2015年09月07日
この絶望の先には希望がある そう信じて未来を切り開いていこうではありませんか
このブログをご覧の方にも、現状が辛く、もう嫌だ、死んでしまいたいという方がいるかもしれません。
しかし、良く考えてください。こういった状況は、見方を変えれば人生を好転させるチャンスでもあります。僕が思うに、人生において何かが大きく変わろうとする前に、一旦辛い状況が訪れるのではないかと思います。夜明け前が一番暗いというではありませんか。好転反応と言ってもいいかもしれない。
苦しい、辛い、こういった状況に嫌気がさし、絶対に人生を変えてやるという誓いが生まれるからこそ、人生は変わっていくのです。
さて、セルフトークをご存知でしょうか。簡単に言えば、意識・無意識で繰り返すひとり言で、人間は一日につき4万〜6万回のセルフトークをしていると言われています。このセルフトークが、あなたのセルフイメージを形作っています。人間はこのセルフイメージのとおりの行動をしてしまうのです。
セルフトークには4つの段階があるとされています。
第1段階:ゴールに対して「無理だ」「出来るわけない」という諦め
第2段階:「〜するべきだ」「〜であったらいいな」という願望
この時点では、解決策はもちえない
第3段階:「こんな現状もういやだ」現状を変えるという誓い
「ではどうするのか。」という問いが生まれる
現状とは違う新しいイメージを探し始める
コンフォートゾーンが移行し始める
第4段階:ゴールに向けての新しいイメージについてのセルフトークが生まれる。
「次はこうする」「明日はこうありたい」
「人生を変えると誓う」のは第3段階に当たります。こう考えると、苦しく、辛くとも第3段階のセルフトークが出てくる方はチャンスなのです。
僕はそういった方々に希望をもってもらいたい。
さて、いきなりですが希望とはなんでしょうか。
いろいろな考えがあると思いますが、今より良い未来が訪れると信じられるのが希望。今はとても辛く、苦しいけれど、だけど、今後は事態が好転すると確信できることが希望であると考えます。
「希望学」という分野を打ち立てられ、希望について研究されている東京大学の玄田有史教授によれば、「自分の中に4つの柱を打ち立てれば、希望はつくれる」そうです。
希望とは何か。希望(Hope)は英語で、Wish for something to Come True by Actionだ。
希望は 気持ち(wish)
何か(something)
実現(come true)
行動(action)
の4本柱から成り立つ。この4本柱を自分のなかに打ち立てれば、希望はつくれるのだ。※玄田有史「希望学 あしたの向こうに 希望の福井、福井の希望」東大社研 玄田有史編 2013年 p52
Wish for something to Come True by Action
行動を伴いながら何かを成し遂げるという気持ち
コーチング理論を用いて解釈をすれば、行動を伴いながらゴール達成に向かうマインドと言ったところでしょうか。
この定義からも分かるように、希望は自分の心の中で作り出されます。決して、他人や社会からもたらされるものではありません。というのも、希望は他人や社会からもたらされるものだと勘違いしている人が多いと感じるからです。
「この国にはなんでもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」。村上龍 「希望の国のエスソダス」講談社文庫 2002年 P314 という言葉が有名になった背景には、希望はもたらされると勘違いしている人が多いからだと思います。
何度も言いますが、希望はもたらされるものではなく、自分で見つけるものです。
とはいうものの、希望を見いだせたら苦労しないよという方も大勢いるかと思います。学校や社会からは希望をもてと言われますが、ではどうやったら希望を持てるようになるのかについては教えてくれません。
そのヒントは、行動を伴いながらゴール達成に向かうマインドという言葉にあるとおりです。
まずは、未来のゴールに向かって、行動を伴いながら、マインドを変えていきましょう。
All meaningful and lasting change starts first on the inside and works its way out into the world By Lou Tice
意味のある永続的な変化はすべて、あなたの想像の中(マインド)で始まり、現実の世界に広がっていく ルータイスの言葉
コーチングのお問い合わせは
http://mindresque.jp/
2015年09月06日
幸せになるために必要なこと
人生に希望が持てません。昔から何をやってもうまくいかずに失敗ばかり。 給料も派遣で安くいつクビを切られるか分かりません。 婚活をしているのですがこれも上手くいきません。彼氏もいません。 周りの友達を見ているとみな楽しそうで、幸せそうで羨ましいです。赤ちゃんを産んで、子どもと楽しそうにしているのを見ると羨ましいというか、妬ましいです。 私はとくに何か悪いことをしたわけではないのに、なんで自分ばっかりこんな目に合わないといけないのか分かりません。本当に悔しいです。 何の希望も持てない事が定期的に深い悲しみとなって襲ってきます。 同僚、友達、ご近所、同年代の人たちの中で自分が不幸だと感じてしまって悲しいです。自分の運命を恨むばかりです。どうしたらいいのでしょうか。 このままの現状が続くだけなら生きている意味があるのかなと思います。 (30代女性) プライバシーの為にこれ以上は話せませんが上のような相談を受けました。 この女性は普段はとても明るそうに振る舞っているのですが、僕と話をした時に本音を喋ってくれました。その時の表情はとても悲しそうでした。 この女性の気持ちよく分かります。マインド(脳とこころ)がマイナスレベルにあります。 マイナスの視点から世界を眺めると、 @ 他人が羨ましくて仕方がない。 A はたから見て良いことがあっても、本人は焦点から外して(ロックアクト)してしまうので良いことが目に入らない。 無意識に悪いことに焦点(ロックオン)をしているので、悪いことが続いているように感じてしまう。 B 自分が世界で一番不幸ではないかと思う C こころの中のネガティブなイメージが非言語で周囲の人間に伝わってしまうので、その人たちとの関係に悪影響を与えてしまう。 マイナスの状態がコンフォートゾーンになってしまい(ホメオスタシスがそこで維持されてる)、沼地から抜け出せなくなってしまう。最悪なのは、周囲に同じような人たちばかりが集まり、いわゆる不幸自慢をはじめてしまうこと。結果、マイナスの臨場感が増してしまう→沼地に嵌ってしまう 第三者からみると、お金と時間をかけてマイナスにもっていくのではなく、プラスにもっていけよと突っ込まれそうなところだけど、プラスにもっていくということがスコトマ(盲点)に隠れてしまい見えなくなる。 私の辛さを分かってほしい、共感してほしいという気持ちは物凄くよく分かります。僕もそうでした。しかし、そうやって気分が晴れるのもほんの一瞬、しばらくすればまたマイナスレベルの自分に戻ってしまう。それで自己嫌悪に陥り、ますますマイナスのループが形成されてしまう。 この状態から抜け出そうとして、カウンセリングや自己啓発に走るも、マイナスから0の間がコンフォートゾーンになっているので、同じような状態を繰り返してしまう。結局、自分は変われないのだ、運命だと思って人生に対して悲観的になってしまう。変なスピリチャルに走ってしまう人も多い。 また正直に書くと、口先では幸せになりたいと言っておきながらも、無意識ではマイナスを心地よく感じている人が意外に多い。マイナスであれば周囲の人が心配してくれるし、優しくしてくれる。感覚が麻痺してしまい、そんな状態を居心地良く感じてしまう。 では、どうすれば良いのか。 ここで変われる人と、変われない人の違いは、自己責任ということに気が付けるかどうかだと思う。どんな事態にも因果関係があり、自分が引き起こしていることには間違いない。 引き寄せの法則というように、自分が思ったとおりのことが引き寄せられる。つまりは、これも自己責任という意味だ。 とはいうものの、自己責任を受け入れるのは苦しい。辛い感情を経験しなければならないかもしれない。泣くくらいでは済まされないかもしれない。 それでも、自己責任で自分が幸せになると決意しなければ何も変わらない。本当は決意した時点で人生は変わり始める。あとは、愚直に続けていけるかどうかだ。 白馬の王子様があらわれて「君を幸せにする」と言われても、本当に幸せを感じられるだろうか。どこかで空虚感が続くのではなかろうか。旦那がかまってくれない、誰も私をかまってくれないとそういた話は良く聞く。寂しさから浮気に走ってしまい、バレて家庭が崩壊してしまったという話も良く聞く。 結局のところ、他人に頼っているだけでは幸せになれないと思う。 事実、私もこの自己責任という言葉に気が付きだしてから、不思議と人生が急転し始めた。出会う人が変わった。チャンスにも恵まれるようになった。半年前に考えていたことが、ほとんど実現している。 また、挫折からハイ上がって来た人は圧倒的に強い。誤解を恐れずに言えば、オーラというか死生観がある。 と考えると挫折にも意味がある。あの経験があったから今の自分があるのだと、いつかは思えるようになる。 まずは、「この状態を抜け出すぞ、絶対に幸せになるんだ」という誓いからだ。運命なんて自分で好きに書き換えればいいさ。 その決意から現実はつくられる。 Don’t worry, be happy! コーチングのお問い合わせは http://mindresque.jp 2015年09月04日苫米地式コーチングを受けてから金銭感覚がおかしくなった話苫米地式コーチングを受けて、僕も含め多くのコーチ仲間が体感すること。それは、金前感覚がなんかおかしくなるということ。 僕の場合、その時の自分にとっては高い料金を払って認定コーチ養成講座に申し込んだ。銀行での振り込みを行った際に何かが壊れた。旧来のお金への価値観がぶっ壊れたのだと思う。 申し込む前は、こんな大金を申し込んで本当に大丈夫なのだろうか。高すぎというか、凄すぎでないかと正直思っていた。 しかし、講座が進むにつれ、一桁、二桁お金への金銭感覚がずれてくる。そして、お金に価値はないということに気づく。それで、みな一万円札を破ってしまう(笑) 苫米地博士のパーソナルコーチングは現時点で30分600万円らしい(これからもどんどん上がっていくよ)。最初は何かの冗談かと思うくらい現状から外れた金額だと感じていた。しかし、驚くべきとことに、いつの間にか安すぎると思うようなっていた。なぜならそれ以上の価値があるから。 自己分析するところ僕のお金への感覚、コンフォートゾーンが移行したのだ。正直なところ、自分のコーチング料金ももって値上げしていいんじゃねと思うようになってきた。エフィカシーが上がったのだ。 苫米地さんに洗脳されたのか(笑) 洗脳ではなく社会的価値観からの脱洗脳か。 まあ、なんでもいいや。自分の好きなように自己洗脳すればいいし。 僕に限って言えば不思議なことに、時給900円とか月給30万円とかの求人に入札するのではなく、自分が入札される側になればいいじゃんと考えを改めるようになってきた。苫米地博士の本を読んだり、コーチから言われてきたりした言葉「自分の年収は自分で決めればいい」が腑に落ちてきた。 抽象度の低い話で恐縮だが、僕の周りのコーチは皆一線で活躍している人ばかりだ。それゆえ、多くの人が聞いたらびっくりするような年収を得ている。あの人も、この人も状態だ。そんな人たちに囲まれていると、僕もそうなってないとおかしくない?と感じるようになってくる。それくらい周りの環境は大事だ。 ゴールを設定して、コンフォートゾーンが移行すればあとは、あとは方法が見えてくる。そのことを現在進行形で体感中。 コーチングのお問い合わせはこちら http://mindresque.jp 2015年09月02日余計なお世話頼まれてもいなのに、余計なアドバイスをしてくる人を見ていて、人間は無意識に他人をコントロールしようとする生き物なのかなと思った。
他人をコントロールしようとするのも人間の本能なのだろうか。自分のことを認めてもらいたいからアドバイスをするのか。 大抵の場合、アドバイスをした方は、いいことをしたという気に浸っているが、された方は納得しているのだろうか。そうでない場合も多いのでは。どれだけ相手のためになっているのか。 自分で納得して答えを見つけなければ人は動かない。 人は無意識に他人から言われたことを押し返そうそうとするプッシュ、プッシュバックの法則が働く。 だったらどうするか。 自分で答えを見つけられるようにしてあげるのも手だよね。 2015年09月01日ご縁の国しまねというからには8月30日のセミナーにて出てきたキーワードの一つに繋がりがある。 私たちは無意識に集団をつくりそれを維持しようとする傾向がる。他との繋がりに対して、排他的になってしまう。集団や組織の中にいると他から見たら、おかしいと思うことが分からなくなってしまう。 一例として、学校を出たての新入社員が最初は会社や組織の慣例がおかしいと疑問を感じつつも、年月が経つにつれその慣例に慣れてしまう。そして、今度は後輩にそれを強いるようになってしまう。 個人レベルでも、なかなか違う価値観の人を受け入れようとしない。よく、あの人は頑固だからはと言われる人がいるが、それは簡単に言うと変化したくないということだ。 良い悪いは別として、人間にはホメオスタシス(恒常性)という超強烈な本能が備わっている。集団でも、個人でも変化はしたくないという思いが強い。 しかし、人間にはそれでも、変化をしたい進化したいという欲求もある。赤ちゃんは誰に頼まれているわけでもなく、ハイハイをするし、言葉を覚えようとする。寝ているのが楽だから、僕は一生赤ちゃんのままでいいので成長は不要ですという人を見たことがない。カブトムシでさえも幼虫からさなぎになって、成虫へと変化をしていく。 変化をしたくないという本能もあれば、変化をしたいという本能もある。ここが人間の面白いところでもある。先に書いたように、絶対はないと分かっているけど、それを追い求めてしまうみたいな。 ちょっと話がそれたが、繋がりに戻そう。 組織や集団は変化を嫌うと同時に、変化が必要な時が来る。今の時代、昔は超安定だった会社でも、これほどインターネットが発達して、世界と繋がっている現在においては変化に適応できなければ潰れてしまう。というか既に潰れてしまった大会社は多い。 セミナーでは、変化していくには、外からの視点を取り入れて繋がってく必要があるという結論に至った。外からの視点、つまり、よそ者を排除しない。よそからの意見を一端は受け入れるということだ。ここで注意して頂きたいのは、よそ者を組織の中には入れないということだ。入れてしまったら必ず同化をしてしまう。あくまでも第三者の視点で、距離を置くことが大事だ。 例えば、島根県では地域振興という題目のもと各自治体や地域が必死になって打開策を練っている。成功している自治体や地域もあれば、苦戦しているところもある。 僕が思うに成功している自治体や地域は、間違いなくよそ者を排除せず、キチンと意見を取り入れている。とくにトップが、よそ者の視点を積極的に活用している。自分たちにスコトマ(盲点)があることを十分に認識している。それを外すのがよそ者だ。なんだかコーチみたいだ。全国的に有名になった某島の町なんかはいい例だろう。 一方で、苦戦している自治体や地域はよそ者を受け入れようとしない。地元のことは自分たちが一番よく知っている。よそ者に言われる筋合いはないと排他的なところもある。結果、ますますスコトマ(盲点)が増えてしまい、第三者から見たらいい点が見えなくなってしまう。昔、韓国人に島根県にはボラ(魚の種類)が多いので、これをカラスミとしてPRしないのですかと尋ねられたことがある。その時に、なるほど、スコトマ(盲点)とはこういうことかと思い知らされた経験がある。 よそ者を受け入れる、繋がるとは、コーチング理論で言えば縁起(関係性)を書き換えるということだ。「ご縁の国しまね」とPRしているからには、第三者の視点を尊重して縁起(関係性)を書き換えていく必要がる。まさに、ご縁の国しまねの一番地である出雲市でのセミナーでそう思った。間違っても、ニセ物になってしまわないように。 http://mindresque.jp 人生に迷ったら好きなことをしてみる8月30日の子育てセミナーでの気付きから学んだことを書きたいと思います。 非常に学びの多い機会だったので、そのほかについてはまた書きます。 さて、第1部の講師は出雲市で数学の塾を経営さている小村留理さん。 http://117little.wix.com/littlevillage-juku 「世の中に絶対はない」というテーマについて数学的観点からお話をして頂きました。数学がご専門のゆえに、ゲーテルの不完全性定理を軸にかなり高度な内容でした。苫米地式コーチがいの一番に習う、「世の中に絶対はない」というテーマです。 面白かったのは、人間は絶対がないと分かっていても、絶対を求めてしまうところがある。なぜか完全情報を求めてしまう。 子育て、教育に限って言えば、いい大学を出て公務員や一部上場企業に勤めることが今でも絶対的な幸せだと言われているような気がします。僕の地元では間違いなく公務員が一番で、あとは電力会社や銀行員だと昔から言われています。ここに入れば一生安泰みたいな。しかし、一生安泰かどうかは誰にも分かりません。病気になって休職する方、辞める方も一定数は確実にいます。そんな人を何人も知っています。だけど、それでもやっぱり、それらの仕事を求めてします。 私は苫米地式コーチという世間から見るとよく分からないような職業です。コーチ仲間には、元公務員、元大企業の方が大勢います。転職されたのは個々に様々な理由があるかと思いますが、おそらくその元何々が嫌になったから辞めた部分もあるかと思います。 嫌なことに耐えて、給料は我慢料だと言い聞かせて、土日祝日のみを楽しみに生きる。金曜日の夜から日曜の昼まで(夕方はサザエさん症候群)の為に生きる。そんな生活に嫌気がさしてHave to(しなければならない)で生きていくよりも、want to(したい)で生きていきたいと思ったのではなかろうか。俺はこれで価値を創っていくのだと! コーチ仲間に限らずwant to(したい)ベースで行動している人を見るといつも楽しそうだし、どこからそんなエネルギーが出てくるんだよと魅了されます。 元大企業のコーチから聞いたお話では、「今の方が何倍も仕事をしているけど全然疲れない」。「大企業で勤めていたころは何故かものすごく疲れて休みの日は寝ているだけだった」。「今思えば、午前中一杯で片づけられる業務を、残業してやっていた。Have to だからエネルギーが出ないのは当たり前だよね。あはは」これらの言葉が強く心に残っています。 他にも、地元だけでも、パン屋さん、コーヒ屋さん、ケーキ屋さんなどの好きなことを仕事にしている人をたくさん見てきました。明らかに普通のサラリーマンよりは働いているのですが、あまり疲れないそうです。それよりも、自分のつくった作品で多くの人に喜んでもらえて嬉しい、嬉しいからもっと良いサービスを提供しようという好循環が生まれて世の中に価値を提供しています。 好きなことを仕事にする。間違いなくマインド(脳と心)にとっては良いことであることに間違いはありません。 事実、日本の一部上場企業みたいにアメリカのフォーチュン500というのがあります。 フォーチュン500企業を対象にした、ハーバードビジネススクールとアメリカのコーチング機関(The Pacific Institute http://www.thepacificinstitute.com/)が行った10年越しの追跡研究によると、抑圧的かつ義務的なhave toベースの企業よりも、肯定的雰囲気でやりたいようにやらせてくれるwant toベース企業の方が、利益率が平均で756倍大きいというデータが報告されているほどです。もう一度言います。756倍です。 ※英語が読める方は、ぜひTPIのクライアントをご覧ください。 多くの人が、「好きなことでは食っていけない」。「そんなことができるのは一部の才能に恵まれた人だけだ」と言われてのではないでしょうか。私もそう言われ続けてきました。安定が一番だと。その影響で、安定した仕事に就いたことがあります。だけど、心の安定は崩しました。 私の周りで楽しそう・幸せそうな人は間違いなく好きなことをしています。私の知っている限り、世間一般に成功者とされる人もこの中に含まれます。みな楽しそうで、幸せそうです。 好きなことを突き詰めてみる。そして、価値を生み出す。こういう生き方もいいのではないでしょうか。 http://mindresque.jp/ ×
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