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最近の状況も織り交ぜながら、報告して来ましたが、再び、当時の紹介をして行きます。又、その時に気が付いた事なども、追記として報告して行きます。

2009.3.5(メール41)
最近、夜型になった原因を色々と考えていたが、一つには、昼間はどうしても御袋の用事があったりして、集中できない事がある。

夜は兄貴もいるので、安心して自分の仕事に向かう事が出来る。
しかし、困った事に、2時過ぎないと眠くならないんだよね。

昨日は風呂に入ったのが4時半、寝たのが5時過ぎ、起きたのが8時半。

昔から睡眠時間は少ない方なので気にはならないが、夜、早く寝れなくなったのに、驚くね。

テレビは、食事の時と、気になる番組位しか、見ないが、その分ネットに入ってしまっている。

★お袋は、今日はウンチの日なので、早くから色々と段取りをしたのだが、昼間は空振りの、オシッコだけ。

夜の11時半頃に中位の2本。
長さは、そこそこあるが、一寸少なめなので、又あとでする筈。

日中にやられると、一人なので大変。いつもの格闘騒ぎになる。
知らない人は、いじめているのだと思うだろネ、きっと。

最近、料理には大根の煮物を、毎日の様に作る。
おでん風だが、ヘ臭くて旨い。

血液のサラサラ効果は、玉葱の半分だそうだが、玉葱は毎日は食えない。

最近、御袋のウンチが緑がかっている。
よく田舎に行くと体験するウンチだ。

野菜中心にした成果が、やっと目に見えだしたのだ。
やはし、なんでも1年位は掛かるんだな、と思った。
やっと眠くなって来た。
そろそろ寝るわ。


追記: 自分は若い頃から、睡眠時間は案外と短いほうである。
そのかわし、寝付くのは早い。

横になると、直ぐに寝てしまう。
「ものの1分位だな」と、人に、良く言われる。

又、昼寝には、とても思い出がある。

小学校の頃、昼寝から起きて、果たして今日は、一体何曜日なのか、分からなくなり、心配で、皆に確認して歩いた事を、今でも、うっすらと覚えている。
(当時は、寝すぎて、学校を休んでしまったのではないかと、大いに、心配したものである。)

その事が、原因かどうか分からぬが、それ以来、昼寝をすると言う、日課は殆ど皆無、と言っても過言ではない。

根が元々、貧乏性で、休みの日は、起きるのが特に早い。
早く、起きないと、一日を損して仕舞う様な、感じになるからである。

だから、休みの日は、殆ど家にいる事は少ない。

今は、修行の身であるので、一切を封印。

結婚して、子供が出来れば、子供中心の生活になる様に、年と共にライフスタイルは変化して行くのは、当然である。

今は、お袋の面倒を見る事が中心と思って、生活も切り替えている。

これも、いわゆる、ひとつのライフスタイルの変化と、言うんでしょうかねー。
・・長嶋さん。












最近の状況も織り交ぜながら、報告して来ましたが、再び、当時の紹介をして行きます。又、その時に気が付いた事なども、追記として報告して行きます。

2009.3.3(メール40)
元気そうで何より。今、中野から帰った所だ。

最近家に閉じこもってばかりなので、散歩を兼ねた買い物だ。
魚、肉、練り物を、仕入れに行って来た。

ブロードウェイの地下が一番のお気に入りだ。
デカ物で有名なソフトクリーム屋は、いつも客が一杯だ。

目当ては魚屋と肉屋。
どちらも、この界隈の居酒屋、料理店が仕入れに来る程、ネタは新鮮で、値段はリーズナブル。
西友も入店しているが、最近までは西友には、客は流れていなかったね。(西友が打ち出した、地域の最安値店への戦略変更で、最近は若干、客が流れつつあるかも。)

この間、NHKで鬱抗薬の飲みすぎによる、副作用の問題が取り上げられていたが、医者にとっては、原因も不明、治療も不明でいい稼ぎになるらしく、患者を薬漬けにしてしまうらしい。

リタイアした人生の過ごし方などに問題があるのだろうが、ある程度は社会にも責任がないとも思えない。

薬の摂取過剰では、確か昭和医大病院の医者が警鐘を鳴らしていた。

★御袋も寒い時には布団の中から置き上らない。
ただベッドで1日中寝ている日の夜は、元気になって起きているから困る。

こちらが眠れないのだ。
どうしても、どちらかが付き合わなければならず、ずっとエアコンをつけっぱなしにして、体が冷えないように、と気をつけているのだが、そんな時に限って大シッコを漏らす。

寒いから2〜3回漏らす時もある。オシメは2枚重ねしているのだが、動くからずれてしまうのだ。

一番外のパンツは濡れていないのだが、シーツが濡れている事が多い。
原因は、オシメパットの縁に沿って、外に毀れてしまうのではないかと言う、結論に至った。

本来は、沁みこむ箇所が動きに寄ってずれて、運悪くパットの縁に当り、丁度、谷に水が流れるようになってしまう。
この結論に辿りつくのに2年かかった。

オシッコを漏らすと、まずズボン、ジャンパー、上着、靴下など全て交換しなければならない。

それも真夜中。寒いし眠いし。それに容赦なく飛び出す引掻き技、ツバ吐き、蹴飛ばしに、勝たなければ、その先に進めない。
まるでゲームだね。
修行はまだ続く。


追記: 中野ブロードウェイは1966年(昭和41年)に中野駅北口開発の一環としてサンモール商店街に続く、ショッピングコンブレックス(商業住宅複合施設)としてオープンした。

地下3F、地上10F建てで、日本で商業施設に、吹き抜けスタイルを取り入れた、草分けでもある。

地下1階から4階までが商業施設で、5階以上は住居専用となっている。
立地条件の良さに加え、屋上施設として、当時としては画期的な、プール、庭園、ゴルフ練習場等の設備が備わっており、とても充実している。
又ネーミングの良さも加わって、多くの芸能人も住んでいた事で知られる。(青島幸男、沢田研二・・)

現在、このブロードウェイ商店街を代表するお店と言うと、漫画専門店の「まんだらけ」である。

2000年に東京マザースに上場、この商店街の活性化にも、大いに貢献している。今は、漫画以外にもフィギュア、マニア向け商品も数多く取り扱っている。

又、マニア向け、おたく向けの店舗も多く、異国人も数多く見受けられる。
(フィギュア購入が目的で、来日するマニアも多いらしい)

計画開発はコープとうきょう、施工は間組。
最近も、大規模修繕が、間組によって行われたばかりである。












最近の状況も織り交ぜながら、報告して来ましたが、再び、当時の紹介をして行きます。又、その時に気が付いた事なども、追記として報告して行きます。

2009.2.13(メール39)
その後調子はどう?
明日は、春の嵐になりそうとの事だが、一番はこの間吹いたから、明日は二番だね。
やっと春だね。

今年は早いね。
梅も満開だし、心も、そろそろ春の準備だね。

最近、身近な人の訃報が多い。
11日も、2つ下の知り合いが、心筋梗塞で亡くなって対面してきたが、綺麗な顔だったし、全然、元気そうに寝てたよ。
出来る事は済まして置かないとネ。

★相変わらず、御袋の介護をしながらだが、最近ベッドから落ちる事が多くなって来た。
又、落ちないにしても、つたい歩きでベッドの周りで転び、ベッドの下等に体が入り込み、自分では抜けられないで、もがいている事がある。
どうしようもなくなると、「神様助けて!」と叫んでいる。

隣に居るときはいいが、居ないときは怖いネ。
ああそうか、こうゆう風にして、怪我をして死んでいくのか、と思うネ。

ウンチも最近小出しが多くなり、以前のような、極太3本は影を潜めている。
小出しにするから、殆ど毎日出るのだが、オシメの中でするのが日常なので、交換は、いつものように、ベッドの上で、戦闘モード突入である。

そんな事をしていると、すぐに1時間が過ぎる。
又、天気が悪くなる時に限って、汚すんだよね。
洗濯物が乾かないんだよね。
まあ、兄貴なんかは、いつもの様に「修行だよ」と言う。


追記: どうもこの辺から、ベッド周りでも、転がる事が多くなって来たみたいである。
原因としては、腰に力が入らなくなった事と、お袋の場合は、左足の血行不良に伴う、神経マヒが考えられる。

前回もお伝えした通り、血管に障害があると、血液が上手く流れなくなり、どうしても手、足の末梢神経が鈍くなって来てしまう。

医者からは、結果の、症状を看て指摘を受けるが、此方としては、状況判断による、今後の予想される症状、又、それに対する、予防策等についての、情報と具体的な指導方法がほしいのである。

結局の所、医者と言うのは、対応措置が仕事なんだよね。
病気が発生して、仕事になる訳だからね。
まあ、年寄りは、ドル箱なんだろうね。

基本的には、風呂は毎日入れる様にしている。
しかし、ウンチ、オシッコの漏れ具合によっては、日に多いときは3回、4回となる。

此方に来て、足の裏がひび割れる様になった。
最初の内は、多分石鹸が、肌にあわないのだろう位にしか思っていなかったのだが、そうでもなさそう。

結局1年位経ってから、風呂の回数だと言う事に気が付いた。

象さんのように、ひび割れるのである。
クリームを付けるが、治りは遅い。

兄貴が同じ症状になって初めて、風呂の回数が原因であると言う、結論に達したのである。












最近の状況も織り交ぜながら、報告して来ましたが、再び、当時の紹介をして行きます。又、その時に気が付いた事なども、追記として報告して行きます。

2009.2.2(メール38)
★今日、御袋が咳き込む様になって来た。
自分の風邪が移ったのかも。ヤバイ。
でも12月に注射したから大丈夫だろ。
かかったにしても軽くて済むとは思うのだが、肺炎を起こされるのが怖い。

★最近、夜じゃないと、仕事が全然捗らない。
日中は何か集中出来ないんだよね。
すぐに楽な方に走って行ってしまう。ネット中毒になったかも。

「まあ、いつかは飽きるんだろうから、いいか!」何て言い聞かせながら、次から次へと渡り歩く。

気が付くともう夕方。
ご飯の支度をしなくては。1日がとても早い。

今日は2月1日。明日が妹の誕生日だったな。
そして、その翌日が祖母の誕生日だった。

昔は旧正月で、運がいいから、「うん」と名前が付いたそうだ。
多分小さい時には、随分とからかわれたと思う。
「こ」を付けてネ。

今日は、卓上プリンターのインクの補充をする予定だったが、「明日でいいか」何て、ズルズルと延してしまう。
古い方のプリンター、で打ち出すか。
最近、全てがこの調子になってしまうのだ。


追記: お袋はインフルエンザの予防注射を、毎年受けている。
いつもの往診の先生に、注射して貰うのであるが、注射の時には、暴れないように、看護婦さんと、二人して、手と足を中心に、ベッドで押さえ込む。

可哀想だがしょうがない。
「痛い」の叫びで、終了するのだが、先生を、ぐっと、睨みつける。

しかし、痛いと言う神経が残っている事で、ホッ、ともするのである。

血管に障害があると、血液が上手く流れなくなり、どうしても手、足の末梢神経が鈍くなって来るみたいである。

例えば、肘をじっと曲げて寝ていると、血行が悪くなり、指先の赤みがなくなり、青くなってしまう。
危険信号である。

この様な時は、変色した部分の、軽いマッサージと、ずっと曲げていた、肘を伸ばして血行を促す。
又、寝ている、体位を変えてあげる事も、良さそうである。
(運動する事がないので、本当は全身マッサージなどで、血行を刺激した方が良いのかも)

最近では、寒さにも鈍感になっており、手を布団の外に出したままにして寝るので、手袋は有効である。

特に冬は乾燥が激しいので、体中を、ぼりぼりと掻きむしる。
それも、爪を立てて掻く事になる。

当然であるが、皮膚に炎症が発生する。
すると、炎症の起こった箇所は、一層痒くなる為に、傷口をどんどんと、広げる事に、なってしまうのである。

肌に傷を付けない観点からも、手袋は有効となる。

但し、掻きむしるので、衛生上、毎日の交換は欠かせない。
尚、手袋の材質は毛糸、滑り防止付きポチポチは避け、ウール製品が肌にも、優しく、しっくりと来るみたいである。












最近の状況も織り交ぜながら、報告して来ましたが、再び、当時の紹介をして行きます。又、その時に気が付いた事なども、追記として報告して行きます。

2009.1.30(メール37)
★今日は往診の日である。朝9時半前に往診開始。
お袋は、今朝4時半頃から起きて、6時過ぎに二度寝の開始。
そんな所を、先生に起こされ、機嫌が悪い。
手を出すと引掻かれる。
それも爪を思いっきり立てるので、やられると、怪我をする。

兄は顔、首、肘、手、足、外に出ている部分は傷だらけだ。
年に似合わぬ敏捷な動きは、先生も感心。

往診のデータは、携帯するパソコンに、その場で打ち込む。
又、それを狙っての攻撃もある。
先生は充分注意しているので、めったには傷を負うことはない。
医者にとっては、手は命だからネ。怪我には特に注意しているのが分かる。

今日は眠いらしく、ウンチがなかった。
この1週間で、初めてかも。
今、又隣で起きだした。

兄貴が隣で寝てくれているので助かるが、ソファーに寝るので、余り寝た気がしないかも。

機嫌が悪い時は何処でも掴むし、引掻く。
風呂では、兄に前で抑えて貰って、自分が後ろから洗う。

前で押えるのだが、兄貴は、よく金玉を握られる。
握るというよりも、引き抜きにかかっているのかも。

多分、親父の思い出、なんだろうと思うが、兄貴と親父の区別がつかないのだ。

最近、足の裏が象の様になって痛い。
ひび割れ発生である。
日に何回と無く、風呂でお湯、水に触れるからだと思う。
もう眠くなって来たので寝る。お休み。


追記:お風呂に入れる時は兄貴はパンツ一丁になる。
上はシャツを着るが、下はパンツ。

びしゃびしゃと、跳ねて濡れるからだが、体型的には、充分太っているので、寒さには、めっぽう強い。

真冬でも、昔から、下着のシャツは着た事がない。
地肌にシャツを身に付ける。(気持ち悪い・・)

又、顎まで伸ばしたもみ上げは、お袋の格好の攻撃材料となり、べりべりとむしられる。

風呂に入って洗う時には、兄貴に前で、お袋の手を持っていて貰う。
手の攻撃を防ぐ為である。

しかし、ずっと持っている訳にもいかないので、時々はフリーになる時がある。そんな時は、後ろにいる自分の方にも、攻撃が及ぶ。

気を付けないと、目を引っ掛かれ、大怪我をする。
怪我をしても誰も補償はしてくれない。

前で手を掴んでいても、手は前へ、前へと伸びる。

「痛い、痛いー」と鈍い悲鳴!金玉攻撃に来るのである。
トランクスの下から、ねじ入れ、掴んで、引っこ抜きに掛かる。

すは一大事とはこのことであろう。腰を捩って、捩って攻撃を防ぐ。
男もけっこう大変なのである。

すかさず、自分が「ダメだー、ひっこ抜いたら、もう生えねんだよ!」と、少し、訛って言い含めるのだが、今の、お袋は残念ながら、聞く耳を持たない。












最近の状況も織り交ぜながら、報告して来ましたが、再び、当時の紹介をして行きます。又、その時に気が付いた事なども、追記として報告して行きます。

2009.1.29
今週で1月も終わりである。早い!
仕事は相変わらずノリが悪く、「今ひとつ」って、とこ。

先週の木曜日位から、風邪の症状が現れ、久し振りの寒気を味わい、冬嫌いの弱気虫が頭を擡げてきた。

そんな感じなので、当然仕事の方は、捗る訳がない。
ただ、ダラダラと時間を流し、ネットの世界に入り込む。

★御袋の方は今週に入ってから、毎日ウンチが出て、快調の様である。
毎日出る事は、ここ暫くなかったから、驚きだ。
今日で何日かな。5日か6日連続かも。

殆どオシメだが、その大半は、兄が出掛けて、自分一人の時である。
当然ベッドで交換するのだが、引掻いたり、つねったり、ツバを吐いたり、それはそれは凄い。

その攻撃をかわしながら、押えながら、交換しなくてはならないので、時々アクロバット的な体位にもなる為、腰を痛める。

毎週決まってカレーは欠かせないが、野菜中心のメニューには変わりはない。

昨日はイカ大根。
内臓を入れて味付けを少し濃くしたが、御袋は結構食べてたな。

本当は一杯飲みたい所だが、風邪引きで断念。
その代り、御袋にはカンチュウハイを飲ませた。一缶近く飲む。

しかし、寒い時は甘酒に限る。
いつも作って置き、少なくなったら足していく。

砂糖は控えめ、ツブツブのあるやつがおいしい。
これだけはお茶代わりに飲むネ。

発酵食品だから、あんまり熱くならないように、温度に注意して温める。
温まって置いておくと、ドロドロ度が増す。
生きてるんだろね。多分。
冷でも美味い。

咳はまだ止まらないが、寒気は、だいぶゆるんできた。
もう少しかな。
御袋に移らないようにと思うのだが、予防注射は受けているので、大丈夫だろう。


追記: 風邪に掛かると、お袋にうつるので、特に気を付けている。
兄にも、外出した後は、うがいと、手洗いをするよう、何気に注意する。

しかし、この「手洗い」には、自分は、苦い、苦しい体験がある。

まだ、小学生の頃、(5年生位かな?)何が気っかけになったのか、分からぬが、しょっちゅう、手を洗う様になってしまったのだ。

特に、綺麗好きと言う訳ではなかったと思うが、もしかすると、当時、流行っていた病気(インフルエンザ、おたふく風邪、コレラ、・・)があり、その予防として、手洗いが、励行されていたのかも知れない。

兄弟の中で、こんな苦い経験をしたのは、自分だけであった。

学校に行ったり、遊んだり、テレビを見たりして、気が他に行っている時は、まだ症状は弱いのだが、自分一人の時間になると、しょっちゅう、手を洗わないと、気が済まなくなってしまった。

やがて、自分では、解決策が見付からず、その事を家族にも話す様になり、理解を得ようとした。

皆の意見も聞き、参考にしようとしたのであろう。
このまま行ったら、自分は、完全に狂ってしまう。
何とかしなければ。

それは、それは、真に迫るものがあった。

完全に土つぼに、はまってしまったのである。

そんな或る日、6年生の頃であった。
「中学生になってまで、こんな思いはしたくない」との、強い思いで、もし手を洗わないで放置したら、どうなるのか、勇気を出して、実験してみる事にした。

すると、結果は不思議と、なにも起こらず、病気にもならず、元気で過ごせる自分がいる事に、気が付いたのである。

この時の自分の中で起こった、衝撃は、今でも鮮明に、心に焼き付いている。

ここ最近の、鳥インフル、新型インフルなどで、やたらと手洗いを励行する報道がなされる中、幼稚園児等がこぞって、手洗いをするニュースなどを見る度に、心を痛めるのである。
土つぼに、はまるなよ!












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2009.1.21(メール36)
4.5日前は寒かったネ。足の指が、しもやけ風になったよ。
エアコンしか入れてないので、さすが冬って感じ。
久し振りだねこの感触。

★相変わらず御袋の面倒を見ながらだが、足腰がどんどん弱っていくね。
もう一人では、歩けなくなった。

だからベッドからソファーに移ろうとする時に、転ぶんだよね。
怖いネ、目が無い時などに転がるのが。

でも時々あるんだよね、そんな時が。
自分か兄貴のどちらかが、いるのだが、たまたま寝ているから買い物でも、と思って、出掛ける時があるので、ドキドキするわ。

さっきは、ウンチをお風呂でされちゃって大変。
ベッドから臭って来たので、トイレに連れて行って残りを出させて、

「もうないの」と確認するのだが、鵜呑みにして、そのままお風呂に入れると、しちゃうんだよね。
寒いし、しょうがないので、ある程度、洗ってから湯船に入れてしまう。

結局、出てから、全部流して大掃除。
そんな事してると、あっと言う間に1時間が過ぎる。
今日のは、少し軟くて、大量に出た。

実は今日はカレーの日。大皿一杯食うからね。


追記: ベッドとソファーの間は、40センチ程の幅。
元気な頃は平気で行き来して、元気よく、孫の手を振り回していたのだが、どうも、この頃から怪しくなって来たみたいである。

部屋の出入りは、開きドアー。そのドアーと並行に、ベッドが置かれている。
ベッドとソファーの間に立ち、ドア側に転倒すると、頭をガラステーブル(高さ40センチ、角は丸)、反対側に転倒すると、テレビ若しくは、テレビ台(高さ40センチ、角は丸)にぶつかる。

手、腕はベッドの下か、ソファーの下。
ベッドの下は結構、金具が出ていて、怪我をし易い。

以前も、ベッドから転げて、床(カーペット)に寝転がって、「助けてー」ともがいていた事があった。

両方向に転がっていた事は、既に経験済みである。
しかし、声はあくまでも小さい。
この時は、手がベッドの下に入り込み、金具に引っ掛かって、抜け出せないでいたのである。

ベッドに引き上げると、笑顔で「どうも有難う」と言う。
何だ、治ったのか! と、勘違いする程だ。

自分の身に危険が差し迫っている、と言う事が理解出来る内は良いが、それさえも分からぬ様になると、一寸、問題である。
しかし、この転倒で、怖いのは大腿骨骨折等による大けが。
こうなると、即入院となるので、体力の急低下は、避けられない。

ずっと、傍にいて、見張っている訳にも、いかぬ為、対策も考えねばならぬ。
最近は、特に転んで、血が出ても、全然「痛い」とも言わない。
痛みを感じる神経が、ある部分、剥げ落ちてしまっているのであろう。

これから、どんどんと、脳細胞が壊れて行くに従い、今起こっている事が、一層判らぬ様になるのは、目に見えて来ている。











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2009.1.7(メール35)
新年になってしまいましたが、どんな正月を迎えました?
こちらは少し控えめに行動。
昨年末に、妹が亡くなっているからね。

それでも氏神の神社に31日の25時頃行って、翌朝、元日は、いつもの伏見稲荷に初詣。
しかし、参拝は列に並ばず、横から入って、遠慮がちに手を合わせただけのエコツアー。

今年は、井草八幡は、パス。
井草八幡の傍のコジマで、初ウリのパソコン部品を買って、途中、下井草のお墓に寄ったら親戚の人、3人とバッタリ遭遇。

20数年振りかも。1時間程、話をして実家に到着。
14時半過ぎかな。

今日は仕事もする気になれず、一杯飲む準備。

日本酒と御節で正月気分を味わう。
伊達巻、蒲鉾は兄貴が暮れにアメ横で、しこたま買い込んで来た為、食べ放題情態。こんなにかまぼこを食べた正月は今までになかったな。
まあ魚だからいいか。

こちらに来るようになってから、料理の担当だから、基本的には、何でも作る。
筑前煮(風)、お雑煮、栗きんとん、数の子(皮を剥くだけだけどね)。

最近は作るのが少し楽しみになって来たかも。
でも毎日の献立を考えるのは本当に大変だね。
つくづく主婦は偉いと思うわ。

今、御袋がオシッコを漏らして大変。
昨日、一晩寝てたから、今日は元気なんだよね。
誰かが付き合わないとね。風邪を引かせると大変だし。


追記: 伏見稲荷には毎年の様に行く。
ここは、この社一帯が小高い山となっており、社は頂上に南向きに配置されている。
社に立って、下を望むと、何故か寅さんの映画のワンシーンを思いだす。
そんな雰囲気のある、のんびりとした風景なのである。

しかし、毎年参詣する割には、中々、御利益とは縁遠い。
信心が足りないのかもね。

ここのお札で、一寸他の神社には無い物がある。
自分はこれが、とてもお気に入り。お目当てともなっている。
この社で育った杉の葉を体に見立て、顔には真っ白な、お亀の面。
そのまんま、幸福が飛び込んで来そうな感じ。
そんなに大きくはないが、すごくシックでお洒落。
値段も500円とお手頃。飾り物としても、とても良い一品。(これ、アフィリではない)

ただ、この社に取って残念な事は、社の脇が、新しい道路建設に伴う掘削工事でカットされてしまった事。
数年後に道路が開通すると、この高台にある社は、知名度は上がる代わりに、祭られた、神様は騒音と排気ガスで逃げ出すのでは。

そうなると、ますます、後利益が望めなくなりそう。
これも、時代の流れなのか、科学的根拠の薄い、神社仏閣を外に追いやる時代なのかもね。

「今までは、散々儲けて来たんでしょ。」
「じゃあ、もういいでしょ」
白装束で身をまとった昔の役人達に、今のダークな役人が裁定を下す。

この東伏見は昔から、早稲田大学のスポーツクラブの町であった。
駅前にはプール、ラグビー場、馬場、テニスコート、野球場と賑やかだった。
駅前の区画整理に伴い、プールはなくなったが、新たにアイススケートリンクが誕生(3500人収容)。

ラグビー場は上井草に移転したが、他の施設は現在も活躍中である。
野球のハンカチ王子はこの寮に住んでいる。(今年卒業かな?)
この伏見稲荷が出来て、参道のある、西武新宿線の駅名も上保谷から東伏見と変わったのである。











最近の状況も織り交ぜながら、報告して来ましたが、再び、当時の紹介をして行きます。又、その時に気が付いた事なども、追記として報告して行きます。

2008.12.31(メール34)
こんちは。今年も今日で終わり、1年が早い事。
★今、御袋をお風呂に入れた所。
中々ウンチが出なくて、チョビチョビなもんで、湯船の中でもしちゃったよ。

急いでお湯を抜いて大掃除。
後始末が大変なんだよね。

今日は午後から、こちらの年越しソバに入れる天ぷらを揚げて、お雑煮の段取りをして御仕舞い。
後は少し早く切り上げ様かと思ってる所。

仕事は全然乗らなくて困った。
まだまだやらなければならない事が沢山あるのだが、今日は集中できないので、止め。
良い年をお迎え下さい。


追記:大晦日は何とも気ぜわしい。
色々と、しなければならない事が、山ほどある。
だから、少しずつ、手を抜かないと間に合わない。

お袋も元気な時は、暮れは確か、2〜3日掛けて、正月の準備をしていたものだ。
もともと料理好きな人なので、そんなに苦にはならなかったのであろうか。

今、考えるに、子供の世話をして、自分の仕事もして、忙しかった筈なのに、愚痴と言うものを聞いた事がない。

自分が鈍感だったからかも知れぬが、いざ、こうして向かい合っていると、ふと、自分の事と比べてしまうのである。

正月料理は、自分が作れる最小限の物しか用意出来ない。

昆布巻き、シャケ巻き、黒豆等といった、手が掛かる物は、当然であるが、全て、スーパーで調達となる。

お正月と言うと、思い出す事がある。

此方に来た当初であった。
夕ご飯も終わり、ホッとしている時に、お袋が真顔で、
「明日は正月だから、お父さんの田舎に行くよ?」と、お袋が話し掛けて来る時があった。

正月でも何でもない時なのだが、何か記憶に、引っ掛かっている物があるのかも知れない。

「じゃあ、明日は朝早いから、あんた、起こしてね?」
「頼むよ!朝、早いんだから」
「あんたも、来る?」
「早く起きないといけないから、早く寝た方が、いいんじゃない」等と答えて、寝かそうとするのだが、又、最初に戻って

「明日は起こしてよ、絶対だよ!」
「何持って行けば、いいかね?」そのうちに、
「妹も一緒に行く事になっているけど、大丈夫かな?」
「トシちゃん(妹)はいないけど、もう寝たの?」等と、何回も何回もドラマ仕立てを、繰り返すのである。

こんな、ドラマも、来た当初は、時々、あったのだが、最近は、ぱったりと無くなった。
脳の細胞が、どんどん壊れて行くんだろうね。











2010.3.21(日)
風邪と花粉症のダブルパンチを受け、既に3週間が立とうとしている。
花粉症は、大体10年前からの発症、それまでは、全く無縁であった。

今回のきっかけは、兄貴が1週間ほど、嫌な咳をしていた事が始まり。
兄貴が何とか、咳も止み、治ったのかなと思っていた頃に、自分にうつって、しまったのである。

花粉症の終焉は毎年、5月の連休明け頃を予定しているが、大体この頃までは、目、鼻、頭とうっとうしい。
声等は全く別人になってしまう。

耳鼻科に行って、目薬を貰ったりするが、効果は今ひとつ。

メディアの仕事でもしていれば、注射でも打って、予防するのだろうが、工事関係者じゃ嫌がられる。
という訳で、この4〜5日は、体の修復時間だと言われる、夜11時から、朝の2時〜3時頃に合わせ、寝る様にしている。

ホルモンさんに出て来て貰って、修復をお願いしたのであるが、伸びきったゴムとなっているのか、中々、言う事を聞いてくれない。
そんな訳で、真夜中の投資活動も、いささか、迫力不足である。

現在、日本の置かれた立場を考えるならば、答えは、とうに出ているが、それでは、面白くない。
アメリカが主導して来た、経済戦略は最後はペテンだったと言う、オチがついて終了。

結局はアメリカが批判を繰り返していた、日本型の景気対策と金融政策に巨額の財政支出をする事で、ある程度落ち着きを取り戻している格好となっている。

散々、日本の経済政策を批判していたくせに、何なのよ。呆れるね。

だから、アメリカも日本と同じく、今後は成長は出来ない事になった。(真面目に考えたらね)

本当は、拾数年前には、おかしかったのである。
ずっと、その問題を取り上げていた、経済記者も数多くいた。

その当時、自分も、のっかっているだけの頭でもよく、自問自答していたものだ。

何がアメリカと日本の利益率の差を生み出しているのか?国際価格で決まった原料を使い、物を作り、利ざやを稼ぐ。
考えるだけ、バカだったのである。

当時はまだ日本も企業業績が良かった。しかし、それは本業の儲けではなく、土地、株、為替等で稼いだ分が殆ど。
既に物を作って儲けを出す時代は、とうに終わっていたのである。

アメリカは随分前からその事に気付き、生産は全て、海外に移転していたのである。
だから、いざ、物を作りたくても、国内に生産設備も無い状態では、どうする事も出来ない。

しかし、アメリカの底力は凄い。基礎研究だけでは、他国の追随を許さない。
又、アメリカの強みなのは、膨大な資金量と国家戦略である。

超が付くほどの赤字なのに、いくらでも金が出て来る所は見習いたいよね。

しかし、今の経済対策では、絶対に成長は望めない。
それでは何をするか?ここが、日本と大きく違う所だ。

もはや、経済大国とは呼べなくなったアメリカ。
多くの同胞が傷を負っている。

幸い、日本は余り相手にされていなかった為、今回は被害は最小に食い止められた。

中国は日本の国、10個分である。
もし、このまま、右肩上がりをするならば、であるが。

日本が不況に突入したきっかけは、経済活動が天井を打ち、給料が上げられなくなった事によるものと理解している。
それを適用するならば、今年の上海、北京等の大都市の初任給は下がっているそうである。

既に、不動産は、超が付く程の加熱振り、いつ、「がらがら、ぽいっ」となっても不思議ではない。元高を期待した先回り部隊が、数多く先行投資して、控えているが、今後の動きには目が離せない。











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