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Go to Hiroshima 3

少し前の報告になりますが。

9月27日の早朝、

どうしても朝いちばんに向かいたかったのが平和記念公園でした。





私は地下道から向かったため、
エスカレーターをあがってすぐに原爆ドームが目に入りました。





骨だけになり、乱暴に砕け、剥がされた跡。

呆然と見るしかできない。



全てが結果なのだから、

なにが起こっても受け入れていく。



原爆に限らず、どんな歴史や出来事を知っても

私はそう思って生きてきました。



だから最初、手を合わせても、伝える言葉がみつかりませんでした。

ただ、もしも輪廻とか魂があるのなら、
と考えずにはいられませんでした。



写真は原爆ドーム目の前の川です。

原爆投下の後、たくさんの人の体が沈んだ場所。



見つめていると、

背後を通り過ぎた親子が、

今日は水の量が多いと不思議そうに話していました。

このあたりに住んでいる方なのでしょう。

私にはわかりませんでした。



川の水は、穏やかで緩やかに流れていました。

太陽の光を浴びながらキラキラしていました。



過去に哀しく虚しい出来事があったこと、

私には想像することしかできません。

今の、明るく楽しい広島を見て、想像することしか。



私の持論、

全てが結果である

という考え方も変わりません。



しかし、結果が生まれるのは、工程あってのこと。



つまり今が、

後の結果につながっていくのだと。



諸行無常は私の好きなことばです。

ゆく川の水は絶えません。



しかし残念ながら、現実的に見ると、

現在は絶える可能性を持っている。

川の水が絶えてしまったら、私はなにを想えば良いのでしょう。



全てが結果だと、想ってしまうのでしょうか。



それはちがうと思っています。



ゆく川の水が絶えないからこそ、全てが結果だと受け入れることができるのです。



そのために私ができることはとても少ない。

だけど、きっと今は、伝えること。

少しつたなくても。



原爆ドームのまわりでも、たくさんの方が観光客たちに

原爆のお話をされていました。



私も、生きているあいだに、

すこしでもたくさんのことばを、

伝えることができたらと思っています。




この記事へのコメント

   
プロフィール

しらくまいく子
携帯アプリのシナリオライターと、    『するところ』のライター、ポエガールをしています。
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