2019年03月01日
アンガーマネジメント。
デイケア体験2回目、
SST(ソーシャルスキルトレーニング)
※体験初回「SST。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/78/0
今回は怒りのコントロール
アンガーマネジメント講座。
人には生きて来た中で作られた価値観、
自分の中で譲れないルールがある。
それは日常の些細なことでも、
程度の差こそあれ「こうすべき」という指針、
この「べき思考」がその人の中で
譲れない度合いが強いほど、
誰かに破られた時に怒りを感じる。
朝食は必ず食べるべき
優先席は譲るべき
何分前には集合すべき
自分の考えた「べき思考」を自由に書き出す場面で
他のメンバーは上記のような日常の行動を挙げていた。
僕が書いたべきは
行動というより精神的な姿勢に近い内容だった。
・一方的に価値観を押し付け説教するのでなく
相手の話を一旦受け止めるべき
・親子だからって上下関係や服従関係はないべき
・勝手に期待してその通りにならなかった息子を
「居候」と罵ったり、家族じゃない扱いはしないべき
みんなが発表した内容とは異質というか
何だか込み入ったものを投げてしまった。
これらは全部、僕が親に対して抱いてる怒り。
あの場でどうしてこんな思いが出てきたんだろう。
怒りは人間の感情の根底である一次感情ではなく
そこから発生する強い二次感情。
怒りの根底には
分かってくれなかった
愛情をもらえなかった
寂しかった
話を聞いてほしかった
認めてほしかった
あの家に自分は居てもよかったのか
という一次感情がある。
僕の場合は結局、親に対する怒りの根底には、
こういった自己肯定への疑問や承認欲求がある。
※「親に褒められたかった。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/17/0
※「家族に疑いがない子たち。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/75/0
他人と状況は変えられない。
この先また親と復縁する機会があるとしても、
顔を突き合わせれば否定と説教と昭和持論と
自分語りされるのは変わらない。
人を褒める、話を聞いて受け止める、
なんてことができない人たちだし、
今さら変われると期待すればするだけ
「話を聞くべき」思考が破られて
大きな怒りと失望に飲み込まれる。
怒りに飲み込まれないために必要なのは
事実を受け止めて解釈を変え、
解釈を変えることでその後の行動を変えること。
何を言ってもこの人たちには無駄
裏返しの表現しかできない人たちと
たまたま長く一緒に生活していただけ。
決して見捨てる、放棄するわけではなく、
いい意味で諦めること。
それが、
何となく疲れが溜まって来ると
いつも蘇る親への怒りのエネルギーから
自分の心を守る最善の方法。
この記事を書いていて気付いたというか
分かってる筈だけど再認識したことは、
僕はやっぱり親との関係に
決着を付けられていない、ということ。
アンガーマネジメントで
親への怒りをコントロールすることと、
決別とも和解とも取れないような
曖昧な立ち位置に居ることへの
もどかしさ、後ろめたさは
もしかしたら別物かも知れない。
このタイミングで再燃するなんてね。
今回はとりあえずこうやって
自分の奥底を掘り返して、
自分と対話するいいきっかけになったから
良しとする。
SST(ソーシャルスキルトレーニング)
※体験初回「SST。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/78/0
今回は怒りのコントロール
アンガーマネジメント講座。
人には生きて来た中で作られた価値観、
自分の中で譲れないルールがある。
それは日常の些細なことでも、
程度の差こそあれ「こうすべき」という指針、
この「べき思考」がその人の中で
譲れない度合いが強いほど、
誰かに破られた時に怒りを感じる。
朝食は必ず食べるべき
優先席は譲るべき
何分前には集合すべき
自分の考えた「べき思考」を自由に書き出す場面で
他のメンバーは上記のような日常の行動を挙げていた。
僕が書いたべきは
行動というより精神的な姿勢に近い内容だった。
・一方的に価値観を押し付け説教するのでなく
相手の話を一旦受け止めるべき
・親子だからって上下関係や服従関係はないべき
・勝手に期待してその通りにならなかった息子を
「居候」と罵ったり、家族じゃない扱いはしないべき
みんなが発表した内容とは異質というか
何だか込み入ったものを投げてしまった。
これらは全部、僕が親に対して抱いてる怒り。
あの場でどうしてこんな思いが出てきたんだろう。
怒りは人間の感情の根底である一次感情ではなく
そこから発生する強い二次感情。
怒りの根底には
分かってくれなかった
愛情をもらえなかった
寂しかった
話を聞いてほしかった
認めてほしかった
あの家に自分は居てもよかったのか
という一次感情がある。
僕の場合は結局、親に対する怒りの根底には、
こういった自己肯定への疑問や承認欲求がある。
※「親に褒められたかった。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/17/0
※「家族に疑いがない子たち。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/75/0
他人と状況は変えられない。
この先また親と復縁する機会があるとしても、
顔を突き合わせれば否定と説教と昭和持論と
自分語りされるのは変わらない。
人を褒める、話を聞いて受け止める、
なんてことができない人たちだし、
今さら変われると期待すればするだけ
「話を聞くべき」思考が破られて
大きな怒りと失望に飲み込まれる。
怒りに飲み込まれないために必要なのは
事実を受け止めて解釈を変え、
解釈を変えることでその後の行動を変えること。
何を言ってもこの人たちには無駄
裏返しの表現しかできない人たちと
たまたま長く一緒に生活していただけ。
決して見捨てる、放棄するわけではなく、
いい意味で諦めること。
それが、
何となく疲れが溜まって来ると
いつも蘇る親への怒りのエネルギーから
自分の心を守る最善の方法。
もう、親にわかってもらおうとするのは、
無理なんだと諦めていたり、
わかり合うなんて段階は、とうに過ぎてしまったよと
言い捨てたくなるほど傷つき、
憎しみ合っている人もいるかも知れません。
そういう人であればなおさら、
自分の傷ついた心を癒し労ってあげるために、
親から「心理的に離れる」必要があるでしょう。
お互いを認め合うというのは、この
「心理的に離れる」ということも意味します。
『母と娘の「しんどい関係」を見直す本』 より
この記事を書いていて気付いたというか
分かってる筈だけど再認識したことは、
僕はやっぱり親との関係に
決着を付けられていない、ということ。
アンガーマネジメントで
親への怒りをコントロールすることと、
決別とも和解とも取れないような
曖昧な立ち位置に居ることへの
もどかしさ、後ろめたさは
もしかしたら別物かも知れない。
このタイミングで再燃するなんてね。
今回はとりあえずこうやって
自分の奥底を掘り返して、
自分と対話するいいきっかけになったから
良しとする。
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