2019年02月12日
家族に疑いがない子たち。
日曜月曜と区体育館でシューティングしてきた。
ミニバスをやってると思われる
小学生の子と
さらに小さな子を2〜3人連れた家族が
二組いた。
お父さんは現役プレーヤー、
もしくはどこかでコーチをやってるんだろう。
動きと教え方にキレと滑らかさがあった。
お母さんもたぶんスポーツをやってるような
軽快な動きだ。
子ども達は楽しそうに走り回り、
ボールを追いかける。
「子供はいらない。」で綴ったが、
僕は子どもが大好きだけど自分の子どもは1ミリもいらない。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/14/0
楽しそうであたたかい家族の姿を見ていて、
僕はどうして子どもがいらないと思ったのかを、
もう少し掘り下げて考えたりしていた。
親になるタイミングについては、
想定した時期ではなくて、という人も
たくさんいるんだろうが、
体育館で出逢ったあの子達と
一緒に走るお父さん、お母さんを見る限り、
あの子たちには「疑い」がなかったように思う。
「疑い」というのは何かというと、
この人たちは何があっても無条件で自分の味方だろうか、
自分に愛情を注いで認めてくれているのだろうか、という
自己肯定感、存在意義の根幹を揺るがすような疑念のこと。
親の前で自分をさらけ出して、夢中になってはしゃぐ。
それがどれだけ勇気と覚悟が必要なことかだなんて、
あの子たちは考えもしないだろう。
お父さん、お母さんが子どもの頃も、
家族に対して自分の存在自体の許可を求めるような
サバイバルのような緊迫した環境ではなくて、
揺るぎない自己肯定感が
自然に育まれるような環境だったのだろう。
だから自分自身が親になる、家族を持つことに
何の疑いもなく、無意識にあたたかい関係を築けるんだろう。
「父との関係(1) -小学校-」で綴ったが、
僕は家族の前、自宅においては常に怯え警戒し、
無条件に存在を認められていると感じないまま
ここまで来てしまった。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
親を無条件に信じる、いつでも味方であり、
絶対的な心の拠り所であるという感覚がなく、
自分たちの価値観にない行動をしたが最後、
全力で咎めたり否定したり、怒鳴ったりする存在、
気を許せない存在だった。
家族というものに対して、
そういうイメージを持ってしまったために、
自分でわざわざそんな環境を再現しようなどとは
思えなくなってしまった。
ONE PIECE サンジが
兄弟より戦士の素質が劣るという理由で
父親から「汚点」と蔑まれているシーンがある。
家族から自分の存在意義を認められず、
”生まれなかったことにしたい”とまで言われていた。
幼いサンジが抱いたであろう自己否定感は
他人事とは思えなかった。
家族でバスケをしに来て
楽しそうにしていたあの子たちの生い立ちは
僕にとっては二度と手に入らないものだ。
でもだからといって、
自分の親や環境を責めたくはない。
就学前に会話がゼロとなり、
家では何もしゃべらず感情も出さない僕を、
親はきっと育てにくい子だと思っていただろうし、
口には出さなくても相当に手を焼いていたと思う。
言葉を字義通りにしか受け取れない
脳の障害を抱えて生まれた僕と、
人を誉める代わりに否定して叱咤激励するしか、
表現方法を知らなかった親。
僕がほしかった愛情表現と
親が知っていた愛情表現が
ただ違っただけ。
そう思いたいし、言い聞かせてる。
最近、家族連れを見かけるたびに
こういうことが頭の中でぐるぐる回ってる。
我ながらあっぱれな深読みっぷりと感心しながらも、
ただひたすら自分のシュートと向き合っていた。
ミニバスをやってると思われる
小学生の子と
さらに小さな子を2〜3人連れた家族が
二組いた。
お父さんは現役プレーヤー、
もしくはどこかでコーチをやってるんだろう。
動きと教え方にキレと滑らかさがあった。
お母さんもたぶんスポーツをやってるような
軽快な動きだ。
子ども達は楽しそうに走り回り、
ボールを追いかける。
「子供はいらない。」で綴ったが、
僕は子どもが大好きだけど自分の子どもは1ミリもいらない。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/14/0
楽しそうであたたかい家族の姿を見ていて、
僕はどうして子どもがいらないと思ったのかを、
もう少し掘り下げて考えたりしていた。
親になるタイミングについては、
想定した時期ではなくて、という人も
たくさんいるんだろうが、
体育館で出逢ったあの子達と
一緒に走るお父さん、お母さんを見る限り、
あの子たちには「疑い」がなかったように思う。
「疑い」というのは何かというと、
この人たちは何があっても無条件で自分の味方だろうか、
自分に愛情を注いで認めてくれているのだろうか、という
自己肯定感、存在意義の根幹を揺るがすような疑念のこと。
親の前で自分をさらけ出して、夢中になってはしゃぐ。
それがどれだけ勇気と覚悟が必要なことかだなんて、
あの子たちは考えもしないだろう。
お父さん、お母さんが子どもの頃も、
家族に対して自分の存在自体の許可を求めるような
サバイバルのような緊迫した環境ではなくて、
揺るぎない自己肯定感が
自然に育まれるような環境だったのだろう。
だから自分自身が親になる、家族を持つことに
何の疑いもなく、無意識にあたたかい関係を築けるんだろう。
「父との関係(1) -小学校-」で綴ったが、
僕は家族の前、自宅においては常に怯え警戒し、
無条件に存在を認められていると感じないまま
ここまで来てしまった。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
親を無条件に信じる、いつでも味方であり、
絶対的な心の拠り所であるという感覚がなく、
自分たちの価値観にない行動をしたが最後、
全力で咎めたり否定したり、怒鳴ったりする存在、
気を許せない存在だった。
家族というものに対して、
そういうイメージを持ってしまったために、
自分でわざわざそんな環境を再現しようなどとは
思えなくなってしまった。
ONE PIECE サンジが
兄弟より戦士の素質が劣るという理由で
父親から「汚点」と蔑まれているシーンがある。
家族から自分の存在意義を認められず、
”生まれなかったことにしたい”とまで言われていた。
幼いサンジが抱いたであろう自己否定感は
他人事とは思えなかった。
サンジの父:ヴィンスモーク・ジャッジ
「わたしも人の子なんだな・・・
こんな役立たずでも
我が息子を直接手にかけることはできなんだ。
私がお前の父親であることは
絶対に人前では口に出さないでくれ・・・!!
誰にも知られたくない汚点なのだ・・・わかるよな?」
ONE PIECE 84巻 841話より
家族でバスケをしに来て
楽しそうにしていたあの子たちの生い立ちは
僕にとっては二度と手に入らないものだ。
でもだからといって、
自分の親や環境を責めたくはない。
就学前に会話がゼロとなり、
家では何もしゃべらず感情も出さない僕を、
親はきっと育てにくい子だと思っていただろうし、
口には出さなくても相当に手を焼いていたと思う。
言葉を字義通りにしか受け取れない
脳の障害を抱えて生まれた僕と、
人を誉める代わりに否定して叱咤激励するしか、
表現方法を知らなかった親。
僕がほしかった愛情表現と
親が知っていた愛情表現が
ただ違っただけ。
そう思いたいし、言い聞かせてる。
最近、家族連れを見かけるたびに
こういうことが頭の中でぐるぐる回ってる。
我ながらあっぱれな深読みっぷりと感心しながらも、
ただひたすら自分のシュートと向き合っていた。
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