2019年07月23日
僕を笑ったわけじゃないというセルフトーク。
僕の新しい眼鏡は紫色。
友人の1人に「その色はないやろ」と言われてしまった。
この時、僕が最初に感じた感情を隠さずに書くと、
「似合ってないんだ、変なんだ、だから僕には価値がないんだ」
地下鉄の駅へ入る時、
すぐ前で談笑していて後ろを見ていなかった二人組が
通路を塞いでいたことに気づき、
避けた後に2人で笑い合っていた。
この時、僕が真っ先に心配したことを白状すると
「自分がおかしいから、自分のことを笑ったんだ」
非常にめんどくさい性格だと自分で思うが、
こういうことがあった時に一番最初に出てくる感情は
包み隠さず書くと自責の念。
けなされた、だから僕はだめなんだ。
誰かが笑った、だから僕はおかしいんだ。
そういう自分を貶める自己認識の癖を上書きするために、
僕は毎回セルフトークが必要になる。
「眼鏡は“その人・1人”が個人的な意見として言っただけ、
僕が気に入って選んだ眼鏡なんだから、他人がどう言おうと
堂々とかけ続ければいい。」
「後ろに気づかなかった自分たちに対して笑ったのであって、
決して僕のことを笑ったわけではない。」
「そもそも他人に何か言われたり笑われたからといって
自分の価値は下がらない、堂々としていればいい。」
こういうネガティブな認知の歪みが第一に出てくる原因は
誰もが無言で緊張感に満ち、それでいてイライラした空気が
常に漂っている空間で過ごした経験の長さだと思う。
家族が揃っても食卓は無言、父は家ではイライラ、
母は黙々と家事、僕と弟は部屋にこもり、妹も無言。
誰も口を開かないから本当のことが何もわからない、
しかし気まずいことくらいはわかるので、
「自分のせいなのか、何か悪いことをしたのか」と
常に想像と推測で空気を読む必要があった。
→「無言で緊張感に満ちた食卓。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/148/0
自閉症スペクトラム(PDD、ASD)の一般的な特性として、
場にそぐわなくても思ったことを素直に口にしたり、
自分の興味のあることを一方的に話したりというのがある。
この特性を持つ人は、
相手が気にしていることでも思ったまま口にしてしまい
なぜ相手が怒っているのかわからなくなってしまう。
だけど僕の場合、発言に気をつけたり
場の空気を慎重に読む(読みすぎる)力にかけては、
無言で気まずい家庭環境から後天的に身に着けてきた。
だから少なくとも大人になってからは、この学習によって
空気を読めなかったり、思ったことを口にしてしまったり、
というのは当てはまっていない。
何かあると最初に出てくる考えは自責、
それは相変わらずとはいえ、
昨年までの僕に比べたら少し進歩している。
以前の僕は「笑われたから、けなされたからダメなんだ」
で終わっていた。
でも今は、自分を責めて終わる癖が出そうになると
「いやいやいや、ちょっと待て」とブレーキを踏める。
その上で「自分には何の落ち度もないだろ」と
セルフトークを始められるようになったのは
1年以上かかったけど着実に進歩している。
認知行動療法を受けていた時、
こういう自分へのマイナスな認知の歪みは
一般的に7層から8層くらい重なっていると聞いた。
けなされたり笑われた時、自分に関係がなくても
無意識に7回から8回、自分を卑下してしまうらしい。
そのたびにセルフトークで自分を立ち直らせ、
また何かあればネガティブな自責に逆戻りする。
僕はまだ最初の1層目も崩せていないかも知れない、
8層すべてを崩せる見通しも見えていない。
それでもセルフトークを愚直に続けている自分がいる。
眼鏡をけなされた直後、顔は苦笑いを作っていた。
心の中では激しいセルフトークが交錯していた。
ただ後ろを歩いていただけの僕にはまったく関係ないのに、
前の2人が笑っていたのを背に通り過ぎた時、
「自分に向けられた笑いじゃない」と
呪文のように唱えていた。
歪んだネガティブな認知、7層から8層。
僕は何事もコツコツやるのが割と得意。
1年で1層未満の歩みでも、進む。
友人の1人に「その色はないやろ」と言われてしまった。
この時、僕が最初に感じた感情を隠さずに書くと、
「似合ってないんだ、変なんだ、だから僕には価値がないんだ」
地下鉄の駅へ入る時、
すぐ前で談笑していて後ろを見ていなかった二人組が
通路を塞いでいたことに気づき、
避けた後に2人で笑い合っていた。
この時、僕が真っ先に心配したことを白状すると
「自分がおかしいから、自分のことを笑ったんだ」
非常にめんどくさい性格だと自分で思うが、
こういうことがあった時に一番最初に出てくる感情は
包み隠さず書くと自責の念。
けなされた、だから僕はだめなんだ。
誰かが笑った、だから僕はおかしいんだ。
そういう自分を貶める自己認識の癖を上書きするために、
僕は毎回セルフトークが必要になる。
「眼鏡は“その人・1人”が個人的な意見として言っただけ、
僕が気に入って選んだ眼鏡なんだから、他人がどう言おうと
堂々とかけ続ければいい。」
「後ろに気づかなかった自分たちに対して笑ったのであって、
決して僕のことを笑ったわけではない。」
「そもそも他人に何か言われたり笑われたからといって
自分の価値は下がらない、堂々としていればいい。」
こういうネガティブな認知の歪みが第一に出てくる原因は
誰もが無言で緊張感に満ち、それでいてイライラした空気が
常に漂っている空間で過ごした経験の長さだと思う。
家族が揃っても食卓は無言、父は家ではイライラ、
母は黙々と家事、僕と弟は部屋にこもり、妹も無言。
誰も口を開かないから本当のことが何もわからない、
しかし気まずいことくらいはわかるので、
「自分のせいなのか、何か悪いことをしたのか」と
常に想像と推測で空気を読む必要があった。
→「無言で緊張感に満ちた食卓。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/148/0
自閉症スペクトラム(PDD、ASD)の一般的な特性として、
場にそぐわなくても思ったことを素直に口にしたり、
自分の興味のあることを一方的に話したりというのがある。
この特性を持つ人は、
相手が気にしていることでも思ったまま口にしてしまい
なぜ相手が怒っているのかわからなくなってしまう。
”会話で相手が不機嫌に”
PDDのある人は、悪気なく、
思ったことをそのまま口に出してしまうことがあります。
「離婚してからの生活はどうですか?」
「奥さんが社長の娘さんなんですよね」
などと相手に直接言い、相手が怒っても、
「本当のことを言ったのに、なぜ怒るんだろう?」
と思ってしまいます。
『もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?』 第三章 より
だけど僕の場合、発言に気をつけたり
場の空気を慎重に読む(読みすぎる)力にかけては、
無言で気まずい家庭環境から後天的に身に着けてきた。
だから少なくとも大人になってからは、この学習によって
空気を読めなかったり、思ったことを口にしてしまったり、
というのは当てはまっていない。
何かあると最初に出てくる考えは自責、
それは相変わらずとはいえ、
昨年までの僕に比べたら少し進歩している。
以前の僕は「笑われたから、けなされたからダメなんだ」
で終わっていた。
でも今は、自分を責めて終わる癖が出そうになると
「いやいやいや、ちょっと待て」とブレーキを踏める。
その上で「自分には何の落ち度もないだろ」と
セルフトークを始められるようになったのは
1年以上かかったけど着実に進歩している。
認知行動療法を受けていた時、
こういう自分へのマイナスな認知の歪みは
一般的に7層から8層くらい重なっていると聞いた。
けなされたり笑われた時、自分に関係がなくても
無意識に7回から8回、自分を卑下してしまうらしい。
そのたびにセルフトークで自分を立ち直らせ、
また何かあればネガティブな自責に逆戻りする。
僕はまだ最初の1層目も崩せていないかも知れない、
8層すべてを崩せる見通しも見えていない。
それでもセルフトークを愚直に続けている自分がいる。
走りっぱなしの奴なんてこの世にいない
進んで止まって 止まって進んで
人はそれを歩みと呼ぶのだ
『あひるの空』 25巻 より
眼鏡をけなされた直後、顔は苦笑いを作っていた。
心の中では激しいセルフトークが交錯していた。
ただ後ろを歩いていただけの僕にはまったく関係ないのに、
前の2人が笑っていたのを背に通り過ぎた時、
「自分に向けられた笑いじゃない」と
呪文のように唱えていた。
歪んだネガティブな認知、7層から8層。
僕は何事もコツコツやるのが割と得意。
1年で1層未満の歩みでも、進む。
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