アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2019年07月21日

何かしていなければという焦燥感。

アドレス帳から消したはずの
実家かも知れない番号からの着信があって以来、

心のそわそわ感、焦燥感に襲われて
眠れない日々が続いていた。

→「消したはずの番号からTEL。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/237/0



祖父の法事から帰ってきて
少しは落ち着いてきたものの、

そわそわした焦燥感が、常に何かをしていないと
落ち着かない気持ちへ変わってしまった。

寝不足になってもブログを書き続けて
次の日、就労移行支援事業所でふらふらで作業し、
それでも帰宅してから一休みせずに何かしたりと、
好きなこととはいえ、常に手と頭を動かしている。

5月までの僕ならもっと寝ていたし、
もっと休んでいた。



僕はどちらかというと「いい子」「できる子」を
演じてきたし、今もその傾向がある。

今回、祖父の四十九日では前日に行って準備を手伝い、
料理、食事の準備や片付けを手伝い、

叔父からは
「理琉は何でもできるからいいな」と褒められた。



それ自体は嬉しい。けど、そうやってくるくる働く自分は
「何でもできる子」を演じてるのも自覚している。

家の中で誰かが働いていると、
それを黙って見過ごすことができず、つい手伝う。

親戚の1人から
「理琉は空気を読めて、黙って最適な行動をしてくれて助かる」
と言われた。もちろん嬉しいは嬉しい。

よく気のつく「いい子」「できる子」は
そうしていなければ不安に押しつぶされそうだから
そうしている、自分でわかっている。



演じているんだから、たぶん本来の自分ではない。

だけど、じゃあ本来の
「できるわけではない子」である自分は
どんな自分なのかというと想像が難しい。

何しろ演じてきた期間が年輪のように
深く長く刻まれているから。

年輪の刻み跡の奥底を、まだ見れていない。



そして、常に演じて、何かをして動いてるのは
「何でもできる子」ではない自分を認めていない証拠。

できることがあるけど、休んでいてもいい時に
休む自分であってはならない、そんな思いが根底にある。

何もしない自分、怠ける自分、見過ごす自分を認めていない。

”アイデンティティーに関する感覚のゆがみ”

子供の直感や、主体性、ニーズなどが親によって
けなされてばかりいると、自分はいったい何なのか、
つまりアイデンティティーについての感覚が
ゆがんでしまうことがあります。

本来持っているはずの個性をなくし、本当の自分ではない
外見をつくって体裁をつくろうこともあります。

自分のアイデンティティーに関する感覚がゆがんでいると、
いちばん大切な人間関係、つまり自分自身との関係が
おかしくなってしまうのです。


『不幸にする親』 第一章 より



常に何か働く場所を求めて動き回る、
つい最近これと同じメンタリティについて書いた。

他でもない、母方親戚たちのこと。

→「あげたがりな母方親戚の起源。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/220/0

僕は「僕の代で断ち切る」と偉そうなことを言っておきながら、
断ち切るどころか彼らと同じく働き回っているんだ。

純粋に手伝いたいからという気持ちと、
「よく気のつくいい子」を演じているのを自覚しながら。

人にモノをあげたり、人のやることに口出しして干渉したり、
僕はそういう不安感の吐き出し方はしていないが、
人の役に立ち続ける点はまったく同じ。



もっと言うと、男性陣はモノ運び系の仕事はするが
家事系の手伝いはしないので、”男は家事をしない”ことへの
僕なりの反発心というのもある。

僕は家事も料理もある程度できるんだぞ、
家のことだってできるんだぞ。

いずれにしても、他人からの評価が
基準となった行動であることに変わりはない。



言うことを聞いて従う子供が大人になると
他人のニーズや望みに敏感になり、
それに応えようと努力できる能力は貴重な長所だが、

同時に、自分のためにならないことでも
他人に要求されると従ってしまう傾向が身につく。


『不幸にする親』 第一章 より

何かをしてようが休んでようが、怠けてようが
祖父の家に行った自分そのものが既に特別なんだ。

行くだけで、居るだけで。

この、無条件に存在を許すという感覚は
身につけようと努めているがなかなかモノになっていない。

何かしていようと焦燥感にかられてるのは
居ることを認めてほしい、評価してほしいと
自分の価値を他人に委ねる行為だ。

自分を一番認めてあげられるのは自分。



来月の連休に再び祖父母の家に遊びに行く。
今度は法事関係ではなく、遊びに。

その時は少しサボってみよう。

ご飯の支度、家事やその他のこと、
やりたい衝動に少しだけ逆らって、
寝転がって柴田昌弘氏の漫画を読んでいよう。

それが、自分の存在を認める第一歩。


posted by 理琉(ワタル) at 12:58 | TrackBack(0) | 人生観

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8978878

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。