2019年07月17日
僕はカウンセラーじゃない。
自分がいっぱいいっぱいになって
気持ちが沈んだり無気力になるタイミング。
それは”聞き上手”の度が過ぎて、
みんな一方的に僕に何でもぶつけないでくれと
勝手にすべてを背負った時。
そして普段、人の話を聞くだけ聞いても、
気がつけば自分の話を聞いてくれる人が
周りにいない錯覚に陥った時。
僕は人よりしゃべる速度もペースも遅いためか、
どうしても先手を取られ”聞き役”に回ることが多い。
→「怪我の功名、聞き上手。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/139/0
それ自体は別に悪く思ってはいない。
思い切って自分の深い話まで
僕には打ち明けてくれたりすると
信頼を得たみたいで嬉しい気持ちになる。
ただ、周りには「思い切って打ち明ける」に
留めない人もいるのが事実。
コイツには多少の無理を言っても
何を愚痴っても聞いてくれるからと、
自分と他人の境界線を取り払い、
リミッターを外してくる相手もいるのが現実。
そうやって、僕につけ込んで来る相手が
普段は口にできてないであろう自慢や、
普段は発散できてないであろう愚痴を並べ立てる。
僕の会話スピードが遅いからなのか、
脳の特性として言語変換能力が低いからなのか、
そうなっても受けるばかり、聞いてばかりになる。
→「言葉への変換が。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
聞いてばかりになっても、
うんうん、そうなんですね、で終わらせればいいのに
ここで悪い癖が出る。
相手の話を引き出そうと、質問をしてしまう。
自爆であり、「堰を切る」行為でもある…。
もっと聞いてくれると思った相手は
しまっておいた更なる愚痴を引き出してくる。
相手が怒ったり、不満そうにしているのが怖いからか、
とにかく険悪で不機嫌な空気を一掃することに
”聞き役”になって注力してしまう。
僕はまさにカウンセラー。
みんなが僕に相談する。
それ自体は嬉しいが、僕の中には溜まるばかり。
みんなが僕に愚痴をこぼす。
そんな時でさえ話を引き出してあげようとする
僕にも責任がある。自分がしんどいから止めなきゃ。
だけどみんな、びっくりするくらい人の話を聞かない。
一方的に自分のことをしゃべったりぶつけたり、
自慢したり愚痴ったりするばかり。
僕はみんなの承認欲求を満たすために
存在しているわけじゃないのに…。
お願いだから僕の話を聞いてよ…。
僕は弱い。
みんなからの相談事はもちろん、
相談の範疇を超えた量を被せてくる相手に、
ここから先は受けられませんと強く言えない。
頼られても、もたれかかられても
はねつけられない、僕は弱い。
カウンセラーから脱出するために
言うべき時にしっかり自分のことを主張して、
聞く一方じゃありませんよと釘を刺せていない。僕は弱い。
そう、弱い。その弱い自分を認める。受け入れる。
相手の不満や不機嫌が怖いから、
もしかして嫌われるかも知れないから、
そんな言い訳を探している自分も受け入れる。
でも、自分の弱い部分、言い訳を探す部分を
隠さずにそのままさらけ出すと、
背伸びしない等身大の僕を見つけることができた。
僕は聞き役のポジションは向いていると思う。
だから聞き役は僕流の人間関係の作り方の基盤。
だけどカウンセラーは卒業したい。
そのために自分の弱さを認め、
嫌われるのを恐れて言い訳をする自分を認めた。
カウンセラー卒業への軌跡、
出発点はここから。
気持ちが沈んだり無気力になるタイミング。
それは”聞き上手”の度が過ぎて、
みんな一方的に僕に何でもぶつけないでくれと
勝手にすべてを背負った時。
そして普段、人の話を聞くだけ聞いても、
気がつけば自分の話を聞いてくれる人が
周りにいない錯覚に陥った時。
僕は人よりしゃべる速度もペースも遅いためか、
どうしても先手を取られ”聞き役”に回ることが多い。
→「怪我の功名、聞き上手。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/139/0
それ自体は別に悪く思ってはいない。
思い切って自分の深い話まで
僕には打ち明けてくれたりすると
信頼を得たみたいで嬉しい気持ちになる。
ただ、周りには「思い切って打ち明ける」に
留めない人もいるのが事実。
コイツには多少の無理を言っても
何を愚痴っても聞いてくれるからと、
自分と他人の境界線を取り払い、
リミッターを外してくる相手もいるのが現実。
そうやって、僕につけ込んで来る相手が
普段は口にできてないであろう自慢や、
普段は発散できてないであろう愚痴を並べ立てる。
僕の会話スピードが遅いからなのか、
脳の特性として言語変換能力が低いからなのか、
そうなっても受けるばかり、聞いてばかりになる。
→「言葉への変換が。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
聞いてばかりになっても、
うんうん、そうなんですね、で終わらせればいいのに
ここで悪い癖が出る。
相手の話を引き出そうと、質問をしてしまう。
自爆であり、「堰を切る」行為でもある…。
もっと聞いてくれると思った相手は
しまっておいた更なる愚痴を引き出してくる。
相手が怒ったり、不満そうにしているのが怖いからか、
とにかく険悪で不機嫌な空気を一掃することに
”聞き役”になって注力してしまう。
家族のなかでも子どもたちの「役割」
”プラケーター(慰め役の子)”
慰め役の子が慰めるのは、一家のなかでいつも暗い顔をして、
溜め息をついている親、多くの場合は母親です。
夫の飲酒や暴力のことで頭が一杯になっている
母親の肩に手を置いて「どうしたの?」と
やさしくたずねる子ですので、
私は「小さいカウンセラー」と呼んでいます。
『アダルト・チルドレンと家族 心のなかの子どもを癒す』 第三章 より
僕はまさにカウンセラー。
みんなが僕に相談する。
それ自体は嬉しいが、僕の中には溜まるばかり。
みんなが僕に愚痴をこぼす。
そんな時でさえ話を引き出してあげようとする
僕にも責任がある。自分がしんどいから止めなきゃ。
だけどみんな、びっくりするくらい人の話を聞かない。
一方的に自分のことをしゃべったりぶつけたり、
自慢したり愚痴ったりするばかり。
僕はみんなの承認欲求を満たすために
存在しているわけじゃないのに…。
お願いだから僕の話を聞いてよ…。
僕は弱い。
みんなからの相談事はもちろん、
相談の範疇を超えた量を被せてくる相手に、
ここから先は受けられませんと強く言えない。
頼られても、もたれかかられても
はねつけられない、僕は弱い。
カウンセラーから脱出するために
言うべき時にしっかり自分のことを主張して、
聞く一方じゃありませんよと釘を刺せていない。僕は弱い。
そう、弱い。その弱い自分を認める。受け入れる。
相手の不満や不機嫌が怖いから、
もしかして嫌われるかも知れないから、
そんな言い訳を探している自分も受け入れる。
でも、自分の弱い部分、言い訳を探す部分を
隠さずにそのままさらけ出すと、
背伸びしない等身大の僕を見つけることができた。
自分に言い訳して、自分をなぐさめてだますのではなく、
つらくても自分をそのまま見つめると、
見えてくるものがある。
それは心の平和をもたらすことになるみたいだ。
『ブッタとシッタカブッタ1』より
僕は聞き役のポジションは向いていると思う。
だから聞き役は僕流の人間関係の作り方の基盤。
だけどカウンセラーは卒業したい。
そのために自分の弱さを認め、
嫌われるのを恐れて言い訳をする自分を認めた。
“自分の言い訳を探す”
ボクは悩んでいるからなんにも手につかないよ…
悩んでいるから?
弱いからでしょ?
弱いって認めちゃいなよ
そ、それが出発点
『ブッタとシッタカブッタ1』より
カウンセラー卒業への軌跡、
出発点はここから。
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