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福井ケンシロウ
1978年生まれ、岐阜県在住です。コミュニケーションや同時並行作業をすることが苦手な性格です。これまで苦節に満ちた人生でした。浪人、留年、借金苦、詐欺・通り魔被害、ブラック企業就職、早期離職、ニート、転職先でパワハラ被害、うつ病で休職・・人生に失望し続けました。しかし、2018年40歳の年に大企業への転職を果たし、ようやく自分の居場所を見つけることができました。
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2022年05月29日

21歳冬 築地で住み込みバイト

1999年の年の瀬、大学は冬休みになりました。

オシャレに目覚めた私はもっと服が欲しくなり、

バイトをすることにしました。


フロムエーというバイト情報誌を読み込み、

築地の卵焼き屋さんが日給1万円の求人を出してるのを見つけました。

仕事内容は、店頭での接客です。

しかも住み込みで朝4時から昼12時までの8時間でした。


自宅から電車に乗って1時間半あまりかけ東京へ。

面接も難なくクリアし、年末に働かせてもらうことになりました。

2022年05月28日

21歳の秋 オシャレに目覚める

1999年10月、21歳の秋のことでした。

北関東出身の大学の友人に誘われ、初めて東京・渋谷に行きました。

田舎者の私は、渋谷が若者文化の中心であることも知りませんでした。


渋谷に着いてまず驚かされたのが、駅前のスクランブル交差点。

とにかく人の多いこと!

今日は何かのお祭りがあるのか?日本人てこんなにいたのか?

と呆気にとられるばかりです。

そして、カワイイ子がとにかく多いこと!

しばらく歩くと、「○I○I」と表示された看板のデパートがありました。

私は、「オイオイっていうデパートあるんだね」と友人に言いました。

その時、それは「丸井」であることを教わったのです。


友人とそのデパートの中に行きました。

煌びやかなお店そしてオシャレな服がいっぱいありました。

服を眺めていると店員さんから話しかけられました。

服を買うときはいつもジャスコだった私は、

店員から話しかけられるという経験なんかありませんでした。

「どんな服をお探しですか?」とカワイイ女性店員に声をかけられました。

「お、オシャレな服です」という漠然としたことしか答えられませんでした。

しかし、店員さんは気さくに話しかけながら、

これからの季節にふさわしい服で、私のイメージに合う色のものを見つけてくれました。

ブルーのニットでした。

値段は1万くらいだったと思います。

ジャスコでしか服を買ったことがない私は、

あまりの高額に驚きました。

ニットでもこんな高いのかと。

しかし、自分の好きな色だしオシャレな服だったので買うことにしました。

店員さんは丁寧に商品をビニールで包んでくれ、

ブランドのロゴが書かれた手提げの紙袋に入れてくれました。

初めての買い物体験でした。

ブランド物の服を買い、オシャレデビューした気分です。


次に友人に連れられて行ったのは、確か耳鼻科。

耳タブに穴をあけてピアスを着けようと誘われました。

言われるがまま耳に穴をあけてもらい、

渋谷ロフトでピアスを購入。


様々な初体験を、たった1日のうちに初渋谷でしたのです。

2022年05月27日

店長の娘から誘われる

あの夜から半月ほど経ったある日のこと。

バイトが終わった後のことでした。

私の自宅に泊まった女(店長の長女)から、

「お店に泊まって行って」と声をかけられたのです。


その子は、バイトが終わった後、時折その店に泊まり

翌朝に自宅に帰る生活をしているそうでした。

店の奥には、簡易ベッドが置いてあって

確かに泊まれるようになっていました。


そして、その子は泊まる際には

厨房でホースから水を出し、汗を流しているとのことでした。


その子は私に好意があったのでしょう。

私と一緒に一夜を共にし、

ベッドで抱かれたかったのでしょう。


私はその子に好意は無かったので、お断りさせて頂きましたが・・


結局、その店長の娘とは以後顔を合わせることはなく、

私はその年の秋、その店のバイトを辞めました。

2022年05月25日

最後まで行かなかった

「俺のハダカ見たい?」と聞きました。

その女性は「見たい」と言いました。

しかし、私がハダカになることはありませんでした。


好きでもない女にハダカを見せたくなかったからです。

結局、それ以上何にもな起こらないまま、

その夜は終わりました。


その後、その女性とバイト先で顔を合わせましたが

気まずくて私は会話をするのを避けました。

2022年05月23日

童貞が女を泊めた夜

21歳2ヶ月にして、

ついにオンナを自分の自宅に入れました。


部屋に招き入れたのですが、とにかく照れくさい。

そして、私の部屋はテレビがないので、退屈させないか心配でした。


そんなことはお構いなく、その子は自分のことをいろいろ話し始めました。

中学では不登校だったこと、高校は北海道だったこと。

非行少年少女を受け入れる有名な高校だったこと。

親から大事にされなかったこと。

レイプされたことを苦に自殺した友人がいること・・


その子は煙草を吸いながら、重い話を聞かせてくれました。


そのうち、もう眠くなってきたから寝ようとなりました。


ここで未解決案件だった「布団がひとつしかない問題」が浮上します。

その子は、一緒の布団で寝ようと言ってきました。

私は添い寝をするもんだと思い、一緒に横になりました。

そして消灯。


目を閉じてしばらくすると・・・

私の唇に、生温かくて柔らかくタバコ臭いなにかが覆いかぶさりました。

その女性の唇でした。

私は襲われたのです。


こんな状態で、私のファーストキスは奪われたのです。

2022年05月22日

21歳での人生初デート

バイト先のラーメン屋の店長は女性でした。

その店長には娘さんが2人いて、

長女が22歳、次女が19歳でした。

2人ともそのラーメン店でバイトとして働いていました。


ある日、長女から「一緒にビリヤードしてほしい」と誘われたのです。

どうやら私の同期の友人から、私がビリヤードが好きなことを聞いたとのこと。


私は快諾し、数日後に人生初めてのデートをしました。

最初はビリヤードで1時間くらい遊び、

その後カラオケに行った後、屋台でラーメンを食べました。


カラオケの時からその子はお酒を飲み始め、

すっかり酔っていたようでした。

ラーメンを食べ終わる頃には、もう夜10時くらいになっていました。


「もう夜遅いから私ひとりで帰れない」とその子が言い出しました。

デートは楽しかったのですが、私は大して器量がない彼女に好意はありませんでした。

しかし、仕方なく自宅に泊めることにしました。

これも今で言う、お持ち帰りになるのでしょうか?


「ゲスト用の布団がないのにどうやって泊めよう・・」

頭の中をグルグルさせながら、自宅の最寄り駅に向かう電車に乗りました。

その子と一緒に。


ロングシートに2人で並んで座りました。

反対側の窓ガラスには、私たちの姿が反射して映っていました。

「ああ、私が女性と並んで座っている。しかもこんな時間に」

「しかもこの女性は俺の自宅に来るのだ」

何か自分がすごく大人になった気分でした。


1999年6月末、当時21歳。

蒸し暑い平日の夜のことでした。

2022年05月21日

ラーメン屋でバイトを始めた

1999年5月。

同期の友人に誘われ、ラーメン屋のバイトを始めることにしました。

自宅から自転車で15分ほどの距離にあるチェーン店です。


仕事内容は、ホールでの接客。

具体的に言うと、お客さんのオーダーを受け付け、

出来あがった料理を運び、お会計をレジで済ませる。

そしてお皿を食洗器にセットするといったものです。

時給は650円ほどでした。


勤務時間は19時〜23時。

勤務日は月・水・金の週3日でした。

2022年05月20日

大学ではディスられ、サークルでは女子からムリ扱いされ・・

平日は大学で友人たちから、何かと進学校の落ちこぼれっぷりをイジられる。

(自分たちだってその程度の大学しか受からなかったくせに)

土曜はサークルに行くも、女子からは全く相手にされない。

(中学の頃はそれなりにモテたこともあったのに)


宮城県のトップ高校に進学したのに、2年も浪人してしまい、

私立しかも無名の大学しか受からずこの始末・・

自己否定に苦しむ毎日でした。


やがて大学から足が遠のき始めました。

目を覚ましてテレビを点けると、

「午後は○○おもいっきりテレビ」が放送中。

時刻は既に昼過ぎでした。


こうしてますます自己嫌悪に陥っていきました。

1999年6月のことです。

2022年05月18日

さえない男から非モテをいじられる屈辱

そのサークルでは、毎週土曜午後にメンバーが集まって

テニスの練習をやりました。

茨城県内のとある女子大の子たちも参加していました。

私は、寡黙に一生懸命テニスをしました。

誰ともあまり打ち解けることはありませんでしたが、

テニスに対しては全身全霊全力で。

ナイスショットを連発すれば、女子たちの気を引けるだろうと。

相手が男子だろうが女子だろうが、

手加減はしませんでした。


ある日、サークルのメンバーで飲み会がありました。

私は仲間に溶け込めず、隅っこの方で飲んでいました。

その時、パッとしない先輩数人が私を呼びつけ、

そのサークルの中では割とかわいい方の女子の向かいの席に座るよう言いました。

「こいつと付き合える?」と先輩の1人が私を指さし、

その女子に尋ねました。

「ごめん無理無理」と一蹴されました。

一同爆笑です。



屈辱に耐えながら1つ下の先輩に敬意を払い、

テニスには一生懸命向き合ってきたのに、

多浪の末にやっとの思いで唯一受かった無名私立大での仕打ちは、

当時の私にとってはとてつもなくキツいものでした・・

2022年05月16日

1つ下の連中を先輩と呼ばざるをえない屈辱

女の子との接点を作るには、

新歓コンパに参加したサークルに顔を出すことが最低条件でした。

それが唯一の可能性だったのです。


私は、2年浪人しました。

そのため、サークルには1歳下の先輩がいました。

その方々にも気に入られなければ、サークルの会合の誘いが来なくなります。


年齢的には下のヤツらよりも自分は後輩であり、

敬意を払い尊敬語で接しなければならない。

人生で初めての経験であり、耐えがたいほどの屈辱でもありました。