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2018年07月17日

事故原因報道を否定 事故調査委員会 キューバ航空機墜落事故

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Cubadebate、2018年7月17日

5月18日に発生したハバナ・オルギン間のDMJ0972便の航空事故の原因調査委員会は今週火曜日(7月17日)、同事故の原因に関する憶測を否定した。

われわれは昨日、報道を通じて、2018年5月18日にハバナ・オルギン間のDMJ0972便で、メキシコの航空会社ダモー株式会社(グローバル・エア)所有のボーイング737/200機が、ハバナのホセ・マルティ国際空港付近で起こした不幸な航空事故の原因に関する憶測を知った。

この事故を調査するためにつくられた本委員会は、この大規模な調査過程が複数の要因の分析を必要としており、いまだ終了していないことを宣言する。

このため、この大事故が生じた原因の可能性に関するあらゆる確定は、時期尚早である。

本委員会は、決められたスケジュールの下で作業を続け、証拠分析が完了次第、その結果は発表される。

DMJ0972便航空事故調査委員会
ハバナ、2018年7月17日


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Comisión de Investigación desmiente especulaciones sobre causas del accidente aéreo en Cuba
http://www.cubadebate.cu/noticias/2018/07/17/comision-de-investigacion-desmiente-especulaciones-sobre-causas-del-accidente-aereo-en-cuba/#.W04019IzbIU
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ヒルベルト・サンタ・ローサ 歴史的なハバナ公演成功

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ヒルベルト・サンタ・ローサ、ハバナ公演

Granma、2018年7月17日、 Ricardo A. Venereo記者

愛しています、とキューバ国民はヒルベルト・サンタ・ローサに言った。今週月曜日(7月16日)の夜に「サルサの紳士」がハバナのマレコン通りでおこなったコンサートでは、ローサと彼のすばらしいバンドが奏でた楽曲にあわせて、多くのキューバ人が歌い、踊った。

歌い続けられた2時間のコンサートには、次のような楽曲が欠けることはなかった。「コンシエンシア」、「ビビール・シン・エジャ」、「シン・ボルンタッド」、「ポル・マス・ケ・インテント」、「ロ・グランデ・エス・ペルドナール」、「ラ・ソレダッド」、「ケ・アルギン・メ・ディガ」、「ペルドナメ」、「ラ・アガーロ・バハンド」、「ケ・マネーラ・デ・ケレールテ」、「ウン・モントン・デ・エストレージャス」、、、これらの曲を彼は個性である味と奉仕で作ったが、それらの多くは悲しみの歌になっている。「幸せな恋人たちがいつもなぜさらに悲しい私の歌を聴きたがるのかわからない。愛の領域のことなのだろう。」

「アル・アモール、アル・デサモール、、、アル・デサモール」と彼は繰り返し歌った。キューバの魂を得て、ついにわれわれが目の当たりにできた歌手の登場にマレコンは歓喜と幸せに満ちた。サンタ・ローサは2日前にホソネ・バラデロ・ジャズ&ソン・フェスティバルに出演したが、ハバナこそが彼にとっての本当の試練だった。

今回彼がここで披露したコンサートは、デビュー40周年を祝うツアー「40・イ・コンタンド」の一環である。もちろん、陽気な楽曲もあった。すべてが苦しみではありえない。しかし誰もその詳細にはこだわらなかった。大事なことはこの場で彼を手に入れ、彼の歌を聴き、彼を抱きしめることだったのだから。たとえそれが彼の歌を通じただけのものであったとしても。

疑いなく、ヒルベルト・サンタ・ローサがキューバ国民に届けたコンサートは、長年語り継がれるだろう。それは私を含めた多くの人にとって歴史的なものだった。そして彼にとってもそうだったと私は確信している。これまで国民全体があんなにシンプルな形で、しかし真摯にあれほど力強く、彼に言ったことは決してなかったのだから。あなたと愛していますと。

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ヒルベルト・サンタ・ローサ(左)とイサック・デルガド

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Te queremos, le dijo el pueblo a Gilberto Santa Rosa en La Habana
http://www.granma.cu/cultura/2018-07-17/te-queremos-le-dijo-el-pueblo-a-gilberto-santa-rosa-en-la-habana


ヒルベルト・サンタ・ローサ キューバ・ハバナ公演(2018年7月16日)

*画像は下記記事より
Ecos del Caballero de la Salsa en Cuba
http://www.granma.cu/cultura/2018-07-17/titulo-ecos-del-caballero-de-la-salsa-en-cuba-fotos-17-07-2018-11-07-07
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アルマンド・マンサネーロ キューバで初のレコーディング ハイラと共演

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アルマンド・マンサネーロとハイラ

Radio Rebelde、2018年7月17日

メキシコの歌手アルマンド・マンサネーロは今週月曜日(7月16日)、著名歌手のハイラ・マリア・モンピエーとともに、キューバでの初のレコーディングを3曲おこなった。ハイラの次回作に収録される予定だ。

「あらゆる敬意をこめてハイラがアルマンド・マンサネーロに歌う」、というタイトルの次回作は、メキシコのロマンティカ音楽のレジェンドであるマンサネーロへのオマージュであり、サルサ・ジャンルにおける彼の広範なレパートリーの楽曲を収録する予定だ、とモンピエーはPLの取材に答えた。

新作CDの発売レーベルとなる予定の音楽録音編集会社(EGREM)の18番スタジオで、ふたりは、「メ・ブエルベス・ロコ」、「ノー・エクシステン・リミテス」、「ナダ・ペルソナル」の3曲をレコーディングした。

「ソモス・ノビオス」や「エスタ・タルデ・ビ・ジョベール」などのヒット曲の作者マンサネーロによると、ハイラと一緒にレコーディングできることはひとつの特権だった。彼にとってハイラはあこがれの歌手であり、その仕事をとても尊敬していた。

両者は今週日曜日(7月15日)にマンサネーロにとって初となるキューバ公演で共演していた。その場にはオマーラ・ポルトゥオンドとエリアデス・オチョアもゲストとして出演した。

今週月曜日(7月16日)マンサネーロは帰国する際、また戻ってきたいと言い残した。「だってキューバとその人びとを愛しているし、こんなにすばらしい多くの音楽家を輩出している国だから。」、と彼は語った。

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アルマンド・マンサネーロ

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アルマンド・マンサネーロとハイラ

Cantante mexicano Armando Manzanero graba en Cuba
http://www.radiorebelde.cu/noticia/cantante-mexicano-armando-manzanero-graba-cuba-20180717/
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2018年07月16日

アルバロ・トーレス 「ありがとうカマグエイ!」

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アルバロ・トーレス、カマグエイ公演

Radio Habana Cuba、2018年7月16日、ACN

カマグエイの数多くの市民たちは昨夜(7月15日)、エル・サルバドールの歌手アルバロ・トーレスが同市のイグナシオ・アグラモンテ革命広場で歌った楽曲一つ一つにあわせて合唱した。そのとき広場は大観衆が入りきれないほどの状態になった。

市内の住民たちや、他市や全国他県からやってきたたくさんの人たちは、「チキータ・ミア」、「アブラサメ」、「トド・セ・パガ」といった著名な曲を声をひとつにしてともに歌った。

トーレスの気取らなさは随所で見られ、カマグエイ市民たちから受け取った暖かな歓迎に対し、ステージの間中ずっと感謝していたトーレスは、新たな機会が与えられたら、また戻ってくると約束した。

この日の前座を務め、トーレスの舞台のお膳立てをした人気キューバ人歌手のJGが共演した今回のコンサートでは、トーレスのもっとも人気の楽曲がいくつも歌われ、その多彩さとステージングでのカリスマが発揮された。

観衆が自発的に自身の携帯電話をオンにし、夜空を照らしたのに対し、トーレスはその動きに感謝し、こう言った。「その明かりは世界に向けたすばらしいメッセージだ。それは、われわれ全員が必要とし、内側に抱えている光だ。ありがとうカマグエイ!」


キューバTV(2018年7月16日)

Álvaro Torres: 'gracias Camagüey, ustedes son únicos'
http://www.radiohc.cu/noticias/cultura/166953-alvaro-torres-'gracias-camag%C3%BCey-ustedes-son-unicos'
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2018年07月12日

アルバロ・トーレス 7月20日にオルギン公演が決定

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Álvaro Torres en el Estadio 5 de Septiembre de Cienfuegos, en 2014.
アルバロ・トーレス、2014年、シエンフエゴスのシンコ・デ・セプティエンブレ球場にて

Cubadebate、2018年7月12日、

エル・サルバドールの歌手アルバロ・トーレスがきたる7月20日にふたたび、オルギン県でコンサートを開く。彼が初めてキューバ音楽録音編集会社(EGREM)と製作したアルバムのプロモーションのために、キューバでおこなうツアーの一環である。

EGREMによる外国人アーティスト初の作品となったトーレスのアルバムには、チキータ・ミア、ナダ・セ・コンパラ・コンティーゴ、エスパシオス・バシオス、ミ・ベルダデロ・アモール、ヨ・テ・セギレー・ケリエンド、トド・セ・パガ、といった彼の人気曲が収められている。

このアルバムでは、オマーラ・ポルトゥオンド、エリアデス・オチョア、パンチョ・セスペデス、イサック・デルガド、セプテート・サンティアゲーロ、レオニ・トーレス、ブエナ・フェ、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブといったキューバの著名ミュージシャンたちがトーレスと共演した。また、「ディミヌート・イ・エントレボセス」コーラス隊や、キューバ国立交響楽団の弦楽器隊も加わった。

トーレスは今回、バラデロ、シエンフエゴス、グランマ、サンティアゴ・デ・クーバでも公演予定だが、このEGREMが主催するツアーには、キューバ人若手音楽家のフアン・ギジェルモ(JG)が同行する。

EGREMのオルギン地区販売局長アンドレス・カヨン・インシアルテは記者会見において、トーレスが公演する舞台はまだ確定していない、と述べた。

現在のところバリアイ文化センターが予定地ではあるが、トーレスの高い集客力から見て、さらに収容数の多い他の施設の選択肢が検討されている、と局長は説明した。

この7月20日の公演は、アルバロ・トーレスがオルギンでおこなう二度目の公演となる。2015年7月16日にカリスト・ガルシア大将球場で2回公演の1回目をおこなっており、これで2013年12月にハバナから始めた自身初のキューバツアーを締めくくった。

Álvaro Torres, por segunda vez en Holguín
http://www.cubadebate.cu/noticias/2018/07/12/alvaro-torres-por-segunda-vez-en-holguin/#.W0oJLNIzbIU
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チェ・ゲバラのボリビア日記はいかにしてキューバにもたらされたか 50年目の告白

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Cubadebate、2018年7月12日、Yelena Rodríguez記者

1968年、ある男たちの集団が不可能を可能にした。米中央情報局(CIA)の「揺るぎない」セキュリティーをかいくぐり、ボリビアでのエルネスト(チェ)ゲバラのゲリラ闘争最後の日々の記録を明らかにしたのだ。

「この日記をわれわれが入手した方法は今明らかにできない。」、とフィデル・カストロ最高司令官は、この文書の第一版が発行されたときに述べた。

そのときから、沈黙されねばならなかった。多くの人びとの命が危険にさらされ、事実の歪曲を否定する操作が停滞するリスクがあったのだ。

いま、出版50周年を機に、匿名の35年間を経て、沈黙を破り、引き出しを開けるときがきた。

「80歳になった今、私はCIAが犯したすべての干渉を明らかにするつもりだ。」、とリカルド・アネイバは語った。彼はボリビアでのCIA技術局の元局長であり、今回の物語の主人公の一人である。

2017年10月、ボリビアのバジェ・グランデでのチェ暗殺50周年記念式典に出席するアネイバの姿が世界に発信された。

彼はCIAのエージェントとして、情報センターを作る任務を負い、人びと、特に左翼関係者の通話、郵便などすべての動きを文書化していた。

アネイバは、3つの文書棚を自由に使えたが、そこには報道メディアや政党やその他の機関にもぐりこんだエージェントの名簿や、支払い記録の会計、そして録音物があった。

あの時代ボリビアは、当時大統領のレネー・バリエントス将軍の決定事項にあからさまに影響を与えていたCIAと直接つながっていた。

バリエントスはチェの追跡と暗殺に多くのエネルギーと人員を費やし、殺害後には戦利品としてチェの日記を確保した。

しかし、左翼勢力が台頭し、彼の支持者たちの多くはもはや政府への信任を公言していなかった。彼らはその指示に従ってはいたが、ほかの理想や政治信念のほうに目を向けていた。

「アルゲダス(内相)が来て、私にこう言った。大統領がネガフィルムから日記のコピーを取りたがっていると。そのあと人差し指と中指とで私に合図したので、それで私は親指を上に向けて応答した。」、とアネイバは回想する。

アントニオ・アルゲダス、作戦の首謀者

アントニオ・アルゲダスは1950年代にボリビア共産党を創設したが、その15年後にはボリビアの内務大臣という地位からCIAに加わった。

彼がアネイバにおこなったジェスチャーは、作戦の開始に向けたゴーサインだった。彼の指導のもと、日記はボリビア人新聞記者ビクトル・サニエルの手に渡り、サニエルはフィルムの束を持って出国した。

チリが最初の停留地だった。そこで彼は文書を、チリ人の同僚で雑誌プント・フィナルの編集者エルナン・ウリベと、同誌の編集長マヌエル・カビエセス、外交官のルイス・フェルナンデス・オーニャに委ねた。オーニャはチェの筆跡を確認して、日記の正統性を認めた。

新聞記者のマリオ・ディアスは、国境を越え、ハバナにいるフィデル本人に手渡した担当者になった。

ハバナでは転写と印刷の作業が数日かかった。1968年7月1日、100万部がハバナ市民に無料で配布され、同じような作業が全国各地でおこなわれた。

フィデルはその序文でこう書いていた。(…)数ページだけまだわれわれの手に届いていないものがあるが、それらは重要な出来事が起こらなかった日付に該当するため、日記自体の内容は絶対的に変わらない。

ドキュメンタリー作品

上述のことは、歴史のなかだけでなく、映像作品でも明らかになった。「チェに敵対するCIA」という本の著者でもあるキューバ人研究家フロイラン・ゴンサーレスとアディス・クプルによる三部作の特別編である。

映像作品「オペレーション・ガベタ」は、チェのボリビア日記がキューバにどのように渡ったかという事実を、要約して明らかにし、CIAの干渉過程を非難している。

またこの作品は、チェやその同志たちへの追悼でもある。日記を世界で最初に出版したのがキューバだったおかげで、キューバ革命とその最高指導者フィデルを貶めるために企まれた計画はこうして打ち砕かれた。

この作品では、文書が漏洩した場合の予防措置としてボリビア政府が抜き取ったため第一版にはなかった13ページの詳細とその反響について描いている。

「このニュースは蛆虫たちによって完全に支配されていた省内をかけめぐり、アルゲダスは国を追われ、一般の法廷と軍事法廷に委ねられた。」、とアネイバは語る。

作品では、アルゲダが死んだ不明の事故や、日記のページ端にゲバラ本人の文字と拳で書かれたアネイバという名前の謎についても語られている。

「私はチェと一度も会ったことがなかった」が、洞窟で見つかった最初の日記にはその名前が書かれていた。

なぜか? 今日までこの謎は、多くの研究者やアネイバ本人の頭の中を占めている。

理由は何だろうか。明らかになっていないが、しかし間違いなく論理的な何かがあるのだ。チェの脳裏に届いた神からの啓示は、アネイバが自分の真実を世界に伝える主人公の一人であることを知らしめるものだったのだろうか。

(PLの情報による)

La historia no conocida de cómo llegó a Cuba el Diario del Che en Bolivia
http://www.cubadebate.cu/especiales/2018/07/12/la-historia-no-conocida-de-como-llego-a-cuba-el-diario-del-che-en-bolivia/#.W0iftNIzbIU
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2018年07月11日

脚本家セネル・パスが語る映画「苺とチョコレート」の秘密

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Radio Rebelde、2018年7月11日、Laura Barrera Jerez記者

脚本家はその仕事を終えてしまえば、撮影過程とはほとんど結びつかない。なぜなら通常、長期間の創作活動のあとは休養を望むし、多くの場合監督もその介入を許さないからだ。

しかしセネル・パスの場合は違っていて、この話はほとんど知られていないことだが、映画「苺とチョコレート」の脚本家は数年前、この映画に3つの貢献をした、と告白した。

まず、この映画が原作とした小説「狼、森、そして新しい人間」はすでに「新ラテンアメリカ国際映画祭脚本賞」を受賞していた。撮影が始まったとき、そのチームにはたくさんの人間たちがいたが、トマス・グティエレス・アレア(愛称ティトン)の発案でセネルも加わり、俳優たちに付き添い、物語の詳細を説明し、作品を補いうる提案をいくつかおこなった。セネルの貢献は、彼自身が語るところによれば、「撮影段階における介入」と考えている。

マリリン・モンロー

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一つ目の貢献についてセネルは数年前から、失敗と形容している。「私はセットにマリリン・モンローの写真を加えた。入り口のドアに見えるやつだ。写真はそのへんにあって、私が持っていったわけじゃない。脚本には書いてあるし、関連はあった(...) しかしティトンが自分で撮影してなかった一場面でそれを見つけて、それはラ・グアリーダでの最初のほうの場面だったんだが、彼はまったく気に入らず、むしろ、怒りを爆発させた。なぜなのかわからないけどね。もう撮影されていたから彼はそれを取り除くことができず、誰もそこに置いたのが私だということを言わなかった。もしかしたら私が置いたのを誰も見ていなかったのかもしれない。で私としては、彼が嫌悪する姿をみて、黙っていることにした。私は健康を回復し、もう二度と何にも手を出さなかった。」

主観的なカメラ

私が行った次の貢献は、逆にティトンはとても気に入っていた。ディエゴの家にあるものや、街中にあるものすべてを、ダビの目線で順番に撮っていくものだ。(...) 脚本は常にそれらの主観を描写している。それらは原作の主人公の語りにあるものだ、とセネルはあるとき説明した。

レサマリマ風晩餐

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レサマリマ風晩餐のシーンについてパスは、ディエゴの台所に常にあるラウンドテーブルでは撮らないことを実現させた。さらにその場面に映るジョン・ダンテの書物を提供したが、セネル自身によれば、この本は撮影のために彼自身が準備した実在しない出版物である。「本の中身は、これは興味深い事実だよ、ドゥルセ・マリア・ロイナスの詩集をこのために犠牲にして、カバーや表題は英国人作家によるハバナをテーマにした古い書物から取った。」


映画予告編

Aportes de Paz para Fresa y Chocolate
http://www.radiorebelde.cu/noticia/aportes-paz-para-fresa-chocolate-fotos-video-20180711/
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訪問客500万人を突破 キューバ・サンタクララのゲバラ霊廟

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500万人目の訪問客への証書

Trabajadores、2018年7月11日、 Lourdes Rey記者

サンタ・クララのエルネスト・ゲバラ司令官彫像複合施設(いわゆるゲバラ霊廟)への訪問客数が500万人を突破した。ボリビアでゲリラ闘争を戦ったチェ・ゲバラとその同志たちの亡骸が埋葬されているところだ。

記念すべき500万人目の訪問客は、シエンフエゴス県の「コントロラドリーア」の労働者エリシャン・ロメロ・サンタナさんだった。この労働センター「コントロラドリーア」は、今週水曜日にチェを追悼し、全国の行政機関のなかで顕著な団体となった。

施設からの記念品を受け取り、驚きを隠せなかったサンタナさんは、この場所にやってくる多くの人びとを代表する一人になれたことを光栄に思う、と喜びを語った。「チェは先導者であり、業績を受け継いでいくための模範である。」、と述べた。

建築家ブランカ・エルナンデスとホルヘ・カオによって設計されたこの彫像複合施設は、1988年12月にオープンした。その原則と人道的行動のゆるぎない姿勢によって世界を揺り動かした人物を追悼するために、世界中の国々の人びとがやってくる。

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500万人目の訪問客として記念品を受け取るサンタナさん

Llega a 5 millones de visitantes Conjunto Escultórico del Che
http://www.trabajadores.cu/20180711/llega-a-5-millones-de-visitantes-conjunto-escultorico-del-che/
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2018年07月10日

米航空会社3社 デルタ撤退後のキューバ航路獲得で競争 アメリカン ジェットブルー サウスウエスト

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ジェットブルーは7月初旬に、今冬キューバへの運行数を増やすと発表した

Cubadebate、2018年7月10日、

アメリカン航空、ジェットブルー、サウスウエスト航空の三社は、デルタ航空が撤退したキューバへのルート獲得を目指している。デルタ航空経営陣は、米国政府の政策の結果、フロリダ南部以外からのキューバ渡航の需要が減ってきていると主張している。

デルタ航空は今年5月、ハバナのホセ・マルティ空港とニューヨークのジョンFケネディ空港間の土曜日の運行を9月1日に中止する、と発表した。運行開始後ちょうど1年となる昨年12月には、JFK空港からキューバへの運行を減らすと発表していた。

現在、アメリカン航空は、マイアミとハバナ間を、160席のボーイング737-800機で毎週土曜日に運行することを目指している。この運行サービスは12月22日以前に開始される予定だ。

一方、ジェットブルーは、すでにボストンからの新ルート運行を発表しているが、11月10日からは、デルタ空港が撤退したルートを用いて、フォートローダーデールとハバナ間を、162人乗りのエアバスA320機で、毎週土曜日に追加運行する意向を発表した。

最後に、サウスウエスト航空は、タンパとハバナ間を、175人乗りのボーイング737-800機で、毎週土曜日に追加運行する計画を持っている。これは、同社が米国運輸局の許可を得てから90日後に運行開始する予定だ。

米運輸局はフリーとなったルートを1社に割り当てるため、各航空会社の申請内容や、航空産業の競争環境におけるその効果を分析する。

デルタ航空は引き続き、アトランタとハバナ間(1日1便)と、マイアミとハバナ間(1日2便)の運行を続ける。アメリカン航空、ジェットブルー、サウスウエスト航空、ユナイテッド航空も、米国とキューバ間のルートをカバーする。

(Con información de agencias)

American, JetBlue y Southwest compiten por ruta a Cuba
http://www.cubadebate.cu/noticias/2018/07/10/american-jetblue-y-southwest-compiten-por-ruta-a-cuba/#.W0TMZNIzbIU
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キューバの自営業制度 新法公布 バーや菓子パン屋を新たに許可

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Radio Rebelde、2018年7月10日、Hilia Tamayo Batista記者

キューバ共和国の臨時官報第35号がきょう(7月10日)発行され、自営業制度とその統制システムを完全化するための政策を実現する規則が公布された。これは150日後に施行される。

労働社会保障省のマルタ・エレーナ・フェイトー第一副大臣は、今回の官報には6つの上位規範、5つの法律、1つの法令と、123の活動を束ねる諸監督機関の14の補足決議がまとめてある、と述べた。

自営業制度は、党と革命によるキューバ経済モデル概念化と経済社会政策ガイドラインに基づいており、それゆえにこれを発展し続けるというのが政府の意志である。その開始においては、2010年に15万7351人の自営業者が許可され、現在は59万1456人の自営業者が存在する。これは国全体の労働者の13%が非国営の管理形式で就業していることを意味する。

キューバの自営業がもっとも集中している分野は、食品加工販売、輸送サービス、住居・部屋・スペース賃貸である。

自営業制度は、就労の選択肢として積極的な影響を与えている。国営セクターにおいておこなわれている労働再編の過程において、非基礎的経済活動の漸次的な非国営化に貢献している。許容できる品質の消費やサービスの提供が増えており、そこにはレストランや賃貸住居などの国際観光業向けのものも含まれている。また税金支払いは、地域発展の機能において、各市予算への歳入の元になる。なぜならTCP(自営業制度)がおこなうこの収税は、各市予算に充てられる歳入であるからだ。

今回の自営業の完全化のために運用される規則は、これまで発覚した不規律に取り組むために設計された。発覚した不規律とは、不法な入手による原材料や部材、課税義務の不履行、統制管理の不備、TCPと国営機関との契約過程における欠陥等々である。

政策の実行において見つかった欠陥を修正し、TCPが整然と前進を続けるために、閣僚評議会は一連の措置を承認した。そこでは201の活動が123にまとめられ、活動を集約化し、サービスを広げ、手続きを簡素化し、それらをもって課税することを可能にした。その例としては、7つの活動で構成される美容サービスや、すべての電気メンテナンスを包含する小型機器修理がある。

労働社会保障省の第一副大臣、マルタ・エレーナ・フェイトー・カブレラは、これまでなかったバー経営やレクリエーション業、菓子パン屋営業に新たにライセンスが発行され、運輸手段の賃貸という職種区分もつくられると述べた。また以前はできなかった代表者任命も許可される。

以上のニュース音声はこちらから。



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発表するマルタ・エレーナ・フェイトー、労働社会保障省 第一副大臣

Nuevas Normas Jurídicas para Trabajadores Por Cuenta Propia
http://www.radiorebelde.cu/noticia/nuevas-normas-juridicas-para--trabajadores-por-cuenta-propia-fotos-20180710/
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