アフィリエイト広告を利用しています

2018年07月12日

チェ・ゲバラのボリビア日記はいかにしてキューバにもたらされたか 50年目の告白

diario-che-2.jpg

Cubadebate、2018年7月12日、Yelena Rodríguez記者

1968年、ある男たちの集団が不可能を可能にした。米中央情報局(CIA)の「揺るぎない」セキュリティーをかいくぐり、ボリビアでのエルネスト(チェ)ゲバラのゲリラ闘争最後の日々の記録を明らかにしたのだ。

「この日記をわれわれが入手した方法は今明らかにできない。」、とフィデル・カストロ最高司令官は、この文書の第一版が発行されたときに述べた。

そのときから、沈黙されねばならなかった。多くの人びとの命が危険にさらされ、事実の歪曲を否定する操作が停滞するリスクがあったのだ。

いま、出版50周年を機に、匿名の35年間を経て、沈黙を破り、引き出しを開けるときがきた。

「80歳になった今、私はCIAが犯したすべての干渉を明らかにするつもりだ。」、とリカルド・アネイバは語った。彼はボリビアでのCIA技術局の元局長であり、今回の物語の主人公の一人である。

2017年10月、ボリビアのバジェ・グランデでのチェ暗殺50周年記念式典に出席するアネイバの姿が世界に発信された。

彼はCIAのエージェントとして、情報センターを作る任務を負い、人びと、特に左翼関係者の通話、郵便などすべての動きを文書化していた。

アネイバは、3つの文書棚を自由に使えたが、そこには報道メディアや政党やその他の機関にもぐりこんだエージェントの名簿や、支払い記録の会計、そして録音物があった。

あの時代ボリビアは、当時大統領のレネー・バリエントス将軍の決定事項にあからさまに影響を与えていたCIAと直接つながっていた。

バリエントスはチェの追跡と暗殺に多くのエネルギーと人員を費やし、殺害後には戦利品としてチェの日記を確保した。

しかし、左翼勢力が台頭し、彼の支持者たちの多くはもはや政府への信任を公言していなかった。彼らはその指示に従ってはいたが、ほかの理想や政治信念のほうに目を向けていた。

「アルゲダス(内相)が来て、私にこう言った。大統領がネガフィルムから日記のコピーを取りたがっていると。そのあと人差し指と中指とで私に合図したので、それで私は親指を上に向けて応答した。」、とアネイバは回想する。

アントニオ・アルゲダス、作戦の首謀者

アントニオ・アルゲダスは1950年代にボリビア共産党を創設したが、その15年後にはボリビアの内務大臣という地位からCIAに加わった。

彼がアネイバにおこなったジェスチャーは、作戦の開始に向けたゴーサインだった。彼の指導のもと、日記はボリビア人新聞記者ビクトル・サニエルの手に渡り、サニエルはフィルムの束を持って出国した。

チリが最初の停留地だった。そこで彼は文書を、チリ人の同僚で雑誌プント・フィナルの編集者エルナン・ウリベと、同誌の編集長マヌエル・カビエセス、外交官のルイス・フェルナンデス・オーニャに委ねた。オーニャはチェの筆跡を確認して、日記の正統性を認めた。

新聞記者のマリオ・ディアスは、国境を越え、ハバナにいるフィデル本人に手渡した担当者になった。

ハバナでは転写と印刷の作業が数日かかった。1968年7月1日、100万部がハバナ市民に無料で配布され、同じような作業が全国各地でおこなわれた。

フィデルはその序文でこう書いていた。(…)数ページだけまだわれわれの手に届いていないものがあるが、それらは重要な出来事が起こらなかった日付に該当するため、日記自体の内容は絶対的に変わらない。

ドキュメンタリー作品

上述のことは、歴史のなかだけでなく、映像作品でも明らかになった。「チェに敵対するCIA」という本の著者でもあるキューバ人研究家フロイラン・ゴンサーレスとアディス・クプルによる三部作の特別編である。

映像作品「オペレーション・ガベタ」は、チェのボリビア日記がキューバにどのように渡ったかという事実を、要約して明らかにし、CIAの干渉過程を非難している。

またこの作品は、チェやその同志たちへの追悼でもある。日記を世界で最初に出版したのがキューバだったおかげで、キューバ革命とその最高指導者フィデルを貶めるために企まれた計画はこうして打ち砕かれた。

この作品では、文書が漏洩した場合の予防措置としてボリビア政府が抜き取ったため第一版にはなかった13ページの詳細とその反響について描いている。

「このニュースは蛆虫たちによって完全に支配されていた省内をかけめぐり、アルゲダスは国を追われ、一般の法廷と軍事法廷に委ねられた。」、とアネイバは語る。

作品では、アルゲダが死んだ不明の事故や、日記のページ端にゲバラ本人の文字と拳で書かれたアネイバという名前の謎についても語られている。

「私はチェと一度も会ったことがなかった」が、洞窟で見つかった最初の日記にはその名前が書かれていた。

なぜか? 今日までこの謎は、多くの研究者やアネイバ本人の頭の中を占めている。

理由は何だろうか。明らかになっていないが、しかし間違いなく論理的な何かがあるのだ。チェの脳裏に届いた神からの啓示は、アネイバが自分の真実を世界に伝える主人公の一人であることを知らしめるものだったのだろうか。

(PLの情報による)

La historia no conocida de cómo llegó a Cuba el Diario del Che en Bolivia
http://www.cubadebate.cu/especiales/2018/07/12/la-historia-no-conocida-de-como-llego-a-cuba-el-diario-del-che-en-bolivia/#.W0iftNIzbIU
posted by vivacuba at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7890818
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
最新記事
カテゴリーアーカイブ
タグクラウド
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
写真ギャラリー
ファン
最新コメント
プロフィール