こんばんは。土斑猫です。
今回から久々に半月のSSを手がける事にしました。
という訳で、半分の月がのぼる空SS「想占(おもいうら)」、約一年と半年ぶりの更新です。
―9―
「未来とは、あらゆる可能性の有り得る場所です。」
淡々と語る少女。
紡がれる言葉に合わせ、黒い髪がサララと流れる。
ユラリと揺れる、ぼんぼりの灯。
さざめく陰影の中で、淑やかな面(おもて)が冷たい気配を放つ。
「故に、其が誰の未来であろうと・・・」
揺れる影が、昏く囁く。
「それを知る対価は、一人の生そのものに値するものです。」
一拍の間。
そして―
「さて・・・」
ユルリ
白い手が上がり、細い指があたしの左胸を指す。
「人より短い貴女の”それ”は、対価として成り立つでしょうか?」
嘲る様な声音。
けれど、それはとても固い。
書かれた脚本を、棒読みする様な響き。
本心でない事は、明らかだった。
だから、あたしは言う。
「変わらないよ。」
「―――。」
彼女が口を噤む。
「あたしの”これは”―」
右手を上げて、左胸に添える。
「皆の生(もの)と変わらない―」
胸の奥で、鼓動が響く。
まるで、その存在を誇示するかの様に。
「だから、対価に値する。」
「―――。」
「・・・だよね?」
黙りこくる彼女に向かって、訊ねる。
返って来るのは、沈黙だけ。
肯定の、証だった。
「・・・一つ、訂正しましょう。」
しばしの沈黙の後、彼女が言った。
「おそらく・・・いえ、正しく、貴女の生は多勢の未来とは対価ではない。」
トクリ
その言葉に、心臓がチクリと痛む。
けど。
「逆です。」
その痛みを察する様に、彼女が言葉を続けた。
「貴女の生は、密度が濃い。」
「密度?」
「ええ。」
そう言う彼女の手が、水盆の水をすくう。
差し出された水面(みなも)。
促されて、覗き込む。
映り込む、あたしの顔。
ただ、写っていたのはそれだけじゃなかった。
そこに映っていたのは、無数の光。
強く輝くもの。
儚く揺れるもの。
濃い色彩。
淡い色彩。
様々な光が、夜空に散らした星の様に輝いていた。
「・・・命の価値は平等と申しますが、そうではありません。」
手の中に光をたゆらせながら、彼女は言う。
チャプ
白い手の中で、水面(みなも)が揺れる。
そこに浮かぶ、光も揺れる。
「命の価値を決めるは、その密度でございます。」
光を映さない筈の瞳に、星屑達の輝きが映る。
それを愛しげに抱き込む様に、彼女は目を閉じた。
「何が為に生きるか。何を求め歩むのか。それを知るか。或いは知ろうとするか・・・。」
鈴音の声が、歌う様に流れ響く。
いつしか、あたしはそれに聞き入っていた。
「長き時を経て、人間(ひと)は永らえる術を得ました。けれどそれに反して・・・いえ、それが故に、その密度は酷く薄いものとなってしまった・・・。」
言葉と共に、星を湛えていた手が傾ぐ。
「余り得る時を、ただ空虚に生きる者。流れの中に己を忘れ、道を外す者。果ては、己を満たす術すら分からず、自らそれを捨てる者・・・。」
トポポ・・・
傾いだ手から、抱かれていた水が落ちる。
そこに浮かんでいた、星々と共に。
「・・・愚かしく、そしてなんと哀れな事か。」
細い身体は、微動だにしない。
ただ、話す声だけが鈴々と響く。
「命の価値は、先天ではなく後天のもの。その生まれは比ならずとも、生の密度においては、文字通り一寸の蠱虫も人間(ひと)も、変わりはありません。・・・いえ・・・」
無表情だった顔に、皮肉げな微笑が浮かぶ。
「現在(いま)に至っては、一匹の虫の方が全うな生をおくっているのかもしれませんね・・・。もっとも・・・」
濡れた指が、つと己の頬を撫でる。
「・・・やつがれが、言えた道理ではございませんが・・・」
そして、彼女は儚く笑った。
グニグニ
ギュッギュッ
明るい台所に、生地を練る音が鳴る。
その音に合わせて、大きな背中と小さな背中がシンクロした様に揺れている。
「こんな感じでいいのかな?」
小さい背中が言う。
「大丈夫。いい感じだよ。」
大きな背中が答える。
「そうかな?」
「うん。」
「おかしかったら、言ってね。」
「うん。分かってる。」
交わされる言葉は、とても穏やかだ。
まるで、今の二人の心を表すみたいに。
全く、やれやれだ。
台所の入口に座った僕は、そんな事を考えながら寄り添う二人の背中を眺めていた。
と、
「お暇そうですね。」
背後から、そんな声がかけられる。
振り返ると、例の女の子が僕を覗き込んでいた。
確か、椛とか言ったっけな?
綺麗な顔立ちとは思っていたけれど、こうして間近に見ると殊更だ。
何か、ドギマギする。
いや、別にそんな趣味がある訳じゃないぞ。
「あ〜。別にやる事もないしな。」
誤魔化しの意味も含めて、そんな事を言ってみる。
すると、
「でしょうね。」
かえってきたのは、そんな言葉。
何かいやにハッキリ言われて、ポカンとする。
「やるべき事がないと言う事は、その人間にとってその場がいるべき場所ではないと言う事です。」
「へ・・・?」
突然の話に、頭がついていかない。
けれど、そんな事には全然構わずに女の子は続ける。
「ここは、今貴方様がいるべき場所ではありませんから。」
「いや、別に好きでここにいる訳じゃ・・・」
僕の言う事など、全然聞こえないと言った体。
女の子は、つらつらと語る。
「その時において、人の在るべき場所と言うのは決まっているものです。」
「だから・・・」
「全ては偶然ではなく必然です。」
まるで、書かれた文を読み上げる様な、色のない口調。
聞いているうちに、何か妙な不安感が頭をもたげて来た。
「・・・・・・。」
いつしか、僕は黙り込んでその言葉に聞き入っていた。
「在るべき場所。やるべき事を違えれば、それは後に大きな禍根となって残るでしょう。」
キロリ
女の子の瞳が、僕を見下ろす。
黒く光る、夜闇の様な瞳。
それが、僕の中の何かを揺さぶる。
「さて。」
最後の、一言。
「貴方様が今、在るべき場所は何処なのでしょうね?」
ガタンッ
聞くやいなや、僕は弾ける様に立ち上がる。
走り出す視界の脇で、女の子が微笑むのが見えた。
ふと振り返ると、裕ちゃんの姿が消えていた。
さっきまで、台所の入口で手持ち無沙汰で座ってた筈なのに。
「あれ?裕一は?」
司君が、入口に立っている女の子に問いかける。
「さて?」
何処か可笑しそうな表情で、小首を傾げる女の子。
「御手水にでも、お立ちになりましたでしょうか?」
そう言って、クスクスと笑う。
あたしと司君は、ポカンと顔を見合わせた。
「・・・どうにも、御心は変わらぬ様ですね・・・。」
溜息と共に言う彼女。
あたしは黙って頷く。
「・・・なれば、これ以上の問答は不毛・・・。」
そして、彼女の手が長い袖にシュルリと潜る。
次に出てきた時、その手の中には純白の羽が乗せられていた。
ドキリ
心臓が、軽く呻きを上げる。
それを見通す様に、彼女は言う。
「これを手に乗せれば、もう後戻りは出来ません。」
「それでも?」と、最後に問う。
あたしは、頷いて手の平を差し出す。
差し出しながら、言う。
「・・・あたしの今は、裕一にもらったもの。」
「・・・・・・。」
「・・・裕一は、自分の未来をあたしにくれた。」
「・・・・・・。」
「でも、あたしはそれに答える事が出来ない。」
「・・・・・・。」
「言ったよね?全ては対価だって。」
「・・・・・・。」
「だったら、あたしは確かめたい。あたしの命が、裕一の未来と釣り合うのかを!!」
それを聞いた彼女が、何かを思う様に瞳を閉ざす。
一拍の間。
そして、ゆっくりとその手が傾ぐ。
フワ・・・
宙に舞う、白い羽。
フワリ・・・フワリ・・・
羽は何かを躊躇う様に舞いながら、ゆっくりとあたしの手に―
ガシッ
急に背後から伸びてきた手。
それが、あたしの手の平に乗ろうとしていた羽を掴み取っていた。
「――っ!?裕一!!」
驚いて振り返った先には、怖い顔で腕を伸ばす彼の姿があった。
続く
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