こんばんは。土斑猫です。
今日から4月。春本番ですね。
陽気も暖かく、心地良い限りです。
まあ、餌台に鳥達が来なくなるのは少し寂しいですが・・・。
と言う訳で、今月最初の更新は、「半分の月がのぼる空」二次創作、「想占」です。
―8―
誰もいなくなったその部屋で、あたしと”彼女”は黙って向き合っていた。
電灯の類のない、古風な部屋。
ぼんぼりの放つあえかな灯りだけが、ユラユラと揺れる。
その揺れる陰影の中で、”彼女”の瞳があたしの方を向いている。
光の無い筈のそれは、薄闇の中で妙に輝いて見えた。
ホウ、と”彼女”が溜息をつく。
「・・・あれほど”それ”は出来ないと申しましたに、何故バレたのでしょうね?」
言いながら、小首を傾げる”彼女”。
白々しいと思いつつ、あたしは言う。
「おかしかったもの。色々と。」
「はて?」
傾げた首が、ますます傾く。
「どの辺りがでしょう?後学のためにお教えいただけませんか?」
すっとぼけた調子で、そんな事を訊いてくる。
けむに巻こうとしているのが、見え見えだ。
「・・・さっきのあの娘。」
「椛ですか?」
「うん。」
あの娘が、あたし達の前に現れた時の事を思い出す。
「あたし達が来るのを待ってて、声かけてきた。」
「ただ、客取りをしていただけですよ?」
話を逸らされない様、慎重に言葉を並べ立てていく。
「中から外(こっち)を伺ってる様子なんか、なかった。おまけに、「お待ちしておりました。」なんて言ったりして。」
「それは、言葉のあやというもので・・・」
「そんな感じじゃなかった。」
”彼女”が、う〜んと腕を組む。
「素直でいい娘なのですが、演技と誤魔化しが下手なのがたまに傷ですね。後で指導しておきます。」
「・・・あなたも、大概なんだけど。」
「あら?」
ポカンとした様な顔をする”彼女”。
「やつがれもですか?何という事でしょう!」
大仰に驚いてみせる。
わざとらしい事この上もない。
だんだんイライラしてきた。
「ちなみに、どの辺りがでしょう?後学のために・・・」
「人数確認する前に座布団ぴったり四つとか用意しといて、どの辺りも何もないと思うんだけど・・・!?」
「あら。」
とぼけた顔で、着物の裾を口に当てる。
「それもそうですね。これは浅慮でした。」
そう言って、コロコロと笑う。
「あたし、真面目に話してるんだけど。」
いい加減、言葉に怒気が篭る。
「まあまあ、そう怒らずに。」
ニコニコと笑顔は崩さず、あたしを抑える手振りをする。
「短気は損気と申しますし、怒気はお身体に障ります。どうです?落ち着くためにお茶などもう一杯・・・」
言いながら、傍らの茶器を手に取る。
「・・・話、逸らそうとしてるよね?」
低い声で、言った。
お茶を入れる手が、一瞬ピタリと止まる。
「本当に、賢しい方です事・・・。」
呟く様にそう言うと、止まっていた手が再び動き出す。
しばしの間。
シャカシャカと、お茶をかき混ぜる音だけが響く。
やがてお茶碗を手に取ると、彼女はそれを差し出してきた。
「まずは、一服どうぞ・・・。」
言葉とともに、光のない目があたしを見る。
あたしはお茶碗を受け取りながら、その目を真っ直ぐに見返した。
お茶碗に満たされた、新緑の液体を口に含む。
ほろ苦く、薄甘い味が口に広がり、優しい香りが鼻に抜けていく。
あたしがお茶を飲む間、”彼女”はジッとその様を見つめていた。
「・・・目、見えるの?」
空になったお茶碗を置きながら、”彼女”に向かって問うてみる。
「見えませんよ。」
想定通りの答え。
訊いては見たものの、その事に関しては疑いを持ってはいなかった。
光の映らない瞳。
定まらない焦点。
こっちに向けられているとは言え、それらの事が”彼女”の言葉が正しい事を如実に語っていた。
「生まれつきだって言ったよね?」
「はい。」
「治らないの?」
「治りません。」
きっぱりとした答え。
「病院には?」
「行った事は、ございません。」
「どうして?」
「無意味だからです。」
「どうして、そう思うの?」
「分かりきっていますから。」
その言葉に、ふるりと心が震える。
ふと、昔の自分がだぶって見えた。
「行ってみなくちゃ、分からないよ?」
自然に、そんな言葉が出た。
それを聞いた”彼女”が、クスリと笑う。
「お優しいのですね。ですが・・・」
開いていた目が閉じる。
白い手が上がって、自分の瞼に触れた。
「貴女様が憂う様な理由ではありませんよ。言わばコレは”理”との契約なのですから。」
「契約?」
「ええ。」
何でもない事の様に、“彼女”は言う。
「物事には、”対価”が必要なのです。」
言いながら、瞼に触れていた手を、今度は水盆の上へとかざす。
「やつがれは、この力を持って生まれました。」
冷たく澄んだ水面が、ユラリと揺れる。
「その代わりに、この眼は光を宿しませんでした。」
淡々と語る口調。
そこには、後悔も怨嗟の色もない。
「全ては、対価の交換なのです。」
”彼女”は語る。
まるで、教え諭す様に。
「何かを得るためには、それに等しい何かを失い、何かを失う事で、それに等しい何かを得る。それが、この世の「理」と言うものです。そして―」
白魚の様な指が、あたしに向けられる。
「それは、貴女様も同じ事・・・。」
「・・・・・・!!」
その指は、真っ直ぐにあたしの左胸を指していた。
「そこに宿る病は、貴女様から多くのものを奪いました。ですが―」
見えない瞳が、ジッと見つめる。
まるで、あたしの内を見通す様に。
「貴女様は今、己を不幸とお感じですか?」
「・・・・・・。」
あたしは、黙って首を振る。
確かにこの心臓は、あたしからたくさんのものを奪っていった。
疎ましく思った事もあれば、憎々しく思った事もある。
やり場のない苛立ちを、他人にぶつけた事だってある。
でも。
だけど。
今のあたしは、不幸なんかじゃない。
こんな身だからこそ、見える様になったものがある。
こんな身体だからこそ、感じられる様になったものがある。
そして何より。
こんな運命だったからこそ、巡り合えた人がいる。
”彼”の顔が、脳裏に浮かぶ。
馬鹿で。
情けなくて。
どうしようもなくて。
だけど。
優しくて。
温かくて。
愛しい。
そう。
あたしは、彼を手に入れた。
何よりも。
何よりも大きな。
何よりも大切な。
代わるものなど、ある筈もない。
たった一つの、宝物。
この病が。
他人より短いこの命が。
そのための対価だったと言うのなら。
あたしは、笑ってそれを差し出せる。
自信を持って言える。
重い対価ではなかったと。
不条理な取引ではなかったと。
それは。
それだけは。
絶対に。
絶対に、確かな事だった。
「・・・良い対価を、得ましたね。」
あたしを向いていた”彼女”が、ニッコリと笑う。
「・・・うん。」
そんな”彼女”に向かって、あたしはそう言って頷いた。
ペタペタペタ
長い廊下に、あたし達の足音が響く。
その音に摩られる様に、所々に置かれたぼんぼりの光がユラユラと揺れた。
「ねえ。何を作るの?」
先を行く女の子の後を追いながら、あたしは隣を歩く世古口君に訊いた。
「うん。時間が時間だから。あまり手間のかからないバタークッキーとかにしようかと思ってるんだけど・・・。」
「バタークッキー?」
「うん。」
「美味しそうだね。」
「美味しいよ。簡単だけど。でも、材料とか器具とか、必要なのがあるか分からないし、台所に行ってから決めるしかないかな。」
「そっか。それもそうだね。」
言いながら、ふと後ろを見る。
そこには、憮然とした顔でついてくる裕一の姿があった。
「・・・裕一、何でついてくるの?」
「しようがないだろ。里香についてけって言われたんだから。」
むすっとしながら答える裕一。
「里香が?何で?」
「心配だから、ついてけってさ。」
「心配?何が?」
「わかんねーよ。」
そんな会話が聞こえているのかいないのか、女の子は前を向いたままスルスルと歩いていく。
そして―
「こちらです。」
彼女はそう言って、目の前に現れた戸を開いた。
「あ。」
「へえ。」
戸の向こうを覗いたあたし達は、一様にそんな声を出した。
そこにあったのは、質素だけどしっかりとした今風のキッチン。
もっと、昔風の台所を想像していたんだけど。
使いやすそうな反面、この建物の雰囲気には些か不釣り合いな気がする。
「何か、以外・・・。」
中に入りながら、そう呟く。
「利便性が一番ですから。」
そう言って、女の子が微笑む。
「うん。これなら、何でも出来るよ。」
周りを見回した世古口君が、嬉しそうに言った。
そんな彼に、女の子が声をかける。
「必要なものは、そちらに。」
「え?」
言われて見てみると、テーブルの上に色々と物が置かれていた。
世古口君が近寄って、確認する。
「・・・バターに薄力粉に卵・・・必要なの、全部そろってる。」
「本当!?」
「うん。ココアもあるから、ココアクッキーも出来るよ。」
何処か嬉しそうな世古口君。
そんな彼に向かって、女の子が言う。
「道具も揃っています。お好きな様に、お使いください。」
「ありがとう。」
女の子に微笑みながらそう言うと、世古口君はグイッと腕まくりをする。
楽しげな彼。
あたしも、何処かウキウキしてくる。
こんな気持ちは、久しぶりだ。
「何、すればいい?」
訊いてみると、世古口君はちょっと考えて、こう言った。
「それじゃあ、バタークッキーの方を頼もうかな。僕は、ココアクッキーを作るから。」
「出来るかな?」
「大丈夫。教えてあげるから。」
そう言って、ニコリと笑う彼。
「うん。」
大きく頷いて、あたしは自分もグイッと腕まくりをした。
「あら?」
不意にそう言うと、”彼女”はふと宙を見上げる。
「あちらの方、始まられた様ですね。」
目の前にその情景があるかの様にそう言って、フフッと微笑む。
「楽しみですこと。」
その顔は、年相応の無邪気さに溢れている。
でも、
「誤魔化さないで。」
あたしの口から飛び出したのは、少し険のこもった声。
”彼女”は困った様に息をつくと、その顔を再びあたしに向けた。
「やはり、引きませんか?」
「引かない。」
「貴女様は賢しい方です。」
今しがたとはガラリと変わった、表情のない顔。
あたしを威圧する様に、その眼差しが向けられる。
「やつがれがこうする意味も、お分かりだと思いますが・・・。」
「・・・そんなに、いけない事?」
「はい。」
あたしの問いに、一寸の間も置かずに返る返答。
取り付く島もない。
けれど、あたしは食い下がる。
「対価は、払うよ?」
「無理です。」
「無理?」
「はい。」
「どうして?」
「大きに過ぎます。」
「・・・大きいんだ。」
「はい。払う事など敵わぬ程に。」
「・・・・・・。」
会話が途切れた。
少しの間、漂う沈黙。
ちょっとだけ、大きく息を吸う。
そして、あたしは用意していた言葉を放つ。
「それでも、払うって言ったら?」
”彼女”の呼吸が、一瞬止まった様な気がした。
あたしを見つめる眼差し。
本当に、不思議な目だと思う。
見えない筈なのに。
光も映さないのに。
深く、深く、澄み切っている。
犯されていない。
灼かれていない。
真っ新な瞳。
それが、あたしを見つめる。
心の内の、奥の奥。
本当のあたしを、見透かして来る。
「・・・酔狂ですね。」
冷たい声だった。
それまでの穏やかな声とは違う、冷ややかな声。
胸の内まで切り込む様なその声音で、”彼女”は続ける。
「そして、存外に愚かです。」
「・・・・・・。」
あたしは、言葉を返さない。
「分かっている様で、分かっていない。」
「・・・・・・。」
返さない。
「全ての対価が、やつがれが先に示した様な型で済むとお思いですか?」
「・・・・・・。」
返さない。
「あれは、あくまでかの形で釣り合うものだからこそ、そうしたまで。」
「・・・・・・。」
返さない。
「より大きなものを求めれば、払わねばならぬ対価の大きさも、型も、応じたものへと変わります。」
「・・・・・・。」
返さない。
だって。
「”未来”の形を知ると言う事は、それだけ、大きな事です。」
「・・・・・・。」
だって・・・。
「まして・・・」
「・・・・・・。」
あたしは・・・・。
「”他者”の未来を知らんがために、それを犯そうなどと・・・!!」
「・・・分かってる。」
そう。あたしは・・・。
「分かってるよ・・・。」
分かっているのだから。
理解して、いるのだから。
「それでも・・・」
だから。
「それでもあたしは知りたいの・・・。」
あたしは、想いを口にする。
「裕一の、未来を!!」
はっきりと、言い放つ。
「・・・・・・。」
”彼女”は口を噤み、その目を細める。
その視線に縊られる様に。
微かに。
本当に微かに。
心臓がトクリと、悲鳴を上げた。
続く
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