ネットニュースより
3月のある朝、キャスターが「あれから13年になるんですね。今回は東北を旅してみました」と番組がスタートした。
「そうかあれから13年かあー、早いもんだな」と。
感慨も深く記憶が鮮やかに「その日その時」が蘇ってきた。
正直キャスターが言うまで忘却の彼方、忘れていた。
その日、今は退社されてしまった当時の支店長と一緒に仕事をしていた時であった。
走行している車が激しく揺れ出し、道路わきの電柱がおれんばかりにグラッ、グラッと激しく揺れていた。
下校中の子供たちが泣き叫び、道路の至る所でしゃがみ込み路面にスパイダーマンの様に張り付いていた。
そんな恐ろしい状況の中、道路の真ん中に緊急停止している私に「〇〇さん、ここはコン柱のそばだから万一倒れてきたら大変だからもう少し前方に移動しましょう」と支店長に。
その後の被害の大きさ、ひどさに恐れ慄いているのは私一人ではなく、報道で徐々に被害の甚大さが明らかになるにつれ本当に悲しくなってきた。
どれだけ多くの方々が亡くなり、又関係者の人達はどんなに悔しかった事か、どんなに悲しかったか、計り知れない。
そんな悲しい事があったが、時間は情け容赦なく過ぎゆくも、時と共に忘れる事は無いが薄らいでゆく事はたしかであろうし、復興に向けて多くの人々が明日の光を求め動き出し早13年。
東北復興に向けて、福島、岩手に何度か旅行やドライブをしてささやかながら個人支援してきた。
そして、今年の正月1日に能登半島で大型地震発生し、多くの人が亡くなり能登の地形がとんでもなく壊れた報道の嵐。
土地が2mの高さで4キロにわたり隆起している事や、それに連れ港が隆起し繋いであった漁船が地上に浮かび上がり海水は遠くに去ってしまっていた光景は驚くばかりであった
それも2カ月過ぎ、私どもが住んでいる千葉県も近頃群発地震が発生し、不安な日々が続いている。
いよいよ関東地方も大型の地震が来るのか、東北から能登に移り次は関東か、はたまた南海トラフの四国方面かと不安な予想は勝手に独り歩きしている。