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2020年10月15日

墓守 

今日は月に一度の旧友との会食の日である。
毎月元気な顔を見られる喜びと安堵感、不思議である。
美人さんと会う訳ではなく、互いに70過ぎの爺である。これが落ち着くのだから、・・・枯れた楽しさか。
さて、昔は家制度が綿々と続き、家ありきで物事が判断処理されてきた。
家長制度や家督相続が法的にも守られ、家に付帯して人が暮らしていた。
それがあたり前と思われてきた。
それが最近では、家督相続も無くなり、平等という名の下に権利の乱用が始まった感がある。

お墓。誰しも必ず死ぬ。
人は生まれた時から死に向かって歩む生き物である。人に限らず生きているもの全てが。
古来人は、不老不死を願って探し求めてきたようであり、歴史的事跡にも残っているようである。
死んだら一般的にはお墓に埋葬される。どこの国でも似たようなものである。
我が家でも近所の墓地に、父母が埋葬されている。

このまま何もしないと、私もそこに埋葬されることになるだろう。
妻もそうなることと思われる。
我が家は今妻と二人きりである。
3人いた娘は皆嫁いでいき、別姓で暮らしている。

当然我が家を継ぐ人間がいないのだから、家は途絶えることになる。
途絶えたからと言って困ることは何一つない。
ただ我々夫婦が亡くなった時、娘たちは今のお墓をどうしたら良いか悩むことになるであろう。
彼女たちはそれぞれ嫁いで行った身であるがゆえに。
そこで、漠然とではあるが終活の一貫としてお墓の処理処遇を考えはじめた。
今の墓地を閉めて、新たに町場の集合墓苑にすべきかと。

墓守の負担を無くして、つなぐことも真剣に考えねばならない。
今後、我々夫婦だけでなく全ての人達も共通の課題、社会的な問題になってゆくのではないだろうか。
町場の集合墓苑では、宗派も問わず参拝者があれば墓碑など電子表示された故人のお墓が、そこにあるかのよ
うに接遇されるらしい。
これなら子供達もプレッシャーを感じるのは薄くなろう。

但し、これに移行するには、現在の墓地の移転回収をすることが第一前提になる。
墓から骨壺を取り出す事、墓石の処分など専門業者に依頼せねばならない。
この費用がどれくらいか、今後調べねばならない。
また、新たな集合墓苑には100万前後かかるらしい。
併せて150万円は最低かかるであろうが、私の親戚一同にも経緯の報告しなければならないだろう。
他にも問題は色々浮上してくると思う。

近未来としてではなく、早急に解決処理に向けて動きださねばならない。


posted by 小豆洗い at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族
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