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2024年02月19日

近頃の付合(慶弔)


私の住まいする処は田舎である。
東京駅まで特急で1時間で行けると、不動産業者は地方都市であるも、息巻いているが実際は田舎である。

私が結婚した時なども親類縁者、友人知人が出席するのは今でも当たり前であろうが、隣家という事でご近所さんを多く招きそれは盛大であった。
兎に角、ご近所さんを先ず呼ばなければ何事もスタートしなかった感がある。
本当に、ご近所さん、お隣さんと親類以上に招待するような雰囲気がそこいらじゅうに蔓延していた。
何があっても隣家というご近所さんがメーンのテーブル配置であった。

それが私の子供が成長し結婚する頃になると、友人知人を招待するのは当然ながら親戚もごく一部の関係者だけに絞られ隣家というご近所さんは呼ばなくなってきた。
世の流れが徐々に変わりつつある。
実際、三人の娘の結婚式も友人知人は当然の事ながら近所の人を招く事はなかった。
親戚にしても自分の弟妹と限られた親戚だけの結婚式であった。
昔のように声を掛けていたら最低でも40人以上は増えてしまった事だろう。
これは経済的にも楽になって来た。
変な見栄みたいな虚飾の世界はとうの昔に追いやられた感がする。

不祝儀袋.JPG

                      不祝儀袋 各種

これは結婚式の慶事だけでなく、仏事に於いてはより顕著に現れてきたようである。
家族葬が多くなってきたようである。
それは密葬に近い物である。
私のように昭和のマッタッダ中で育ってきた人間には少し不思議な感じがするが、やり易くなってきたのではないかなと思う。

昔は土葬であり、父の替わりに働きに出た式では湯灌人であり、棺桶を担ぎ墓場まで運んだのであるが山道の階段は非常にきつい物があった。
後棒の為、上りの時は私に棺桶の死体の重量が全て後側にかかってくるからである。
そう言う土葬の時代から現在の火葬に至るまで、どれ程多くの葬儀に直接、間接に関ってきた事か。
そんな長い経験からしても、最近の仏事は簡素化されて来た上に、家族葬などとこじんまりとした葬儀が主流になって来たように思える。

私も地元の講中という組織を抜けたので(実際、抜けるのに大変な労苦があった。)、古いしきたりの葬式から抜け出す事が出来た。
負の遺産を娘達に残す事は無くなった。
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