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2017年07月19日
運動の自動化
運動学習過程の最終段階は、個々の動作を意識しないで、精確に、的確に動作できる「運動の自動化現象」が生じることだという。
自動化は、主に「反復練習」によって達成され、繰り返し量が多ければ、自動化はより強化されるんだそうだ。
「自動化」により、意図的に「注視」しなくても、運動を行うことができる。視野が広がり、「周辺視」で全体状況を見ることが出来るのだそうだ。
子どもたちをよく「観察」すると、滑らかで、流れるような運動をする子がいる。自動化に近づいているのでしょう。ここまで来るのに、「個人差」があり、同一学年で同時期に野球を始めたとしても、技術習熟度に差があることもある。しかし、成長過程であり、その後の努力次第でいくらでも習熟度は増すと思う。
免疫性
熟練したピアニストが、演奏中に話しかけられたりしても、ピアノを弾き続けられる。「妨げ」(話しかけ)に対して「免疫」があると言うのだそうだ。「妨げ」に対する「免疫性」は、スポーツや芸術活動では、重要な役割があるんだって。
だけど、「免疫性」は、自動化で得られるもでは無いという。内外の「妨げ」に「どう対処」するか、意図的に「意識」する必要があるという。「これは練習だから」という意識/認識では、「免疫性」は生じないんだナ・・・。
実戦練習、練習試合でも、「意識」がリハーサル気分であると、「免疫性」はついてこないんだナ。
(参考文献)
金子明友他:運動学講義、大修館書店、1990
2017年07月15日
反復練習のすすめ
運動の定着させるためには、運動の「反復練習」やトレーニングは運動の獲得・形成・定着という「学習過程」が、必須であるという。
運動学習の最終段階では、「運動の自動化現象」が生じる。つまり、動作を意識しなくても、精確に動作できちゃうんだネ。
だから、「注意」を他に向けられるんだネ。次の動作へ、スムーズに移って行けるんだよネ。
「自動化」には、「反復練習」が必要で、その繰り返し「量」が多いと、「自動化」は強化されるんだネ。
こういう練習は、「単調」で、子どもたちには「退屈」なのかもしれない。練習メニューの「工夫」が必要なんだネ。
「練習」時に「何を思って」やるかが、大切なんだよネ。"やっつけ"で、練習していると、良かないよナ。でも、低学年以下の子どもたちは、「遊び」要素で、意識/無意識でも身につくような練習が必要だと思う。さすがに、高学年はある程度"考えて"もらいたい。このへんが、ジュニア期の指導の難しさかもしれない・・・。
2017年07月14日
やってみる
スポーツ運動技術とは、ある運動種目における課題をより「合理的」(合目的性・経済性の原理に合致)解決する運動の仕方を言うのだそうだ。
野球における「バッティング技術」とは?
最も簡単に言ってみると、「バットの芯でボールをとらえ、遠くに飛ばす」(運動課題)とも言える。
厳密に言うと、細かく戦術に応じて、「目的」が変わるのかもしれない。わざと詰まらせ、内野手の頭を越すヒット(目的)を狙うプロの選手もいるらしが・・・。
先ずは、バットに当て、ボールを遠くに/強い打球を打ちたいよネ。
打撃フォームは、「目的」のための「手段」なんだよナ。
人それぞれ、骨格も、身長も体重も違うから、10人いると、10通りの打撃フォームがでてくるんだよネ。
王選手やイチロー選手の打ち方は、独特です。しかし、その打法を使って、打撃成績を向上させたプロ野球選手は、いるでしょうか?
他の選手に「転移」できる"技術"ではなく、個人技法なのではないだろうか?
「転移」、一般的に誰でもが、行える運動の仕方でなければ「運動技術」とは呼ばないと言うことだ。
もし、「一本足打法」た「振り子打法」が、誰にでもでき、結果を残せる「運動技術」になったならば、この打法より合理的な課題解決の方法がでてくれば、最新の技術とは言えなくなるんだよネ。
プロの変則打法を「運動技術」になるまで、指導することはないかもしれないが・・・。
ある決まった方法だけをやらせるのもどうかと思う。(運動の鋳型化)
自分に合ったものを探す。「試行錯誤し、工夫と研究を重ねていくこと」が大切なんだよネ。
野村さんのバッティングの本って、あったっけ?
天秤、神主、がに股、コンニャク・・・
・・・逆一本足
2017年07月13日
リスペクトとは・・・
卓球には、0点ゲームにしないマナーがあるらしい。理由は、紳士(淑女)のスポーツとして、瀕死の相手にトドメを刺すような行為になるので、避けるんだって。
場合によっては、「わざと」1点を取られるようにすることもあるんだネ。Aちゃんが、国際試合で、0点ゲームして、相手に謝ったんだって。
野球では、上の画像の"unwritten rules"があるようです。MLBはわかるけど、国際試合でも知って、かつ、適用せんとアカンのカ
「正々堂々」戦うとは、簡単に勝ちそうな相手(実力差がある相手)に、「手加減せぇ」、表現が悪いな、「配慮せぇ」といっているのかナ?
日本では、どんな相手でも「手を抜くな」と指導されることが"多い"と思うが・・・。
高校野球の地方大会の1,2回戦は、実力差のある対戦カードがでてくるよネ。こういう時には、 「暗黙のルール」を適用すべきなんかナ?
また、
「助っ人」なる野球部員以外の子を急遽「野球部員」として、公式戦に出場する学校も少なくないらしい。連合チームができなかったり、母校単独にこだわるのか、理由は色々あるんだろうけド。こういうチームは、失礼だと思うが、勝ち上がるのは厳しいよネ。だからと言って、出場する資格がないとも言えんし。
5、6年前に、甲子園出場経験があり、常にシード権をとる学校と、9人ギリの都立との試合を、27-0まで観たことがある。途中で帰ったけど、結果はやはり40数対0だった。エラー(捕球できない、暴投)が多く、アウトが取れない。(学童野球の低学年レベル(御免なさい))
・「相手チームのメンツをつぶすな。」
だからと言って、手を抜くようなプレイは、・・・となるよネ。
コールドの規定を見直すのも、ありなんだろうか?(打者一巡は・・・)
負ける方も、「配慮」をってことか・・・。
お互い、相手に敬意を
(引用文献)
日本アマチュア野球規則委員会:野球審判マニュアル、ベースボールマガジン社、2012
2017年07月11日
運を育てる・・・
5年ぶりの高校野球、下の子のは、1年坊主でスタンドで応援団。
西東京で、早実と日三とも公式試合をしている「都立」。今年のチームも期待されていたが・・・、残念
何が起こるかわからないネ。負けちゃった。
選手は、精一杯努力し、スタンドも応援Max。
だから、面白いんだネ。
最近、連勝する棋士がいて、将棋が注目されている。棋士は「勝負師」だから、どんなこと考えるのかなと思い、米長さんの本を読んだことがある。
一般に、「勝利の女神」と言う。
だから、「女の人」に嫌われることを、してはいけないと、自分の息子に話した"くだり"を思い出す。お母さん、お婆ちゃん、姉に、妹。嫌われることを、しちゃいけないと。「シャレ」なんだろうけど、覚えている。
そんな時、ボトムアップの本を読んだ時も、良い結果を出したとき、その前に「良い行い」をしていた。だから、普段から良い行いをするのだとか。これも、「験担ぎ」の"くだり"かもしれないが、何となく、良いなと思う。
「フェアプレイ」の精神もあり、相手、審判に敬意を払うことも大切なら、普段から「女神に好かれる」行いをやろうヨ。
「一日一膳」
試合後、スタンドのゴミを片付けていたネ。
きっと、良いことあるヨ。
(^^)v
(参考文献)
米長邦雄:運を育てる、祥伝社、1999
畑喜美夫:魔法のサッカーコーチング、カンゼン、2013
個人差の受容・・・
学童野球(中学位まで)身体の大きい子に、ちょっぴりアドバンテージがあるかもしれない。
しかし、それが全てではない。高校野球では、小さい選手でも、プロ注目の投手もいるという。
持って生まれたモノもあるのだろうが、目標に向けての「努力」がスゴいんだろうナ。
学童野球で、低学年だから、身体が小さいから「バント」というのは・・・。先ずは、フルスイングだよネ。低学年の試合で思うことは、戦術重視より、ファーストストライクは打ち、ボールを遠くに飛ばそう
高学年以降、「戦術」を織り混ぜた攻撃があっても良いような気がするが・・・。
「試合」も、選手の年齢に「ふさわしい」プレイができるような、ルールなんかを柔軟に変えて、例えば、バント禁止、盗塁禁止、リ・エントリーOK、5点/回で攻守交代等々。(サイレント満塁はダメネ。)
誰にでも、「可能性」はある。ただ、やるか/やらないかは、「本人」の問題なんだろうナ。
指導者は、コーチングで子どもたちに「内発的動機付け」していくことが大事なんだネ。
常に、指導者自身の 「コーチング哲学」を見直すことが大事なんだよネ。
(参考文献)
レイナ−・マートン:スポーツt・コーチング学、西村書店、2013
2017年07月10日
根気強く・・・
今日練習したことが、明日でくきるといいんだが・・・。そうは、甘くないよネ。だから、「計画」があるんだと思う。しかし、その計画も、「個人差」があり、子どもたちの特性によって、長短はしかたない。
こういう場合、"どう(How)"すればいいんだろうか?
しかし、競技の中で練習することは決まってる。メニューは、山のようにある。ググれば、本屋や図書館に行けば、いっぱい情報がある。
日常の生活の中で、「投げる」、「捕る」、「打つ」は、あまり出てはこないが・・・。休み時間のドッジボールや追いカケッコ、放課後の「遊び」が大切なんだよネ。身体を動かす「遊び」の中から、身のこなしかたを意識/無意識にみにつけるんだよネ。だんだん、その「遊び」時間が減っているような気がする。
高学年での、「即座の習得」は"それ以前の豊富な運動経験"と、見た運動に「共感」する能力がよく発達してねぇと、すばやくは学習しないとのこと。
低学年、未就学の子らには、身体を動かす「機会」を与えていかないとアカンねんナ。
根気強く、粘り強く・・・。
(参考文献)
Kurt Meinel:スポーツ運動、大修館書店、1981
2017年07月09日
小さい子も・・・
3年生以下の練習試合、一番小さい子は幼稚園の"年長さん"とのこと。
"年長さん"が、外野の守備に。出してもらえて、良かったネ。でも、ボールは来ないし・・・。「ヒマ」なんだろうナ。後ろ見たり、下見たり、動いたり・・・。
でも、こういう「行動」は、この年代の子の「特徴」だから、・・・。意味の無い「随伴動作」を示すのも特徴らしい。
これは、中枢神経系における「興奮過程」と「静止過程」のバランスがとれないことに起因するんだって。
「集中力」は、"僅か"で、就学前の子どもは、「気が散りやすい」よネ。そこのところを、「理解」して指導することが大切なんだネ。
また、
就学前の子どもたちの運動系は、ある「法則的な順序性」に則って「発達」するんだって。
・「走る」のは、安定して「歩く」前には出来ない
・跳び越すのは、「走る」前にはできない
・「捕る」ことは、独り「歩き」が出来ないとできない
運動発達の速度は、子どもたちの「練習の機会」と「運動に興味」を持たせられるかに、左右されるという。運動する「場」を作っていかないとネ。
運動の組合せも出来始めるので、野球の「捕る」、「投げる」もできるんだよネ。
「環境」と「励まし」によって、「多角的運転習得」の可能性が作られてくるのだそうだ。
ただ、「集中力」が短いので・・・。それを考慮して、指導していきたい。
(引用文献)
Kurt Meinel:スポーツ運動学、大修館書店、1981
2017年07月08日
考えてネ・・・
新しい運動を習得は、「前提」がなければ出来るものではないのだと。中枢神経系の機能成熟に関わってくる。だから、以前に経験した「運動経験」(「運動記憶」)に依存されるんだナ。
初めて野球のボールを「投げる」、「捕る」、「打つ」にしても、「前提」があり、神経系のある程度の発達と、「運動経験」なくして、習熟、洗練化はないんだろうナ。
日常生活の中で、「投げる」、「捕る」、「打つ」は・・・。でも、何か有るんだろう。
個人によって、程度の差は出るんだろうナ。
「成功体験」は、子どもに活気を与え更に「次のチャレンジ」へ導いているように思える。
しかし、「失敗(エラー、三振、暴投等)」は、落胆し、周りまでも"暗く"なってしまう時があるよネ。ただそれだけならいいけれど、達成の「停滞」、「後退」は、マズイよネ。指導者の容赦なく"厳しい言葉"は、効果があると思えんナ。
指導者は、指導計画をたて目標志向が必要だし、たとえ成功しようと「定着」するまでは、"粘り強く"練習に取り組むことを指導せんとネ。
「反復練習」は、大切なんだよナ。きっと、ただ、単調で"つまらん"かもしれない。ジュニア期は、"あの手"、"この手"で面白おかしい「練習」の工夫が必要なんだよネ。
この反復練習時の「気持ち/心くせ」を注意しないと。機械的にやっていて、"やっつけ"で行っていていいのだろうか?
その時の「気持ち/心くせ」が習慣化されるから・・・。良かっないよねと、スポーツ心理学者も言ってるし。
練習から、「考える」ことが大事なんだよネ。
そういう「コーチング」が、必要なんだよネ。
(引用文献)
Kurt Meinel:枚寝る・スポーツ運動学、大修館書店、1981
(参考文献)
金子明友他:運動学講義、大修館書店、1990
Gio Valiante:フローゴルフへの道、水王舎、2014
2017年07月07日
落雷に気をつけましょう
夏場の野外活動で、厄介なのが雷を伴う夕立などだネ。
夏の入道雲のような積乱雲などの「雷雲」は、数十分で急成長し、高速で移動する。落雷の予測は難しいらしイ。
だから、早めに「対策」(中断、もしくは、中止し避難)がとられるようになった。
遠くで「雷鳴」聞こえたり、「雷光」を認識したら、落雷の「危険あり」と「判断」し、練習であろうと、試合であろうと、「対策」をとらにゃアカンナ。
避難は、自動車の中、高さが4〜30m(樹木、電柱等)から4m位離れて、低い姿勢が良いとのこと。タ−プやテントの中は、「危険」とのこと。
今は、スマフォの「アプリ」で、雨雲や雷雲の動向を確認、予測できるので、活用することが大切だと思う。
指導者には、「落雷事故」の危険を予見し、避難させる「注意義務」がある。
(事例)
「落雷を予見することが可能だとされたサッカー試合中の落雷事故」があり、一審、二審では、落雷は予見出来ないとされたが・・・。
最高裁は、事故が発生した地域は、当時、「毎年5件の落雷があり、3人の死亡事故が発生いている」と「文献」に記され、また、グラウンドで雷鳴が聞こえたら、直ちに「避難」との「文献」があったことから、本件でも、試合前の空模様から、充分落雷が「予見可能」とされ、「予見すべき注意義務」を怠ったと「判断」されたという。
これから、夏の練習/試合、合宿等楽しいイベントもありますが、「指導者」の皆さん、気をつけましょうネ
「ご安全に」
(参考文献)
日本体育協会:公認スポーツ指導者養成テキスト共通科目U、第2章スポーツと法