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2021年02月05日
ベネツィアングラス
生まれつき非常にセンシティブなお肌を持つ身故、あちこち温泉通いをしていた頃があった。
あくまでも自宅から日帰りで行ける範囲ではあるが、新宿の黒い湯の温泉から、箱根の温泉まで、肌に良いと聞けばとりあえず行ってみたものである。
箱根ガラスの森美術館に立ち寄ったのも、そのついでであった。
勿論、二十歳そこそこから陶器や磁器に心惹かれ、その延長でボヘミアグラス(チェコ共和国)、ドレスデンクリスタル(ドイツ)やサンルイ(フランス)、ラリック(フランス)、バカラ(フランス)などのガラス製品にも心を奪われていたので、当時、おそらく20代前半であったろうと思うが、箱根ガラスの森美術館でベネツィアングラスの豪華なシャンデリアや、美しいグラス達を目の当たりにした時には、言いようのない興奮が心を支配した。
そのカラフルな色使いと、繊細な装飾とは、双方まるで相対しているかのように、可愛らしさと、それでいて触れてしまえば壊れてしまう儚さとを体現していた。
素晴らしい工芸品に秘儀秘法があるということはよく聞くこと。
ベネチアングラスも例外なく幾つかあり、例えば、
秘法として守られてきた『レティチェロ』と呼ばれる白い網状の模様を施す技法や、工房ごとに秘伝の調合比率の違いがあり、発色の難しい『ベネチアンレッド』と呼ばれる深い赤色などがそれにあたる。
中でも、レース状の模様の間に気泡を落とす技法が用いられる、「気泡入りレースグラス」は、最も高度な技法とされるグラスで、それが出来る名匠は数人だと言われている。
しかし面白いのは、秘儀秘法と呼ばれるものが、絶対的に守られていたというのは幻想で、実は密かにどこかで漏れ出し、別の土地に伝えられたりしているということ。
どこか似ていたりする物はひょっとしてそんな理由からかもしれない。
和洋折衷という言葉があるが、和だけでも洋だけでもなく双方が混じり合うことで、途端に「妖」になる。
妖しいからこそ惹かれる何かがある。
どこかで全く異質な物と混じり合って初めて生まれる美もある、ということなのだろう。
〈参考文献 洋食器の辞典〉
あくまでも自宅から日帰りで行ける範囲ではあるが、新宿の黒い湯の温泉から、箱根の温泉まで、肌に良いと聞けばとりあえず行ってみたものである。
箱根ガラスの森美術館に立ち寄ったのも、そのついでであった。
勿論、二十歳そこそこから陶器や磁器に心惹かれ、その延長でボヘミアグラス(チェコ共和国)、ドレスデンクリスタル(ドイツ)やサンルイ(フランス)、ラリック(フランス)、バカラ(フランス)などのガラス製品にも心を奪われていたので、当時、おそらく20代前半であったろうと思うが、箱根ガラスの森美術館でベネツィアングラスの豪華なシャンデリアや、美しいグラス達を目の当たりにした時には、言いようのない興奮が心を支配した。
そのカラフルな色使いと、繊細な装飾とは、双方まるで相対しているかのように、可愛らしさと、それでいて触れてしまえば壊れてしまう儚さとを体現していた。
ドルフィン装飾脚
素晴らしい工芸品に秘儀秘法があるということはよく聞くこと。
ベネチアングラスも例外なく幾つかあり、例えば、
秘法として守られてきた『レティチェロ』と呼ばれる白い網状の模様を施す技法や、工房ごとに秘伝の調合比率の違いがあり、発色の難しい『ベネチアンレッド』と呼ばれる深い赤色などがそれにあたる。
中でも、レース状の模様の間に気泡を落とす技法が用いられる、「気泡入りレースグラス」は、最も高度な技法とされるグラスで、それが出来る名匠は数人だと言われている。
〈気泡入りレースグラス 画像 1st Dibs より〉
しかし面白いのは、秘儀秘法と呼ばれるものが、絶対的に守られていたというのは幻想で、実は密かにどこかで漏れ出し、別の土地に伝えられたりしているということ。
どこか似ていたりする物はひょっとしてそんな理由からかもしれない。
和洋折衷という言葉があるが、和だけでも洋だけでもなく双方が混じり合うことで、途端に「妖」になる。
妖しいからこそ惹かれる何かがある。
どこかで全く異質な物と混じり合って初めて生まれる美もある、ということなのだろう。
〈参考文献 洋食器の辞典〉
価格:2,980円 |
タグ:ベネツィアングラス
2020年12月01日
江戸切子の魅力
初めてペアのコーヒーカップを買った19か20歳の頃から、沢山の美しい食器たちの虜になってしまった。
本屋へ行き食器の辞典なるものを見つけては、すかさずレジに向かうという日々を繰り返していた。
もっともそのころは『〜の辞典』というものが流行っていたのか、食器だけでなく、コーヒーの辞典やら紅茶の辞典、日本酒の辞典、アンティークの辞典等々沢山の辞典を買い漁っていたのだが。
本だけでなく、街をあてどもなくぶらぶらし、名も無き食器屋や雑貨屋を開拓するのが何よりも楽しかった。
今のようにインターネットで検索すればすぐに目ぼしい何かを見つけられる時代ではなかったが、それ故に、ひっそりと佇む個性的な店などを見つけると、何とも言えないどきどきとわくわくに胸が高鳴った。
四谷をぶらぶらしていた時、割と大きな食器屋を発見した。
特別期待もせずに入ってみたのだが、そこで見つけた『江戸切子』の盃に心底魅せられてしまった。
例えるなら、宝石、とでも言おうか。
江戸切子にもいろいろあるが、私が心惹かれたのはカット数の多いもの。
鉛ガラス(クリスタルガラス)と呼ばれる、主に高級食器等を作る時に用いられるガラスを使って作られている。鉛の含有量が多いほど、光の透明度や屈折率が高くなり、ダイヤモンドのような輝きを放つ。
また、弾いた時に良い音が出るため、ワイングラスなどにも用いられているそうだ。
色はほとんどが赤や青だが、赤の方が高価値とのこと。
ダイヤモンドと同じように〇〇カラットと単位を付けられるのならば、一体何カラットくらいだろうか。
世の中にこんなにも美しいグラスがあるとは驚きである。
ライトにかざせばきらきらとその緻密な輝きを見せてくれる。
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2020年11月30日
おちょこ
社長と出逢ったのは、そろそろまともな仕事にでも就いてみるかと漠然と思っていた22歳の頃。
東京の、とある会社にOL・・・と言えば聞こえはいいが、まあ要するに事務員として就職した。
遊園地やテーマパーク等、アミューズメント施設の設計や施工を請け負う小さな会社だった。
始めは、何だか変わったご老人だなというのが社長の印象だったが、だんだんと馴染んでくると、非常に個性的でユーモラスな人柄だということが分かった。
社長は、会社の地下室で仕事をしていた3人のデザイナーたちを、『隠し砦の三悪人』などと呼んでいたが、(確か大昔のアメリカのサイレント映画『三悪人』から来ていたと思う。)私の事はなぜか『監督』と呼んでいた。多分だが、当時の私が余程生意気だったせいだろう。
大きな仕事が入って上司もデザイナーもみんな現場に出払ってしまうと、私はいつも社長室に呼びだされ、社長の秘書のようなことをしているもう一人の事務員とともに、社長の自叙伝的なものをパソコンにおこしたり、社長の好物の晩柑という大きなみかんの皮を蜂蜜漬けにするのを手伝ったりした。
そしてその後決まって、帝国ホテルで売っているという、これまた社長の大好物のヴィシソワーズや、マリアージュフレールの『マルコポーロ』というエキゾチックな香りのする紅茶等を頂きながら、第二次大戦中に社長が捕虜として捕まった時の話や、さまざまな仕事に関する見解、社会情勢についてのうんちくなどを聞かされたものだった。
社員のみんなと食事をするのが好きで、よく行きつけのロシア料理店や寿司屋に連れて行っては美味いものをご馳走してくれたり、時には自宅で社長の奥さんが高級な料理を振る舞ってくれたりもした。
ある日、休日にもかかわらずいきなり社長に呼び出されたことがあった。
失礼ながら、休日出勤かと渋々出かけた私だったが、会社に着くとすぐに社長の車で栃木県に飛ぶことになった。何の仕事かといぶかしく思っていると、何のことは無い、ただ社長の好きな窯元にお供として連れて行かれただけだったのである。
帰り掛けに社長は私に、『お礼に好きな器を買ってやるから何でも好きなのを言え』と言った。
急に何でも好きな物と言われて困ったが、おちょこを一つ買ってもらうことにした。
色鮮やかな色彩で、小さくても非常に存在感のある古伊万里風のものだった。
残念ながら、社長は私が就職して3年目くらいに突然亡くなってしまったのだが、その短い間にずいぶんと沢山のことを教えてくれた。
それは単なる知識ではなく、一種の思想のようなものだったと思う。
以前社長が好きだと言う、胡弓で演奏されたツィゴイネルワイゼンのCDを頂いたことがあった。
社長が亡くなったという知らせを受けた直後、『死んだらこの曲で送られたい』と生前よく言っていたのを唐突に思い出し、急いでそのCDをかけると、その場で泣き崩れた。
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2020年11月28日
一目惚れの買い物
かれこれ30年程前、池袋の東口を出てすぐの横断歩道を渡ったところに、小さな食器屋があった。
今はもう、とうにその店はなくなってしまったようだが、当時二十歳になるかならないかの私は、ある日何の気無しにぶらりとその店に立ち寄った。
今思えば、それが『食器屋』というものに初めて自ら足を踏み入れた日であった。
1階は普通の、いわゆるよくある食器を売っていたのだが、2階は少し変わった趣向の食器ばかりを、まるで美術品でも飾るかのようにうやうやしく展示していた。
客の中には、私のような若造は一人も見当たらなかったが、私はそこで人生初めての『一目惚れ』を体験することとなる。
その、ペアのコーヒーカップ&ソーサーは、一言で言えば青なのだが、何とも言えない色合いで、当時の私にはとても魅力的に映った。
それから何度かその店に足を運んでは、その食器を眺めていたのだが、まだ若く懐も寒めな私には、ちょっとだけ高価な代物だった。
おまけに、当時は一緒にコーヒーを飲んでくれるようなロマンティックなお相手もいなかったので、はてさてどうしたものやらとただいつも眺めているばかりだった。
そのうち、私がちょくちょく顔を出すので店主も気に留めるようになってしまい、こちらにはまだ買う算段も無いのに、にこやかに話しかけられたりするまでになってしまった。
結局私はその食器の事を諦めきれずに、生涯初めての一目惚れによる買い物をすることとなったのである。
今でもその日の出来事はようく覚えていて、着ていた服や、買った後1階へ降りる時の階段の軋みまでもが、時に脳裏に鮮明に映し出される。
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今はもう、とうにその店はなくなってしまったようだが、当時二十歳になるかならないかの私は、ある日何の気無しにぶらりとその店に立ち寄った。
今思えば、それが『食器屋』というものに初めて自ら足を踏み入れた日であった。
1階は普通の、いわゆるよくある食器を売っていたのだが、2階は少し変わった趣向の食器ばかりを、まるで美術品でも飾るかのようにうやうやしく展示していた。
客の中には、私のような若造は一人も見当たらなかったが、私はそこで人生初めての『一目惚れ』を体験することとなる。
その、ペアのコーヒーカップ&ソーサーは、一言で言えば青なのだが、何とも言えない色合いで、当時の私にはとても魅力的に映った。
それから何度かその店に足を運んでは、その食器を眺めていたのだが、まだ若く懐も寒めな私には、ちょっとだけ高価な代物だった。
おまけに、当時は一緒にコーヒーを飲んでくれるようなロマンティックなお相手もいなかったので、はてさてどうしたものやらとただいつも眺めているばかりだった。
そのうち、私がちょくちょく顔を出すので店主も気に留めるようになってしまい、こちらにはまだ買う算段も無いのに、にこやかに話しかけられたりするまでになってしまった。
結局私はその食器の事を諦めきれずに、生涯初めての一目惚れによる買い物をすることとなったのである。
今でもその日の出来事はようく覚えていて、着ていた服や、買った後1階へ降りる時の階段の軋みまでもが、時に脳裏に鮮明に映し出される。
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2020年11月22日
インテリアの醍醐味
急に寒くなると、なぜだかむしょうに温かいコーヒーか紅茶が欲しくなる。
コーヒーの香りにはリラックス効果があると言われているが、果たして本当に、何とも言えない幸福感が胸いっぱいに広がっていく。
紅茶なら、この時期はミルクたっぷりのコクのあるミルクティー。
そして場所は、最近どこにでも良く見かけるありきたりなタイプの街のカフェよりも、せっかく粋なインテリアにした自分の部屋で、美しい食器と共に。
甘さ控えめのガトーショコラがいろどりをそえてくれるだろう。
うっすらとスタンダードなジャズでも流したら、宵闇迫る僅かなひと時を贅沢に過ごす。