2013年01月30日
72. 高橋ジョージ モーツァルト・家族 「徹子の部屋」
「ロックオペラ モーツァルト」に出演。
「モーツァルトが大好きなんです」「俊足に生きた人です」「すごいロックンローラーだと思うんです」
演じるのはモーツァルトのお父さん役です。「役に根っから入っていけるんです」「父と息子の関係に自信があった」モーツァルトのお父さんは息子の才能にほれ込み、その開花に半生を捧げたような人です。
お父さん、そして家族に対して、高橋さんには特別の思い入れがあります。
辛い子供時代
高橋さんが子どものころ、お父さんは車の運転手をしていたのですが、生活は楽ではなく、お母さんとの間には喧嘩が絶えず、お母さんに手をあげることもしばしばだったそうです。
高橋さんが中1のとき、ついに両親は離婚することになりました。お姉さんも高橋さんもお母さんについていくということになっていました。
最後の話合いの日、お姉さんは「お母さんについていく」。
そのときのお父さんの顔がたまらなくさびしそうだったのです。
「頑固で暴力的で威厳があった父がすごくさびしそうで」「『おれはお父さんについていく』って言ったんです」
お父さんはすごくうれしそうでした。
それからしばらくして、高橋家は家族でボーリングに行きます。みんなおおはしゃぎです。
「うちにも春が来た!」と高橋少年は思いました。
その翌朝、お母さんとお姉さんは家を出て行きました。最後の思い出作りだったんですね。
当時珍しい父子家庭だったので、高橋少年は偏見の目を感じました。
ギターが友だちで歌手を夢見るようになったのはこのころからです。
「ギターとラジオがセットで…」辛い日々の中での唯一の救いでした。
中学時代の事件
そんな中学時代、事件が起こります。
高橋少年はクラスの委員長をしていました。担任は音楽の先生でしたが、あるとき自習時間を任されることになったのです。
しっかりしているとはいえ、まだ中学生。ワイワイやりすぎてクレームが出ました。
「お前に任してたのに」と先生からなぐられました。「なぐられるのは自分が悪かったからで…」
その日の夜、家にいるとお父さんが帰って来て「お前の中学校が燃えているぞ」。
びっくりして学校に駆けつけると確かに燃えています。火元は音楽室らしいのです。
根がヤンチャな高橋少年「ざまあみろ」と友だちと盛り上がってしまいました。
ところが警察の人がそんな様子を写真に撮っていました。
翌日から半年間、高橋少年は警察から事情を聞かれ続けることになります。
「アリバイがないし動機がある。お前しかいない」
人口1万4000人ほどの小さな町です。噂は広まります。それまで声を掛けてくれていた人たちがそっけなくなりました。
高橋少年は死にたくなりました。「死のう」
列車の線路に首を載せました。
ゴトンゴトン列車の向かってくる音が聞こえました。
「これで死ねる」という思いとともにこんなことも思いました。「この電車に夢をもって東京に行く人もいるんだ」
高橋少年は起き上がります。「こんなことで死ぬのってバカみたいだ」「いつかこれを歌にするんだ」
このときに死んでいたら名曲「ロード」は世に出ませんでしたね。
「カンケイねーよ!」と思いながら生きていたら1ヵ月後に真犯人が見つかりました。
周りの目は?
「気まずいのか、すぐには変わりませんでした」
故郷との和解
でもその故郷の町から高橋さんが50歳のときに成人式に出席の依頼がありました。
「うれしかった」わだかまりがとけましたね。
「お父さんはどうだったの?」
「ずっと信じてくれていました」「何人かの人たちは信じてくれてたんです」
お父さんの呟き
その後、ロック少年にありがちなように高橋さんもヤンチャをします。
たくさんのバイクで走って捕まるのです。
家庭裁判所から帰宅するとき、電車の窓から夕日を浴びながら、お父さんが呟きました。
「200台の先頭を走ったら気持ちいいだろうな…」いろいろ言いたいことがあったのでしょうが、お父さんの口から出たのはこの言葉でした。
「怒られるよりもひびいて…『もう親不孝はしない!』って誓ったんです」
「今お母様は?」
「会ってます」「(距離は離れていても)心はつながっています」
お父さんは80歳を過ぎてから東京に出てきて近くに住んでいるそうです。
高橋さんの写真には高橋さんの奥さんとお嬢さん、お姉さんとそのご主人、そして笑顔のお父さんが写っていました。
一家離散から始まった青春…高橋さんは見事にハッピーエンドにまとめました。
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