2012年11月21日
18. 原恵一 心酔する木下監督
木下恵介監督といえば日本映画全盛時代だった1950年代、綺羅星が輝くかのような有名・人気監督の中でも黒澤明監督とともに人気を二分した、巨匠中の巨匠です。
2人は1943年という同年に監督デビューし、ともにデビュー作を大ヒットさせ、その作風から「柔の木下、剛の黒沢」と呼ばれたライバルでした。
1954年のキネマ旬報では
1位 木下恵介「二十四の瞳」 2位 木下恵介「女の園」3位 黒澤明「七人の侍」と、むしろ木下監督のほうが人気は上だったのです。
晩年にテレビの対談番組などで私もお顔を拝見したことがありますが、人なつっこい笑顔が魅力的で、包容力のあるお人柄のようでした。名伯楽でもあって、彼の下からはたくさんの有名監督が巣立ちました。
しかし黒澤監督の映画やエピソードがいまだに語り継がれているのに対して、木下監督は徐々に忘れられつつあるようです。
「あまりに多様だった作風が評価を難しくしているのでしょう」と原監督は語ります。「人間ドラマや社会派に喜劇等等、過激な実験もしばしば行っています」
映画一辺倒だった黒澤監督に比べ、木下監督はテレビでも「木下恵介アワー」などのドラマで腕をふるいましたが、そのことが「器用な才人」という印象を与えたのかもしれません。
「木下監督の評価は不当に思えてなりません」
木下監督は今年生誕100年を迎え、東京・東銀座の東劇「木下恵介生誕100年祭」と題し、かつての名作が上映されます。
こういった運動が再評価のきっかけになればいいですね。
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