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高原茂
メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー・行動心理士の高原茂です。宜しくお願い致します。 「このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。」 など
プロフィール

2024年04月12日

【初心者のための簡単な瞑想法】

【初心者のための簡単な瞑想法】

ウェルビーイング(身体的・精神的・社会的に良好な状態)分野の第一人者で、

世界中の皇室や政財界のトップリーダーたちのメンターを務める

“ スピリチュアル界の巨星 ”

ディーパック・チョプラ医学博士は、著書

『富と成功をもたらす7つの法則』(訳者 渡邊愛子 角川文庫)

の中で、

『初心者のための簡単な瞑想法』

を述べているので、御紹介します。

「私たちの人生は、各瞬間に経験してきた考えや感覚や感情で構成されたストーリーのようなものです。

しかし私たちは人生の大部分を過去の記憶の中や、

将来に対する期待や不安の中で過ごしていて、

なかなか『今この瞬間』を純粋に味わって過ごすということをしていません。

過去の記憶は、

将来に対する期待や不安と入り混じって日々ストレスを生み出していきます。

その状態を続けていると、

ストレスやプレッシャー、失望、不安などが積み重なり、

身体の不調や、うつ、燃え尽き症候群などの精神的な病を引き起こしてしまいます。

あなたが今、辛い人間関係の中で囚われの身になっていたり、

不満をかかえたままの仕事についていたり、

あるいは健康上の問題に直面していたとしても、

比較的簡単にあなたの心の状態を変化させ、

新しい自分へと生まれ変われる好機があります。

不確実な人生の真っ只中においても穏やかな気持ちでいられるとても簡単な方法があるのでご紹介しましょう。

まずはじめに、

今から15分程度のまとまった時間を確保しましょう。

このことすら難しく感じるかも知れませんが、

これがとても価値のある時間の使い方となることを理解してください。

次にあまり邪魔をされない場所を見つけましょう――電話やテレビや子供やペットや雑音その他のものからできるだけ離れてみます。

最初に一度、大きく息を吸って、

目を閉じてください。

ゆっくり息を吐くと同時に、

あなたの考えや呼吸に意識を向けてください。

そのままゆっくり、優しく、

息を吸って、吐いて、

その呼吸と一緒にあなたの思考も取り入れたり吐き出したりしてみましょう。

呼吸を観察しているうちに、

その呼吸にも変化があることに気づくでしょう。

速くなったり遅くなったり、

リズムが変わったり、呼吸の深さが変わるかもしれません。

どのように変わったとしても、

あるいは変わらなかったとしても、

ただ単にその呼吸を観察してみてください。

何も考えずに息が出たり入ったりするその流れを感じてください。

あなたの注意が呼吸からそれていき、

思考や身体の感覚に注意がいったり、

何かの音に注意が向けられたりするかも知れません。

構わずそのまま15分間続けてみてください。

毎分過ぎるごとに、

よりリラックスした状態になっていくのを実感するでしょう。

これが、どんな時代にも普遍のツールである

『今この瞬間に意識を向ける』

瞑想です。

私たちの日常に付きもののストレスや緊張、恐れや混乱を優しく洗い流していくことによって、

もっと穏やかで平和な内なる自分とのつながりを取り戻すことができるのです。

あなたが今回、瞑想に触れるのが初めてだったとしても、

既に経験したことがあって今回改めて自分の生活に組み込んでいくにしても、

あなたはきっと真の自分とのつながりを取り戻す方法として瞑想に価値を見出すことでしょう。

そして、あなたは徐々に活力と心の平静を取り戻し、

前よりもさらに

『今この瞬間』

に触れて、感じていることに気づくことと思います。

瞑想は、私たち一人ひとりの中に存在する神性に、

私たちを再結合させてくれます。

そしてあなたは喜びに満ち、

調和とバランスがとれ、

愛に溢れた毎日を送ることができるのです。」(142頁〜145頁)

瞑想は、

心身の健康に大きな効果があります。

しかも、

非常に気持ちいいです。

私は、

瞑想を日課としてから、

心身共に絶好調です。

あなたも、

瞑想を始めてみませんか?

(推薦図書)
『富と成功をもたらす7つの法則』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 渡邊愛子 角川文庫)

ご購入はこちらをクリック↓↓↓

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クリントン元米大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領から賞賛され、タイム誌による「20世紀の英雄と象徴100人」にも選出されたスピリチュアル・リーダーが明かす、宇宙の英知を活用する方法。
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2024年04月11日

【人生は厳しいが幸せにはなれる A】

【人生は厳しいが幸せにはなれる A】

世界三大心理療法家の一人であるアルバート・エリス博士が、著書

『現実は厳しい でも幸せにはなれる』
(訳者 齊藤勇 文響社)

の中で、

『こころのチキンスープ』

を提唱しているので、

抜粋して御紹介します。(282頁〜288頁)

右向き三角1自分の目標を達成し、成功し、人から承認を得ることは、しばしば非常に望ましいことだけれども、そうしなければならないことはない。

右向き三角1たとえ想像しうる最悪の事態が起きたとしても、ほとんどの場合はそれに耐えて、生き抜いて、人生においていくらかの幸せを必ず見つけ出すことができる。

自分にはそれができるのだと強く信じることさえできれば!

右向き三角1私は、愚かでくだらない神経症的な思考・感情・行動をとることがあるかもしれないが、私自身が愚か者でどうしようもない、非難に値する人間であることは決してない。

私という人間と私の行動は別のものだ。

右向き三角1したがって、私は自分自身の存在・本質・人格は悪く評価しない。

自分の行為やものごとの遂行の仕方だけしか評価しない。

自分にそう約束する!

右向き三角1同じように、私は他の人に対しても行動・感情・思考だけを評価し、彼ら自身や彼らの存在・本質を悪く評価したり、非難したりはしない。

人はしばしば下劣な行為をするけれども、それで彼ら自身が下劣な人間であることにはならない!

右向き三角1私は、自分の生活の状況だけを評価し、それも、どれだけ自分や自分の所属する社会集団の目的や意図が満たされているかという点においてのみ評価する。

世の中や人生を全面的に『よい』とか『悪い』とか判断しない。

世の中がよくでなしに思えることもあるけれど、それはあくまでいくつかの側面についてだけ言えることである。

右向き三角1自分の動揺を取り去り、自分を動揺しにくくしようと努力する決意があって、実際にその努力を続ければ、きっとそれを成し遂げられる。

でも、完璧で、完全に動揺しないような超人間にはなることはできない。

人間でいるかぎり、誰でも誤りやすいのだ!

右向き三角1やりたいことは、やる努力をしてみる。

試しもせずに、自分にはできないと決めてかからないことである。

困難なことでも、それができるかできないかは、まずやってみてから判断する。

右向き三角1本当に自分に無理なことは無理なのだと素直に受け止める。

仕方ないことだってある!

右向き三角1極端に考えることはできるだけ避ける。

ものごとを完全によいとか悪いとか考えない。

極端な楽観主義や極端な悲観主義を避ける。

バランスのとれた、現実的なアプローチをとることを自分の目標とする。

でも、その目標でさえも極端にならないように気をつけなくてはならない。

右向き三角1私には短所だけでなく、本当に素晴らしい長所もある!

だからと言って、私自身が偉大で素晴らしい人間だということにはならない。

ただ、自分の長所を存分に楽しみ、活用すればいいのだ!

そして、自分を受け入れることができれば、さらに長所が増えることになる!

右向き三角1私の抱える心の問題の起源や過去を探るのもいいけれど、それよりも大事なことは、今どのようにその問題をもってしまっているのか、そして今どうすればそれらを変えていけるのかについて考えることである。

右向き三角1自分は有能で、重要なことに効果的に対処できることを知っていることは気分がよい。

だけど、それは私自身が有能な一個人であり、よい人間であることの証明にはならない。

そんな証明は存在しない!

私は自分の楽しみと、よい結果を出すために自分の能力を磨こうと努力するのであって、自分自身がよい人間であることを証明しようとしたりしない。

右向き三角1もし宇宙人がここに降り立って、彼らに正常な判断力があったとすれば、私を見て、これほど賢い人が何でこれほどバカバカしい行為をするのだろうと笑い転げるに違いない。

彼らと一緒になって笑えるようになろう。

右向き三角1私に起こる悪いこと、あるいは自分で引き起こす悪いことで、完全に悪いことはまずない。

たいていは何らかのよい側面も見出すことができる。

また、悪い側面は学ぶべきことが必ずあるはず。

その悪い状況において自分を動揺させないようにするというチャレンジを受けて立つことは、特に楽しめる。

右向き三角1非合理的に恐れていることを回避することは、自分の恐怖症の克服を避けていることになる。

リスクを冒したほうがよほど自分にとっての危険が減る!

右向き三角1私は、自分の健康を害したり、事故に遭ったり、危険な活動に関わったりしないよう気をつけていて、特に自分や自分の愛する人達に危害が及ばないように注意を払っている。

しかし、私に世の中をコントロールすることはできないのだから、異常な危険が発生することを心配したりはしない。

私が心配したところで、人生の荒波を止めることはできない!

右向き三角1他の人は私とは違うし、他の人もそれぞれ異なることが多い。

みんな異なっていて当然だ!

右向き三角1不当な扱いを受けることはいやだけれど、悪い扱いを受けたからといってそのことをいつまでも不満に思ったり、復讐を考えたりする必要はない。

不当な態度をいつまでも根にもっていたら、自分が不当な態度に出ていることになる。

右向き三角1ある特定の人から愛されることがどんなに重要だと思っても、他にも自分が愛し愛される大事な人がいることを知っていることは大切である。

そう、確実に何人かそういう人がいる!

右向き三角1人といることも好きだけれど、全く一人でいてもかなり幸せでいられる。

時には自分が自分の最大の親友になることもできる!

右向き三角1できるだけ多くのことを楽しむようにして、たった一つの考え、感情、行動に執着しないようにする。

右向き三角1何か別の見返りを得たり、自分がどれだけよい人間であるかを証明したりすることを目的として活動するのではなく、その時その時の活動自体から得られる喜びを目的として何かを行うことができる。

そのことが内在的に興味深くて楽しいことだと感じるから、私は流れにのっていくのだ。

その活動が、その内在的楽しみ以外にも私や他の人に利益があるなら、なおさらいいことだ!

右向き三角1科学は絶対的で神聖なものではないけれども、確かに大きな価値がある。

目的や意図をもった時には、科学的な姿勢を保とうとするのがよい。

つまり、仮説検証を繰り返し、社会的・物質的『現実』は暫定的にのみ認め、人間にとっての善を目的とすることである。」

私たちは、他者や物事を批評・批判したり、決めつけたり、裁いたりしがちです。

つまり、白黒をつけたがります。

それがトラブルや心の病の原因になります。

アルバート・エリス博士が提唱する論理療法は、

イラショナル・ビリーフ(irrational belief)をラショナル・ビリーフ(rational belief) に変える療法です。

つまり、

白黒思考で凝り固まった不合理な考え方を、

柔軟で現実対応力が高い合理的思考に変えていく療法です。

イラショナル・ビリーフは無意識的に生じているので、

その認知の歪みにほとんどの人は気づいていません。

具体的には、

@ マイナス思考(ネガティブ・バイアス)

A 自己の過小評価

B 情動的な決めつけ

C 思いこみ(〜すべき、〜すべきでない)

D 悲観的・否定的な早とちり

E ラベリング(一方的な断定)

等です。

イラショナル・ビリーフには論理的な根拠がありません。

単なる独断と偏見です。

このことに気づくことが重要です。

思考と感情・行動は連動しています。

思考が変われば感情や行動も変わります。

イラショナル・ビリーフが日常生活にマイナス効果となっていることに気づけば、

気が楽になったり、

気が軽くなったりします。

“思いこみ” や “決めつけ”

を止めましょう。

白黒思考から、グレーのグラデーション思考へシフトしましょう!

(推薦図書)
『現実は厳しい でも幸せにはなれる』
(著者 アルバート・エリス 訳者 齊藤勇 文響社)

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2024年04月10日

【人生は厳しいが幸せにはなれる @】

【人生は厳しいが幸せにはなれる @】

世界三大心理療法家の一人であるアルバート・エリス博士が、著書

『現実は厳しい でも幸せにはなれる』(訳者 齊藤勇 文響社)

の中で、日本の読者に向けて、

メッセージを述べているので、

抜粋して御紹介します。(3頁〜4頁)

「私は10代の頃、人前で話せなかったり、

女性とのつきあいがうまくいかなかったりして、

悩んだことがありました。

なんとか自分の情緒を安定させ、

苦悩を減らして、

充実した人生をいきたい、

と考え、

文学に親しみ、哲学書を読み、心理学の学位をとりました。

私なりに到達した考えを自分に応用してみると、

めったなことでは不安になったり落ち込んだりしなくなったのです。

そこで私は心理療法家として、

自分に効果があった方法を多くのクライエントに用い、

さらに多くの人に伝えるため、本も書いてきました。

私の本はすでに何冊か日本で翻訳されており、

特に『論理療法』(原題 A New Guide for Rational Living)は多くの読者に読まれています。

また、ニューヨークのエリス研究所のウォルス博士と一緒に、

日本で講演やワークショップも開きました。

その時、日本のカウンセラーや心理学者、その他精神衛生の専門の方々から強い支持を受け、歓迎されました。

伝統的に日本には実践的に、合理的にものを考える習慣があったため、

論理療法の理論や実践がスムーズに受け入れられたのだと思います。

私が考案した論理療法の基本は、

人は日常生活で困難なことにぶつかった時、

生まれながらにその問題をうまく解決できる力をもっている、

という考え方です。

確かに、人は難しい問題が生じると、

必要以上に動揺したり不安定になったりしてしまいます。

しかし、人は創造的に、また目的に向かって、

どの情緒や行動を選んだらいいか、

その対応の仕方を知っています。

そして、たとえ不適当なことをしたとしても、

それをよく考え、立て直し、

より幸福になるようにもっていける力があります。

(中略)

論理療法は、

不安や落ち込み、自己嫌悪、怒りなどの感情を減らすのを助けるための、

認知的、感情的、行動的な技法をもっています。

この本の中で、そのテクニックを明確に読者に教えます。

本書に示した方法が、日本の人たちの助けになることを願っています。

      アルバート・エリス 」

当然のことながら、人生は厳しいです。

なぜなら、

厳しくなかったら、

魂が成長しないからです。

例えば、

お金持ちのぼんぼんに生まれ、

なんの不自由もなく楽に過ごしたら、

魂は向上しません。

逆境が人をつくります。

正に、

“Adversity makes a man.”

です。

本書には、

『思い込み』や『決めつけ』を排除し、

幸せになるための秘訣が書いてあります。

御一読をおすすめします。

(推薦図書)
『現実は厳しい でも幸せにはなれる』
(著者 アルバート・エリス 訳者 齊藤勇 文響社)

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(参考図書)
『論理療法』
(著者 アルバート・エリス/R.A.ハーパー 監修 北見芳雄 訳者 國分康孝/伊藤順康 川島書店)

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2024年04月09日

【 瞑想の効果・効用 A】

【 瞑想の効果・効用 A】

瞑想には、様々な効果・効用がありますが、

それ以前に、気持ちがいいです。

なぜなら、

快楽ホルモンが分泌するからです。

瞑想とホルモンの関係について、

ウェルビーイング(身体的・精神的・社会的に良好な状態)分野の第一人者で、

世界的スピリチュアル・マスターであるディーパック・チョプラ医学博士は、著書

『本当の幸せをつかむ7つの鍵』
(訳者 住友進 サンマーク出版)

のなかで、こう述べています。 (10頁〜12頁)

「 瞑想=静かに座り、自分の心のなかに入っていくと、

体に驚くほど大きな影響が表れてきます。

どうして効果があるのでしょうか?

この謎を解き明かすにはかなりの時間がかかりました。

西洋では瞑想は神秘的なもので、

宗教的儀式にすぎないと思い込まれていました。

瞑想の効果を説明するために、

研究者はこの前提に反論しなくてはならなかったのです。

現在、私たちは瞑想をすることで、

前部前頭葉皮質――より高度な思考の座――が活性化され、

ドーパミン、セロトニン、オキシトシン、脳のアヘン様物質をはじめとする神経伝達物質の放出が刺激されることがわかっています。

このような自然に発生する脳の化学物質のひとつひとつが、

幸福のさまざまな面と結びつけられています。

ドーパミンは抗鬱剤であり、

セロトニンには自尊心を高める働きがあります。

現在、オキシトシンは快楽ホルモンと考えられて、

性的に興奮している間、分泌量が増加します。

アヘン様物質には鎮静作用があり、

ランナーズハイと関係する浮き浮きした気分を生み出してくれます。

このような神経伝達物質の分泌を増やすことで、

瞑想は幸福のための脳の設定値を変えるもっとも有効な方法であることが解明されました。」

瞑想は、非常に気持ちいいです。

瞑想を日課とすれば、

快楽ホルモンの恩恵に浴することができます。

あなたも、瞑想を始めてみませんか?

瞑想の快感を、ぜひ、味わってください。

(推薦図書)
『本当の幸せをつかむ7つの鍵』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

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『ゆだねるということ(下)』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)

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2024年04月08日

【瞑想の効果・効用 @】

瞑想には、

『血圧が下がる』

『集中力がUPする』

『不眠が解消する』

など、

様々な効果・効用があります。

これについて、

ウェルビーイング(身体的・精神的・社会的に良好な状態)分野の第一人者であるディーパック・チョプラ医学博士は、著書

『富と宇宙と心の法則』
(訳者 住友進 サンマーク出版)

の中で、こう述べています。

「瞑想することで、あなたは雑念を払い、

超越意識に踏み込めるようになります。

この超越意識が統一場です。

そこで純粋な知覚、純粋な意識の状態になれるのです。

どんな文化にも、瞑想の伝統があります。

わたし自身は、

定期的にマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの超越瞑想を実践し、

統一場の体験を得ています。

瞑想の効果を証明してくれる、数多くの科学的研究があります。

瞑想すると、

血圧が下がり、

ストレスが軽減され、

基礎代謝率が下がり、

不眠、不安など多くの心身医学の障害が、軽減され、取り除かれていきます。

さらに、

脳波が安定していき、

集中力、創造力、学習能力、記憶力も増えていきます。

また、瞑想の効果は、日常の活動にも及んでいき、

すぐに自分の活動のなかに統一場の特徴が現れてきます。

統一場に溶け込むことで、

統一場のもつすべての特徴が身についてくるようになります。

『ヴェーダ』の文献では、

統一場はブラフマンと呼ばれています。

サンスクリットには、

『ブラフマンを知れば知るほど、人はブラフマンに近づく』

“Brahmavit brahmaiv bhavate”

という言葉があります。

ですから、

日常の意識を超越する体験は、非常に役立つ手段となるのです。

統一場の特徴を実際に経験し理解するだけではなく、

日常のあらゆる活動で、

その価値を表現できるようになれるのですから。」(83頁〜84頁)



私は、瞑想を始めてから4年になります。

おかげ様で心身ともに健康を維持しています。

あなたも、瞑想を始めてみませんか?




(推薦図書)
『富と宇宙と心の法則』
原題 “CREATING AFFLUENCE“
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

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    https://amzn.to/3PTy8O1

『ゆだねるということ(下)』
原題 ”The Spontaneous Fulfillment of Desire“
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)

ご購入はこちらをクリック↓↓↓

     https://amzn.to/43Mfdu9



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2024年04月07日

【 “道” とは何か?】

『老子』にある “道” とは、

真の実在のことをいいます。

宇宙全体を創り出している根源的な知性のことです。

“道” について、

『老子』(訳者 福永光司 ちくま学芸文庫)

に、こう書かれています。

「これが道だと規定しうるような道は、恒常不変の真の道ではなく、

これが真理の言葉だと決めつけうるような言葉は、絶対的な真理の言葉ではない。

天地開闢以前に元始として実在する道は、言葉では名づけようのないエトヴァスであるが、

万物生成の母である天地が開闢すると、名というものが成立する。

だから人は常に無欲であるとき、名をもたぬ道のかそけき実相を観るが、

いつも欲望をもちつづけるかぎり、あからさまな差別と対立の相をもつ名の世界を観る。

この道のかそけき実相およびあからさまな差別と対立の相の両者は、

根源的には一つであるが名の世界では二つに分かれ、

いずれも不可思議なるものという意味で玄とよばれる。

そして、その不可思議さは玄なるが上にも玄なるものであり、

造化の妙用に成る一切万物は、そこを門として出てくるのである。」(7頁)


「道はからっぽで、いくら注いでも一杯になるということがない。

それは奥深くて万物の生まれ出る大本のようだ。

それは万物の鋭さを挫き、万物の紛れを解きほぐし、

万物の輝きを和らげ、万物の塵れに己を同じくする。

それは深くたたえて常存不滅の存在のようだ。

わたしにはそれが誰の子供なのか分らない。

どうやらそれは天帝に先だつ実在のようだ。」(17頁)


「目をすえて見ても何も見えないから、『夷』――色が無いという。

耳をすまして聴いても何も聞こえないから、『希』――声が無いという。

手で打ってみても何も手ごたえがないから、『微』――形が無いという。

だが、この三つの言葉では、まだその正体が規定しつくされない。

だから、この三つの言葉を混ぜあわせて一つにした存在なのだ。

その上部は明らかでなく、その下部は暗くない。

だだっぴろくて名づけようがなく、物の世界を超えたところに立ち返っている。

これを状なき状、物の次元を超えた象というのだ。

これを『惚恍』――ぼんやりとして定かならぬものというのだ。

前から見ても、その頭が見えるわけでなく、後ろから見ても、その尻が見えるわけでない。

太古からの真理を握りしめて、今も眼前の万象を主宰している。

歴史と時間の始原を知ることのできるもの、それを道の本質とよぶのだ。」(49頁〜50頁)


「大いなる徳ある人の容は、ただ道にこそ従っている。

そもそも道という実在は、ただ仄暗く定かならず、

定かならず仄暗い中にも何やら象があり、

仄暗く定かならぬ中にも何ものかが実在している。

奥深く幽かな中に霊妙な精気がこもり、

その精気はこの上なく真実で、その中に創造者としての明証がある。

それは昔から今に至るまで、変わることなく道とよばれて、

いうなれば、あまたの族長たちを統べる本家の総領。

族長たちの実状が、どうしてわたしに分かるのかといえば、

それは総領である道によって分かるのだ。」(79頁〜80頁)


「混沌として一つになったエトヴァスが、

天地開闢の以前から存在していた。

それは、ひっそりとして声なく、ぼんやりとして形もなく、

何ものにも依存せず、何ものにも変えられず、

万象にあまねく現れて息むときがない。

それは、この世界を生み出す大いなる母ともいえようが、

わたしには彼女の名前すら分からないのだ。

仮に呼び名を道としておこう。無理に名前をつければ大とでも呼ぼうか。

この大なるものは大なるが故に流れ動き、

流れ動けば遠く遥かなひろがりをもち、

遠く遥かなひろがりをもてば、また、もとの根源に立ち返る。

かくて道は大なるものとよばれるが、

大なるものといえば、天も大であり、地も大であり、帝王もまた大である。

つまり、この世界には四つの大なるものが存在するが、

帝王がその中の一つを占めているのだ。

その帝王は人類の支配者として大地の在り方に法ってゆき、

大地はさらに天の在り方に法ってゆき、

天はさらに道の在り方に法ってゆく。

そして、道の根本的な在り方は自然ということであるから、

道はただ、自然に法って自在自若である。」(94頁〜96頁)


「道の本来的な在り方は、人間のような作為がなく、

無為でありながら、しかも為さぬということがない。

もしも支配者が、この無為の道を守ってゆけるならば、

万物はおのずからその徳に化せられるであろう。

もしもその万物がその徳に化しながら、なお欲情を起こすとすれば、

わたしはそれを『無名の樸』――荒木のように名を持たぬ無為の道によって鎮めよう。

荒木のように名を持たぬ無為の道であれば、

さても万物は無欲に帰するであろう。

万物が無欲に帰して心静かであるならば、

天下はおのずからにして治まるであろう。」(141頁〜142頁)



“道” とは、

『純粋意識の場』

『純粋な可能性の場』

『統一場』

『知性の泉』

古代インド思想でいうところの

『ブラフマン』

今風に言えば、

『ゼロポイント・フィールド』

のことです。

換言すれば、

“道” とは、

宇宙全体を創り出している

“the Creator”

“造物主”

“万物の創造主”

則ち、

“神” です。


『科学を真剣に追究する人は誰でも、人間の意志よりも優れているある意志が、はっきりと宇宙の法則を示していると確信するようになる』『私が知りたいのは神の考えだ。それ以外はすべて些細なことでしかない』(アルベルト・アインシュタイン)


(推薦図書)
『老子』
(訳者 福永光司 ちくま学芸文庫)

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2024年04月06日

【自重】

【自重】

憲法で、

『言論の自由』

が保障されているので、

個人が大衆に向けて、

自身の見解を表明するのは自由です。

しかし、

個人が他者(個人)に対して、

自身の意見を述べるのは自由ではありません。

他者の感情を害さないように “思いやる心” が大切です。

SNSやブログを見ていると、

時々、投稿者を批判・非難・誹謗するコメントを見かけますが、

自重しましょう!

『危言危行』

『男は辞儀に余れ 男は礼に余れ』

(参考図書)
『老子』
(訳者 福永光司 ちくま学芸文庫)

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2024年04月05日

【すべてを受容する】

【すべてを受容する】

作家・講演家の小林正観さんは、

『すべてを受け容れることの重要性』

について、著書、

『悟りは3秒あればいい』
(だいわ文庫)

の中で、こう述べています。
(9頁〜10頁)

「 私が言う『悟り』とは、

『受け入れること』。

何か特別な勉強をしなくても、

何年も修行をしなくても、

受け入れることさえできれば

『悟る』 

ことはできるのです。

短ければ最短 

『三秒で』 

悟ることができます。

一秒目、

過去のすべてを受け入れること。

今までの自分の身に起きたことは、

すべて自分に必要だった、

と『過去』のすべてを受け入れること。

二秒目、

現在のすべてを受け入れること。

そのすべてが自分にとってプラスだった、

自分を成長させてくれた、

それがなければ今の自分がなかった、

と『現在』のすべてを受け入れること。

三秒目、

未来のすべてを受け入れること。

今までのすべてに感謝し、

これからのすべてに感謝できる、

と『未来』のすべてを受け入れること。

『悟る』ためには、

過去・現在・未来のすべてを受け入れることです。

受け入れるためには三秒あればいい。

そして、

その結果、

『悟った状態』 

が得られるようになると、

悩みがなくなり、

心が穏やかで、

イライラしなくなり、

にこやかに、

幸せに生きることができる。

と同時に、

流れに身をゆだねる、

不平不満を言わなくなる、

その結果として、

自分の役目や役割も見えてくる、

それを自然とやらされるようにもなり、

何が起きようとも動じない自分になれるのです。」

過去に起きたこと、

今起こっていること、

未来に起こること、

すべてを受容しましょう。

すべては学びです。

すべては良きことのために起こります。

すべては、

自己意識を進化・向上させるための糧となります。

『宇宙の英知』 

に全幅の信頼を寄せましょう。

すべてはうまくいっています。

ウェルビーイング(身体的・精神的・社会的に良好な状態)分野の第一人者であるディーパック・チョプラ博士は、著書

『富と成功をもたらす7つの法則』
(訳者 渡邊愛子 大和出版)

の中で、

『あるがままに受け容れることの重要性』

について、こう述べています。 (75頁〜76頁)

「 『今日私は、人々や、状況や、環境や、出来事を、起こったとおり受け入れます』

このことは、

『この瞬間はあるべくしてある』のだ、

なぜなら宇宙全体があるべくしてあるからだ、

と知るということを意味します。

この瞬間――あなたが今経験しているこの瞬間――が、あなたが過去に経験したすべての瞬間の絶頂です。

宇宙全体があるべくしてあるために、

この瞬間はあるべくしてあるのです。

あなたがこの瞬間に対して争い、もがくとき、

あなたは実際、宇宙全体と争っているのです。

そんなことをするよりも、

あなたはこの瞬間に対して争わないことによって、

宇宙全体と争わないと決めることができるのです。

これは、あなたのこの瞬間に対する 『受容』 が全体的で完全であることを意味しています。

あなたは物事を、この瞬間あなたが望んだようにではなく、

あるがままを受け入れます。

これを理解することは重要です。

物事に対して未来は異なるよう願うことはできますが、

この瞬間は、物事をあるがままに受け入れなければならないのです。」

人々・状況・環境・出来事をあるがままに全受容することが肝要です。

この瞬間はあるべくしてあります。

この瞬間は、

宇宙コンピュータが弾き出した最善の答えです。

物事をあるがままに受容しましょう。

世の中で起こること、

人生で起こること、

すべては神のお導きです。

すべては神の思し召しです。

“All must be as God will.”

運を天に任せましょう。

成り行きに任せましょう。

我を張らない、我を通さない。

ばたばた動き回っていると、

かえって期待はずれの結果に終わります。

流れに抗わないことが肝要です。

シンクロニシティに敏感になって、

流れを読む。

『全肯定』

『全感謝』

『全受容』

『全認容』

『全許容』

『寛容の精神』

が、肝要です。

『すべてを受け容れる』

『何が起きても、それを愛す』

『すべてはあるべくしてあり、なるべくしてなる』

(推薦図書)
『悟りは3秒あればいい』
(著者 小林正観 だいわ文庫)

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『富と成功をもたらす7つの法則 願望が自然に叶う実践ガイド』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 渡邊愛子 大和出版)

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2024年04月04日

【教団は消滅する?】

【教団は消滅する?】

いずれ宗教団体(教団)は消滅するでしょう。

なぜなら、

人生哲学が確立し、

教団に頼らなくなるからです。

宗教について、

中村天風師は、著書

『運命を拓く 天風瞑想録』
(講談社文庫)

の中で、こう述べています。

「宗教には、唯神論と汎神論というのがある。

唯神論というのは、

初めに神がいて、

神がこの宇宙を創ったのだということである。

汎神論は、

宇宙が出来てから、

その中に神が現われたのだということである。

いずれも、神を相手に考えようとする考え方で、

これは、

今のように、まだ科学が発達していなかったときの人間としては、無理のない考え方である。

私がいつもいっているとおり、

今から千年二千年経つと、

今あるような宗教という宗教は、

地上から姿を消してしまうでしょう。

それは、

人間の理智が、

既成宗教などに頼らなければ活きられないような、

哀れで無自覚なものではなくなるからである。

純粋哲学の立場から観察すると、

この宇宙というものは、

形ある宇宙以前に、

すでに形のない宇宙が在った、

という真理の探究というものが、

行わなければならないのだ。

神とか仏というのは、

人間が便宜上、付けた名前だから、

このようなものに捉われてはいけない。

あなたがたは、

抽象的で、あまりにも漠然としたものを、

やれ、神だ、仏だ、と思っているが、

では

『神とはどんなものか』

と聞かれたら、

なんと説明するか。

『仏とはいかなるものか』

と聞かれたら、どう説明するか。

見たことも聞いたこともないものに、

説明の与えられるはずはない。

そう思うと、何となく安心ができるといったような、

同時に、

自分が一種の信仰というようなものを、

何となく気高いと感じる、

という感じで考えられるだけではないだろうか。

だから、

私からいわせれば、

やれ神だ仏だ、といっている者は、

安直な気休めを人生に求めている哀れな人だといわざるをえないのだ。

第一、もし、あなた方が考えているような神や仏が、

この世の中に存在したら、

この世界に戦争などあろうはずがないではないか。

キリスト教の人間達が、

地球をも破壊するかもしれないような原爆や水爆を、

考え出す必要もないじゃないか。

もし本当に、

あなた方が思うような神や仏があり、

それに信仰を捧げたなら、

即座に、神や仏のような綺麗な気持ちになれそうなものではないか。

この中には、クリスチャンもいるだろう。

また仏教信者もいるだろう。

信者という名前だけで、

その人達は、相変わらず、怒ったり、悲しんだり、怖れたり、

という繰り返しの日々を送っていはしないか。

ここに集まっている多数の会員の諸君を目の前にして、

じっと見つめているときに、

後光のさすような尊い人が一人もいないことを遺憾とする。

それは、あなた方の体から出る、オーラの一切が証明している。

ともかく、

安定打坐が、少しの間、出来たときだけは、

綺麗なオーラが見えるけれども、

そうでないときには、もう、見えない、

濛濛たる毒ガスが、あなた方の体からでている、

といってもいい過ぎではないほど、

あなた方の心は汚れている。

そして、

醜い、弱々しさを持っている。

それというのも、

当てにならないものを当てにして、

救われようとか、

助かろうとか、

極めて、さもしい、気の弱い、哀れな、依頼心の強い気持ちで、

それを信仰と名づけているからである。

本当の真理から論断すれば、

何も神だの仏だのと頼らなくてもよろしい。

むかしからの歌にもある。

心だに 誠の道に かないなば

祈らずとても 神や守らん

先祖を敬い、先祖を忘れないための、

追善供養は必要である。

だが、

あなた方の神仏に対する信仰は、

いつも自己本位な自分の生命や、

自分の運命の安全ばかりをこいねがうだけが、目的になっていはしないか。

これを第二義的信仰というのであるが、

そのような信仰を持っている人間は、

何となく神があり、仏があるように思い、

その神や仏がこの宇宙を創っているように思っているが、それは違う。」(33頁〜36頁)

さらに、天風師は、著書

『心を磨く 中村天風講演録』
(PHP研究所)

の中で、こう述べています。

「『宗教』とはそもそもいかなるものであるべきか。

一般常識的だと言われているキリスト教に、

そういう訳のわからないことが教義の中に存在している。

別に私、今キリスト教をけなしているわけじゃないんだよ。

真面目に考えさせられる点を言っているわけで。

私はキリスト教で救われなかった。

心の問題に悩み、悩んで、もう世界の三分の二を歩いて、

キリスト教はもちろん、

仏教ももちろん、

フイフイ教までやって救われなかったんだ。

それは私の心が極めてこれはもう極度にけがれて、

汚れていたから救われなかったとおっしゃるでしょう。クリスチャンや仏教家は。

しかし盗人にも三分の理ありで、

洗い清められるものは洗ってやるけれども、

洗い清められざるものは洗わないじゃ、

ちょっと宗教の本旨と違ったところが出てこやしないかと思う。

また仏教のごときでもですよ、

『縁なき衆生は度し難し』

と釈迦をはじめとしてからに、

現代の仏教家はみんなそう言ってます。

そうでしょう。

『信ぜざれば救う能わず、縁なき衆生は度し難し』

しかし私、人を救うという建前で考えつかれた宗教である以上は、

縁なきものにも縁をつけてやって救ってこそ、

本当の慈悲じゃなかろうか、

情じゃなかろうかと私は思うが、

いかがですか。

迷っている、苦しんでいるというやつは、

全然何にもに頼る気持ちがなくなっているやつが陥った、心のもつれですもんね。

何かしらにまだ頼れる人間だったら、

迷いも悶えも、それだけ大きかないもの。

ところが、

どん底に陥ってる人間を、

あいつは救えないからって、

救わないのが宗教だとしたら、

宗教なんてものはもう、

絵に描いたぼた餅よりもまだ頼りないものだと言わなきゃならないと思うが、いかがでしょう。

(中略)

いや、私も最初は宗教にすがったんだから。

もうせっぱ詰まって、理屈も何もあるかと。

迷信と言われようが、

邪心と言われようが、

そんなことは構わない、

宗教に頼って救われなきゃと思って、

さんざん苦労した挙げ句宗教に行って、

かえって私の失望と落胆は余計倍加されただけでもって、

救われなかったんです。

もちろんそりゃ教会に行ってる人、

お寺参りをしている人、

みんなあれ救われたいから行ってるんですからね、きっと。

それともあれですか、

日曜のたんびに教会に行き、

また節会の折々、お寺にお参りしている人は、

おれが行ってひとつキリストを救ってやろうとか、

おれが行ってひとつ釈迦を得度させてやろうとかいうつもりで行ってるんですか。

そうじゃないでしょう。

死ぬまでお通いになってらしても、

なんかこう救われるだろうと思う、

いわゆる望みなきにあらざる気持ちで行ってらっしゃる。

本当に天風会に入って、

こういう教えによって自分の心を本当に納得のいくだけ救われたという人は、

私はほとんど一人もいないと思うが、

どうだろう。

いると思う人、手を挙げてください。

私、聞きたいこといくらでもあるんだから。

宗教的に、私の心の中に生じている疑義が。

私の精神科学や心理学の中から、

宗教と照り合わせてからに、

どうにも割り切れないものが宗教のほうで、

割り切れないものが割り切れたような顔をして説いてて、

しかも結果において割り切れないことを平気で言ってるのがバイブルにも経文にもありますわね。

これも別にけなす意味じゃないんですよ。

できれば教えてもらいたいから言うんだけど、

『人、もしもわが右の頬を叩かば、笑って左の頬を出せ』って。

これはいい言葉のようですけども、

これはなし難き計画なんじゃないかと思う。

ちょうど日本にある、

『なる堪忍はだれもする、ならぬ堪忍、するが堪忍』

と同じようなことで。

クリスチャン、ひとつひっぱたかせてくれませんか。

力道山のパンチほどは効かないかもしれないけど、

かなり効くパンチを私持ってますから。

そして、右ひっぱたいてあげて

『さあ、どうぞ左も』

とお出しくだされたらば、

その心持ちを伺ってみたいと思う。

まして、頼んだら出すかもしれないけど、

いきなり往来を歩いているやつを、クリスチャンかなと思って、

ぺーっとひっぱたいて、

笑ってからに、

『お手が痛みませんか、こちらもどうぞ、おついでに』

と出す人、いないでしょう。」(86頁〜90頁)

私は宗教を頭ごなしに否定するつもりは御座いませんが、

イエスや釈尊は、

教団をつくりたかった訳ではありません。

教えを広めたかっただけです。

愛(慈愛・博愛)の精神を伝えたかっただけです。

宗教と信仰を混同してはいけません。

宗教は団体で、

信仰は個人的なものです。

教団に所属せずとも信仰することはできます。

大切なことは、

individual・personalな信仰心を持つことです。

なぜなら、

人生は、

自己の “魂の修行” の場であり、

個人的なものだからです。

『私が知りたいのは神の意思だ。それ以外はすべて些細なことでしかない』

我は神なり愛と光なり

汝も神なり愛と光なり

我は救世主なり

汝も救世主なり

世界中の一人ひとりが救世主

世界平和と人類全体の幸福の実現に寄与しましょう。

地球ユートピアの実現を目指しましょう!

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2024年04月03日

【お節介を焼かない】

【お節介を焼かない】

人には人の修行があります。

人の “魂の修行” の邪魔をしない、

お節介を焼かないことが大切です。

病は天からの啓示です。

『生活習慣を見直しなさい』

『考え方を変えなさい』

『生き方を反省しなさい』

という、天からのメッセージです。

霊力を使って、

人の病を治すのは、いかがなものか?

ましてや、

それで、お金をもらうなんて・・・。

『魂の法則』
(著者 ヴィセント・ギリェム 訳者 小坂真理 ナチュラルスピリット)

に、こう書かれています。

「レイキの段階を取得するための有料の講習がある、と話しているのを耳にしましたが。

その件に関して、どうお思いですか?

お金と引き換えに、天国に行けると文書で約束した免罪符と同じような商売だ。

最初にレイキを始めた臼井甕男氏が無償で行ったというのに、

その継承者たちがどうしてお金を取るのだろうか?

繰り返すが、レイキを始めるために、イニシエーションをする必要などない。

どれほど有名であろうと、

見返りとしてお金を要求するような人から受けるイニシエーションであれば、なおさらだ。

なぜなら、

それでお金を儲けようとしているのなら、

自称するほどレベルが高くはないからだ。

真のマスターは、

万人のエネルギーでお金を取ろうとしない。

伝達者に過ぎず、謙虚であるので、マスターと名のろうともしない。

ここに、イエスの手本がある。

エネルギーで多くの人を癒やし、

弟子たちへの伝授もしたが、

誰からもお金を受け取らなかった。

講習だけでなく、レイキのセッションでお金を取る人もいますよ!

これについては、どう思われますか?

宇宙エネルギーは、

それを扱う人の所有物ではなく、

お金を払わずに使用できるものなので、

同じく無料で与えねばならない。

レイキでお金を取る人たちは、

自分自身のエネルギーや自分が努力して周囲からかき集めたエネルギーを扱うのだろう。

だが、

高波動の霊的存在たちからの手助けは期待できない。

彼らと同調するためには、

心を浄化し、

他者を助けたいという無私の思いが必要となるが、

お金を取る者には無私の志はなく、

金銭的な利益を得ることに関心があるからだ。

でも多くの人が、レイキで儲けようとしているのではなく、それで時間が取られるとサラリーマンはしていれないし、何かで暮らしを立てる必要があるから、と言っていますよ。

それなら、エネルギーの伝達では生計を立てようとしないことだ。

経済的にやっていけるように、

他の活動で報酬を得られる仕事を持ち、

自由な時間にレイキをすれば良い。

これは、意志の問題だ。

しかし実際には、

レイキでお金を取る者の多くが、

生活を維持するだけでなく、

それによって儲けようとしている。

レイキの料金は、オーラを綺麗にするというよりも、

それにひっかかった愚か者の財布の中身を綺麗にしてしまうほど高いことがあるからだ。

イエス自身も、

『神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返しなさい』

と言っている。

物質的に自立する必要があるのなら、

実際的な仕事でそうするように努めなさい。

霊的な仕事を介してはならない。

霊性にお金を関与させるのは、やめなさい。

霊性が穢れてしまうのだ。

君たちを助けている指導霊たちは、

君たちからお金を取るのだろうか?

彼らがそうしないのならば、

彼らを見習って君たちもそうしてはならない。

しかも、

自分には能力があるのでお金を取る資格があると思っていると、

本当にそうなって、自分自身のエネルギーしか使えなくなってしまう。

『神と富とに兼ね仕えることはできない』

ということを肝に銘じて欲しい。

現在の言葉に置き換えれば、

愛とエゴとに兼ね仕えることはできないという意味だ。

それらは、相容れられない対立する概念なのだ。

エネルギーを貰う代わりに、お金であろうと他のものであろうと何かを引き換えにあげる必要があるので、これは交換しているに過ぎない、と言う人たちもいますが。

それならその人たちは、

無条件の愛という、何の見返りもなく与える行為を知らず、また理解したくもないのだ。

見せかけの霊性で外側を装おうとしていても、

見習うべき手本とはならない。

それを忘れないようにしなければ、

霊性復興運動も、

あげくの果てにはキリスト教と同じことになってしまう。

つまり、

皆の偉大なマスターだと勝手に名のり出る者が現れて、

自分の富と権力への渇望を満たすために、

聖なる教えを管理し操作し始めてしまうだろう。

でも、有料レイキに効果はあるのですか、ないのですか?

効果はあるかもしれないが、

無料で行うレイキよりは、

常にずっと貧しい結果しか得られない。

効果は、助けたいという思いの強さ次第だからだ。

大半の場合には、

他者を助けたいという思いと、

何かと引き換えに行おうというエゴとが混在している。

善意によって得られる効用も、

私欲で失われてしまう。

一つはっきりさせるが、

エゴがあると与える前に貰おうとしてしまうので、癒やしにはならない。

エゴに委ねる人は、

本当は他者を助けようとは思っていないので、

助けてあげることができないのだ。

お金を取っているならば、

それが他者を助けるためなのか、

自分が有名になるために他者を利用したいのか、

あるいは自己の物質的な欲求や期待に沿うためなのかを、分析してみるがよい。

イエスがあれほど優秀なエネルギーの担い手で、

奇跡と思われたほど素晴らしい強力かつ迅速な結果を得ることができたのは、

一体どうしてだと思っているのかね?

それは彼が、

無条件の愛を感得するに至った魂だったからで、

その愛が、

エネルギー次元で顕現する時に高振動のエネルギーとなり、

それに肉体的または霊的な障害を癒やす力があったからだ。

多くの者が、

イエスがしたことをできるようになりたいと思っているが、

彼らには本質的なものが欠けている。

それは、

無条件に愛するということで、

エゴを――虚栄心・自尊心・自負心を――放棄しなければならないのだ。

イエスがしたことをできるようになりたいか?

それなら、

他者に何かをしてあげる度に、集金してまわるのはやめなさい。

イエスが癒やしに対してお金を取っていたとしたら、

高次の存在ではあり得なかったし、

高次の霊たちからも支援されなかったので、

癒やしそのものが不可能だったろう。

病気とその意味について、最後に言っておきたいことはありますか?

病気は、

運命のいたずらでも神の罰でもなく、

霊的成長の糧となるものだ。

今生で患う病気は、

今回の転生で立ち向かわねばならない試練を知らなかったり受け容れようとしなかったのが原因か、

または心に従って行動や生活せずに霊的な内面を抑圧したのが原因だ。

このような場合、

肉体的な病は内部の病気の警報として作動し、

自分を変えるように誘導する。

先天的またはカルマによる病気のケースでは、

原因は前世での行為の中に見出せる。

それは、

溜まった負債を精算するための試練であり、

魂が霊的により高い段階へと昇るために障害となる心理的毒素を肉体に受け渡すプロセスなのだ。」(304頁〜308頁)

実は、釈尊も弟子も霊力を使えたのですが、それを封印しました。

なぜだと思いますか?

人には人の修行があります。

『人の “魂の修行” の邪魔をしない』

『心身共に健康になる為の智慧を与える』

『個人ではなく大衆に向けて法を説く』

これが王道です。

『私が知りたいのは神の意思だ。それ以外はすべて些細なことでしかない』

(推薦図書)
『魂の法則』
(著者 ヴィセント・ギリェム 訳者 小坂真理 ナチュラルスピリット)

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