【 『一切皆苦』について 】
仏教教理を特徴づける根本教説である四法印の一つに『一切皆苦』があります。
『一切皆苦』の真意は何でしょうか?
これについて、
『わかりやすい 仏教用語辞典』(大法輪閣)
の中に、こう書いてあります。
「 “人生は苦である。この世のあらゆる存在も現象も、すべて苦の原因でないものはない”
などと言うと、恐らく現代の青年から総スカンを食って
“馬鹿言うな。こんな楽しい人生があるもんか。
うまいもの食って、好きな奴と一緒に暮らして、働きたい時に自分にあった仕事をすることができるこの世は、まったく楽しみに満ちてるじゃないか。
もっとも、自分の思い通りにならない時だけは必ずしもそうは思わんがね”
とでも言われかねない。
確かに、
腹がペコペコの時に、
うまいものを食べたり、
好きな相手と結婚したり、
待ち望んでいた子供が生まれたり、
職場で昇給・昇進したりした時には、
まさにこの世は喜びに満ちたものであって、
冗談にも苦しみとは感じないだろう。
“楽は苦のたね、苦は楽のたね” というので、
たとえ自分の思い通りにならない場合でも、
きっと将来、
今の苦しみが楽しみに変わってくれる、
と信じて努力していけば、
苦しみだって苦しみにはならない、
という理論も成りたつ。
問題なのは、
現在楽しみであると考えていることが本当に実現した時に、
それがいつまでも楽しみであり続けるかどうか、
ということなのである。
やっとお腹が一杯になって喜んでいる時に、
“さあもっと食え” と出されたら、
どんなうまいものでも苦しみのたねになるし、
理想の異性と結婚した喜びが、
いつまでも続いていれば、
世の中の夫婦がけんかわかれをするわけもないし、
生まれた子供が成長してその子に泣かされる親がいかに多いかを見ても、
同じことがいえる。
係長になったものは、
次に課長・部長・重役・社長と、
だんだんと欲望が大きくなり、
社長だって満足していないことは、
ご本人がよく知っているはずだ。
なぜそうなのだろうか。
それは、
この世のあらゆるものが、
永遠の存在ではないからである。
“今がいちばん可愛い頃だから、どうかこれ以上大きくならないように” といくら願ってみたところで、
子供はどんどん成長し、
憎まれ口をたたき、
学校の成績で心配をかけ、
さんざん親に反抗し、
しまいには、
雷族になって事故をおこして死んでしまうことにもなる。
幸福だと感じている人は、
“どうかこのままの状態が続きますように” と願い、
不幸だと感じている人は、
“早くこの苦しみがなくなりますように” と願う。
結局、
幸福も不幸も、
ともに永遠ではないかわりに、
このような相対的なものは、
結局のところ、
すべて人間を苦しめる原因になっていることに気がつく。
永遠でないものを永遠と錯覚することから離れなさいよ、
というのが一切皆苦を説いた釈尊の真意なのである。」
私たちは、
存在を固定不変と考え、
欲望や憎悪の対象として執着するので、
一切皆苦となります。
万物の無常・無我を知らないこと(無明)、
何ごとかの永続を願う我々の迷いの生は、
苦しみでしかありえません。
諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三法印を学び、
真理を究め、
修行を実践し、
悟りを開きましょう️
(参考図書)
『わかりやすい 仏教用語辞典』
(大法輪編集部編 大法輪閣)
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