人には人の修行があります。
人の “魂の修行” の邪魔をしない、
お節介を焼かないことが大切です。
病は天からの啓示です。
『生活習慣を見直しなさい』
『考え方を変えなさい』
『生き方を反省しなさい』
という、天からのメッセージです。
霊力を使って、
人の病を治すのは、いかがなものか?
ましてや、
それで、お金をもらうなんて・・・。
『魂の法則』
(著者 ヴィセント・ギリェム 訳者 小坂真理 ナチュラルスピリット)
に、こう書かれています。
「レイキの段階を取得するための有料の講習がある、と話しているのを耳にしましたが。
その件に関して、どうお思いですか?
お金と引き換えに、天国に行けると文書で約束した免罪符と同じような商売だ。
最初にレイキを始めた臼井甕男氏が無償で行ったというのに、
その継承者たちがどうしてお金を取るのだろうか?
繰り返すが、レイキを始めるために、イニシエーションをする必要などない。
どれほど有名であろうと、
見返りとしてお金を要求するような人から受けるイニシエーションであれば、なおさらだ。
なぜなら、
それでお金を儲けようとしているのなら、
自称するほどレベルが高くはないからだ。
真のマスターは、
万人のエネルギーでお金を取ろうとしない。
伝達者に過ぎず、謙虚であるので、マスターと名のろうともしない。
ここに、イエスの手本がある。
エネルギーで多くの人を癒やし、
弟子たちへの伝授もしたが、
誰からもお金を受け取らなかった。
講習だけでなく、レイキのセッションでお金を取る人もいますよ!
これについては、どう思われますか?
宇宙エネルギーは、
それを扱う人の所有物ではなく、
お金を払わずに使用できるものなので、
同じく無料で与えねばならない。
レイキでお金を取る人たちは、
自分自身のエネルギーや自分が努力して周囲からかき集めたエネルギーを扱うのだろう。
だが、
高波動の霊的存在たちからの手助けは期待できない。
彼らと同調するためには、
心を浄化し、
他者を助けたいという無私の思いが必要となるが、
お金を取る者には無私の志はなく、
金銭的な利益を得ることに関心があるからだ。
でも多くの人が、レイキで儲けようとしているのではなく、それで時間が取られるとサラリーマンはしていれないし、何かで暮らしを立てる必要があるから、と言っていますよ。
それなら、エネルギーの伝達では生計を立てようとしないことだ。
経済的にやっていけるように、
他の活動で報酬を得られる仕事を持ち、
自由な時間にレイキをすれば良い。
これは、意志の問題だ。
しかし実際には、
レイキでお金を取る者の多くが、
生活を維持するだけでなく、
それによって儲けようとしている。
レイキの料金は、オーラを綺麗にするというよりも、
それにひっかかった愚か者の財布の中身を綺麗にしてしまうほど高いことがあるからだ。
イエス自身も、
『神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返しなさい』
と言っている。
物質的に自立する必要があるのなら、
実際的な仕事でそうするように努めなさい。
霊的な仕事を介してはならない。
霊性にお金を関与させるのは、やめなさい。
霊性が穢れてしまうのだ。
君たちを助けている指導霊たちは、
君たちからお金を取るのだろうか?
彼らがそうしないのならば、
彼らを見習って君たちもそうしてはならない。
しかも、
自分には能力があるのでお金を取る資格があると思っていると、
本当にそうなって、自分自身のエネルギーしか使えなくなってしまう。
『神と富とに兼ね仕えることはできない』
ということを肝に銘じて欲しい。
現在の言葉に置き換えれば、
愛とエゴとに兼ね仕えることはできないという意味だ。
それらは、相容れられない対立する概念なのだ。
エネルギーを貰う代わりに、お金であろうと他のものであろうと何かを引き換えにあげる必要があるので、これは交換しているに過ぎない、と言う人たちもいますが。
それならその人たちは、
無条件の愛という、何の見返りもなく与える行為を知らず、また理解したくもないのだ。
見せかけの霊性で外側を装おうとしていても、
見習うべき手本とはならない。
それを忘れないようにしなければ、
霊性復興運動も、
あげくの果てにはキリスト教と同じことになってしまう。
つまり、
皆の偉大なマスターだと勝手に名のり出る者が現れて、
自分の富と権力への渇望を満たすために、
聖なる教えを管理し操作し始めてしまうだろう。
でも、有料レイキに効果はあるのですか、ないのですか?
効果はあるかもしれないが、
無料で行うレイキよりは、
常にずっと貧しい結果しか得られない。
効果は、助けたいという思いの強さ次第だからだ。
大半の場合には、
他者を助けたいという思いと、
何かと引き換えに行おうというエゴとが混在している。
善意によって得られる効用も、
私欲で失われてしまう。
一つはっきりさせるが、
エゴがあると与える前に貰おうとしてしまうので、癒やしにはならない。
エゴに委ねる人は、
本当は他者を助けようとは思っていないので、
助けてあげることができないのだ。
お金を取っているならば、
それが他者を助けるためなのか、
自分が有名になるために他者を利用したいのか、
あるいは自己の物質的な欲求や期待に沿うためなのかを、分析してみるがよい。
イエスがあれほど優秀なエネルギーの担い手で、
奇跡と思われたほど素晴らしい強力かつ迅速な結果を得ることができたのは、
一体どうしてだと思っているのかね?
それは彼が、
無条件の愛を感得するに至った魂だったからで、
その愛が、
エネルギー次元で顕現する時に高振動のエネルギーとなり、
それに肉体的または霊的な障害を癒やす力があったからだ。
多くの者が、
イエスがしたことをできるようになりたいと思っているが、
彼らには本質的なものが欠けている。
それは、
無条件に愛するということで、
エゴを――虚栄心・自尊心・自負心を――放棄しなければならないのだ。
イエスがしたことをできるようになりたいか?
それなら、
他者に何かをしてあげる度に、集金してまわるのはやめなさい。
イエスが癒やしに対してお金を取っていたとしたら、
高次の存在ではあり得なかったし、
高次の霊たちからも支援されなかったので、
癒やしそのものが不可能だったろう。
病気とその意味について、最後に言っておきたいことはありますか?
病気は、
運命のいたずらでも神の罰でもなく、
霊的成長の糧となるものだ。
今生で患う病気は、
今回の転生で立ち向かわねばならない試練を知らなかったり受け容れようとしなかったのが原因か、
または心に従って行動や生活せずに霊的な内面を抑圧したのが原因だ。
このような場合、
肉体的な病は内部の病気の警報として作動し、
自分を変えるように誘導する。
先天的またはカルマによる病気のケースでは、
原因は前世での行為の中に見出せる。
それは、
溜まった負債を精算するための試練であり、
魂が霊的により高い段階へと昇るために障害となる心理的毒素を肉体に受け渡すプロセスなのだ。」(304頁〜308頁)
実は、釈尊も弟子も霊力を使えたのですが、それを封印しました。
なぜだと思いますか?
人には人の修行があります。
『人の “魂の修行” の邪魔をしない』
『心身共に健康になる為の智慧を与える』
『個人ではなく大衆に向けて法を説く』
これが王道です。
『私が知りたいのは神の意思だ。それ以外はすべて些細なことでしかない』
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