2017年04月13日
バタフライ効果
◆バタフライ効果
『できることは何でも試していきたい』
そんなことをいつも考えていて、これもその一環。
とあるテーマに沿ったエッセイを書きました。
内容にあわせた文体につき、いつもと違う雰囲気はご容赦ください。
その当日のことは、まだ忘れるほど昔じゃないから覚えている。
とあるライブ放送を文字起こしするため、PCデスクの前で準備をしていた頃――それは発生した。
モニタを抑えて、天井のペンダントが揺れるのをみながら、通り過ぎるまでやり過ごした。
ひと段落ついた後、状況が呑み込めていない。
やがて考えていた以上のことが起こっていたのだと分かる。
何かできないか、考えて、考えてやめた。
「大丈夫ですか」→「大丈夫じゃない」と返ってきたとき、何もできやしない。
声をかける人、かけない人の線引きはどこか。
安全圏の声を聞いた方は何を思うのだろうか。
限られたスマートフォンのバッテリは、気休めの通信のために使われていいのだろうか。
そんなふうに一通り理由を並べたうえで、何もしないことを選んだ。
◇◇
世間の認識が揃い、浸透した頃。
何名かの経営者を対象に、その後の暮らしぶりを追いかける番組を視た。
それは確か6月。
2ヶ月経過したこのタイミングだからできること、正しく伝えられることがある。
――そんな番組制作者の気概のようなものを、感じた。
観光客の足が大幅に遠のき、営業がままならない個人店の苦悩を知り。
設備の損壊により、1日に数万円相当の損失を出し続ける酪農農家を目の当たりにして。
体勢を立て直そうにも、現状維持さえままならない現実がそこにあった。
当たり前だった日常は、どこまでも遠い。
憔悴しきったコンディションで、考えなければならないことは山積みだ。
時間が経てば解決することはあるはずなのに、それよりも早く、時間そのものが追い立てる。
何かの決断とリミットを迫る。
立ち止まることにもコストは発生している。
未来は、人の善悪も背景も区別せず、横やりをいれてくるものなのだと、思い知らされた。
人はこんなにもたやすく翻弄される。
◇◇
とある場所で、ある人の言葉を視た。
創作活動を自粛しないでほしい。
自分たちはこんな状況であったとしても諦めていないし、自粛してほしいと考えてなんかいない。
おおよそこんな内容のメッセージ。
言葉を発したその人も前述の状況におかれている一人。
そしてこの言葉は、多くの人の心に静かな波を起こした。
私もその波にのまれた1人。
どうしようもない理不尽が人からモノや時間やエネルギーを奪うなら、逆があってもいいはずだ。
それは誰もやらないようなこと、以前の自分が想像もしなかったことだとしても。
だから1つだけ魔法をしかけた。
◇◇
『バタフライ効果』という言葉がある。
北京の蝶の羽ばたきが1か月後にニューヨークの天候に影響を与えるという、たとえ話で有名なそれ。
それの存在証明はさておき。
280バイト以下のデータ群が1人の行動の動機付けになったとして。
どこまでそれは効果を広げられるか、想像もつかなかった。
自分だってここまでとは、思っていなかった。
理不尽に一矢報いる以上に、なにかを期待していたわけでもなかった。
もしかしたら、起点になったつもりでいたけれど、本当はそれすら必要なかったのかもしれない。
真相はわからない。
本当に。
ただ、1つだけのつもりだった現代の魔法は、その後何度となく連鎖反応を起こした。
これを先程の何かにあてつけて言うのなら。
未来はこんなにもたやすく、翻弄することができた。
◇◇
いいことなんて1つもなかった、とか
自分の価値を値踏みする傾向、とか
吹き飛ばしたいものはまだ残っている。
そんなことを考えながら、ふと気づいた。
私は事象を追いかけていたつもりだったのに、いつのまにか変わっている。
魔法にかけられたのは、自分の方だったのか。
ミスリードに陥ったのはいつからか。
少しの悔しさと、清々しさに笑ってしまう。
とりあえず、映画にありがちな薄命設定は私にはない。
だから時間の許す限り、焦らないように、在りたい。
未来は翻弄できることは、すでに証明できたのだから。
聞きかじった知識を少し。
蝶は明度が高く彩度の低い赤に吸い寄せられるらしい。
暖かくなると飛びだす蝶は、なぜか避けようとした方向に先回りしてくれる。
昆虫に触ることができない自分は、ここでも翻弄されてしまう。
おわり。
『できることは何でも試していきたい』
そんなことをいつも考えていて、これもその一環。
とあるテーマに沿ったエッセイを書きました。
内容にあわせた文体につき、いつもと違う雰囲気はご容赦ください。
その当日のことは、まだ忘れるほど昔じゃないから覚えている。
とあるライブ放送を文字起こしするため、PCデスクの前で準備をしていた頃――それは発生した。
モニタを抑えて、天井のペンダントが揺れるのをみながら、通り過ぎるまでやり過ごした。
ひと段落ついた後、状況が呑み込めていない。
やがて考えていた以上のことが起こっていたのだと分かる。
何かできないか、考えて、考えてやめた。
「大丈夫ですか」→「大丈夫じゃない」と返ってきたとき、何もできやしない。
声をかける人、かけない人の線引きはどこか。
安全圏の声を聞いた方は何を思うのだろうか。
限られたスマートフォンのバッテリは、気休めの通信のために使われていいのだろうか。
そんなふうに一通り理由を並べたうえで、何もしないことを選んだ。
◇◇
世間の認識が揃い、浸透した頃。
何名かの経営者を対象に、その後の暮らしぶりを追いかける番組を視た。
それは確か6月。
2ヶ月経過したこのタイミングだからできること、正しく伝えられることがある。
――そんな番組制作者の気概のようなものを、感じた。
観光客の足が大幅に遠のき、営業がままならない個人店の苦悩を知り。
設備の損壊により、1日に数万円相当の損失を出し続ける酪農農家を目の当たりにして。
体勢を立て直そうにも、現状維持さえままならない現実がそこにあった。
当たり前だった日常は、どこまでも遠い。
憔悴しきったコンディションで、考えなければならないことは山積みだ。
時間が経てば解決することはあるはずなのに、それよりも早く、時間そのものが追い立てる。
何かの決断とリミットを迫る。
立ち止まることにもコストは発生している。
未来は、人の善悪も背景も区別せず、横やりをいれてくるものなのだと、思い知らされた。
人はこんなにもたやすく翻弄される。
◇◇
とある場所で、ある人の言葉を視た。
創作活動を自粛しないでほしい。
自分たちはこんな状況であったとしても諦めていないし、自粛してほしいと考えてなんかいない。
おおよそこんな内容のメッセージ。
言葉を発したその人も前述の状況におかれている一人。
そしてこの言葉は、多くの人の心に静かな波を起こした。
私もその波にのまれた1人。
どうしようもない理不尽が人からモノや時間やエネルギーを奪うなら、逆があってもいいはずだ。
それは誰もやらないようなこと、以前の自分が想像もしなかったことだとしても。
だから1つだけ魔法をしかけた。
◇◇
『バタフライ効果』という言葉がある。
北京の蝶の羽ばたきが1か月後にニューヨークの天候に影響を与えるという、たとえ話で有名なそれ。
それの存在証明はさておき。
280バイト以下のデータ群が1人の行動の動機付けになったとして。
どこまでそれは効果を広げられるか、想像もつかなかった。
自分だってここまでとは、思っていなかった。
理不尽に一矢報いる以上に、なにかを期待していたわけでもなかった。
もしかしたら、起点になったつもりでいたけれど、本当はそれすら必要なかったのかもしれない。
真相はわからない。
本当に。
ただ、1つだけのつもりだった現代の魔法は、その後何度となく連鎖反応を起こした。
これを先程の何かにあてつけて言うのなら。
未来はこんなにもたやすく、翻弄することができた。
◇◇
いいことなんて1つもなかった、とか
自分の価値を値踏みする傾向、とか
吹き飛ばしたいものはまだ残っている。
そんなことを考えながら、ふと気づいた。
私は事象を追いかけていたつもりだったのに、いつのまにか変わっている。
魔法にかけられたのは、自分の方だったのか。
ミスリードに陥ったのはいつからか。
少しの悔しさと、清々しさに笑ってしまう。
とりあえず、映画にありがちな薄命設定は私にはない。
だから時間の許す限り、焦らないように、在りたい。
未来は翻弄できることは、すでに証明できたのだから。
聞きかじった知識を少し。
蝶は明度が高く彩度の低い赤に吸い寄せられるらしい。
暖かくなると飛びだす蝶は、なぜか避けようとした方向に先回りしてくれる。
昆虫に触ることができない自分は、ここでも翻弄されてしまう。
おわり。
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